コロラド大学図書館 米海軍日本語学校アーカイヴァルプロジェクト
US Navy Japanese/Oriental Language School Archival Project (JSLP)

at the Archives, University of Colorado at Boulder Libraries


 このサイトは、JBCプロジェクトの一環として、コロラド大学のアーカイブと協力し、同アーカイブによる海軍日本語学校関連史料収集プロジェクトを日本語で紹介するサイトです。同大学アーカイブズの幅広い利用を促進し、同プロジェクトの情報収集の支援を目的としています。また、それとあわせて、海軍日本語学校の歴史、及び同アーカイブの史料の概要についての情報も提供しています。同資料の詳細については拙著『書物の日米関係』(新曜社、2007)、及び『越境する書物』(新曜社、2011)をご参照下さい。(作成 JBCプロジェクト 和田敦彦)
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米海軍日本語学校 (US Navy Japanese/Oriental Language School)

 1910年以来、米海軍は日本語能力を持った士官養成のために、彼等を3年の期間日本へと教育のため送り出していました。その人数はごく少数であり、1940年までに教育されたのはせいぜい60名前後にすぎません。日本のアメリカ大使館でなされていたこの教育プログラムにおいて、教育あたっていた長沼直兄(Naoe Naganuma)とその教育方法が高く評価され、1929年に最初の三巻本のテキストが編集されました。これは、後に巻数を増やし、戦中、戦後全米の日本研究に広く流通します。

 日本との関係が悪化し、国際的な緊張が高まる中、日本語能力をもった士官の不足が危惧された米国内で、その実態を把握し、実践的な日本語教育コースの設置にむけた取り組みがはじまります。1941年6月、コーネル大学で、陸軍、海軍、FBI、ACLSやロックフェラー財団の代表者も参加し、そのための会議が行われています。

 その会議で唯一具体的な短期集中型日本語教育プログラムを提案した海軍は、同年8月、実践的な日本語教育のための言語センターをカリフォルニア大とハーバード大に設置するよう動き始めます。中心人物となるのは、当時すでに日本研究でも著名であったヒンドマーシュ(A. E. Hindmarsh)でした。

 大学と交渉をすすめるかたわら、海軍では、東京のアメリカ大使館から長沼テキストの完全なセットを50セット手に入れる手続きを進め、そのうち5冊と補足教材を用いた1年の集中教育コースを練り上げます。ヒンドマーシュと、同じく日本語のエキスパートであるグレン・ショウ(Glenn Shaw)は候補者を全米でインタビュー。優秀な学生の獲得に乗り出します。

 1941年11月1日に両大学でコース開始。1942年の2月までにこのコースの生徒は90人に増えていました。最初のコースは1942年に卒業生を送り出しますが、この時期、同時に学校の場所を移転する必要がでてきます。というのも、これらのコースの教育にたずさわっていた日本人1世、2世達が、内陸部に強制収容されることとなったからです。ハーバード大のコースは契約切れとともに打ち切りとなり、カリフォルニア大のスタッフを中心として、コースはコロラド大学に教員、生徒達共々移ることとなりました。

 一方、1942年10月に陸軍の日本語学校が設立されはじめ、優秀な生徒獲得をめざしての競争もはげしくなります。卒業生たちはATIS(Allied Translators and Interpretors Section)をはじめ、対日戦での獲得文書の翻訳、捕虜の尋問、心理戦など多方面に投入されてゆきました。1943年には女性の入学を決定し、88名が入学しています。

 1944年1月にこの海軍日本語学校(Navy Japanese Language School)は名称を海軍東洋語学校に変更(Navy School of Oriental Languages)に変更。中国北京語、マレー語が加わり、ロシア語も加わった。1945年の6月には日本語のみの海軍語学校がオクラホマのスティルウォーターにあるA & Mカレッジに開設されることとなります。

補足 米陸軍日本語学校

 陸軍の日本語学校(Military Intelligence Service Language School:MISLS)は2世を中心とした日本語の訳、尋問などのための教育施設であり、1941年にサンフランシスコのプレシディオに設置されました。戦争開始後に、ミネソタのキャンプサベージ(Camp Savage)に移り、1942年5月陸軍省直属となります。この年11月にはミシガン大に1年の集中コースを設けることを決定、1943年1月5日から授業が開始されます。21人の教員と150人の生徒からなる日本語コースで、白人の生徒を対象としていました。これが陸軍日本語学校(Army Japanese Language School:AJLS)として知られるものです。

以上は同アーカイブ所蔵の以下の史料をもとに作成しました。

Words at War: the Story of Navy Language School. Report prepared at Navy Intelligent School Anacostia. 1949.

Hindmarsh A. E. Navy School of Oriental Languages: History, Organization, and Administration. University of Colorado, Boulder, Colorado. 1944.

Mathew R. J. Language and Area Studies in the Armed Services: Their Future Significance. American Council on Education. Washington, D. C.

米海軍日本語学校アーカイバルプロジェクト

US Navy Japanese/Oriental Language School Archival Project (JSLP)

 コロラド大学のアーカイブでは、米海軍日本語学校史料の収集、整理、公開プロジェクトをすすめています。この史料収集作業を最初にはじめたのは、同日本語学校出身者でもあるロジャー・ピノー(Roger Pineau)でした。彼は戦後、日本での米戦略爆撃調査(U. S. Strategic Bombing Survey)に参加。その後海軍情報局をへて米海軍史研究室へと配属され、その後も国務省や様々な大学、研究機関と連携した仕事を続けていました。

 彼は1980年代から90年代にかけて、海軍日本語学校の歴史を書くために、史料収集をはじめています。同じくこの日本語学校を卒業したウィリアム・ハドソン(Willium J. Hudson)も、同学校の同窓会の計画、開催を機にピノーの趣旨に共鳴し、協力して資料収集、卒業生についての情報収集を行うこととなりました。しかし、1993年にピノーは死去。学校史の編纂も未完となった。1992年、コロラド大アーカイブはピノーとハドソンの史料を受け入れつつ、関連史料の収集の大規模な行いました。

 2000年4月よりはじまった史料収集プロジェクトは、この収集を引き継ぐ形で行われています。数多くの一次史料からなるピノーコレクション、ハドソンコレクションの管理、公開をはじめ、卒業生、教員たちの情報を収集。機関誌The Interpreterを刊行。計画の中心となっているのはディヴィッド・ヘイズ氏(David Hays)。彼は現在も数多くの卒業生達と連絡をとるかたわら、史料の収集、整備、公開を行っています。このサイトもヘイズ氏との協力のもとに構築されています。コロラド大学のこのプロジェクトサイトは今はなくなっていますが、プロジェクトと成果は継続的に公開されています。上記、The Interpreterは現在、オンラインで閲覧可能となっており、継続的に配信もされています→The Interpreter

所蔵資料の特徴

 海軍日本語学校の設立や歴史にかかわる一次史料を多数含んでいるのは、やはりピノーコレクションとハドソンコレクションです。設立にあたったヒンドマーシュの書簡、報告書類をはじめ、ハーバード大、カリフォルニア大と海軍とのやりとりについての史料も残されています。また、教材である長沼テキストのフルセット、ピノーが実際に授業で作成した補助教材など、教育素材についてもしっかりと残されています。当時の同学校の学生達で作成されていた日本語による同人誌The Flat Ironyは、日本語、日本人への尊敬と敵視とが複雑に織り込まれており、個人的には非常に関心をもった史料。

 むろんこれらは全体のごく一部にすぎません。この学校の出身者は日本、アジアに深くかかわった政治家、学者、経営者など多岐にわたっており、その一人一人についてのファイルを作成しつつあります。アジアでの戦場に多数派遣された彼等は、戦地での様々な写真資料もアーカイブに寄付しています。また、デジタル版として、インターネット上で公開されている機関誌The Interpreterは、卒業生や関連情報が適宜掲載されており、同学校や同窓生についての重要な情報が数多く含まれています。

JBCプロジェクトとの関係

 JBCプロジェクトは、アメリカ国内での日本語蔵書史にかかわる史料を収集していました。この調査で、コロラド大のアーカイブズは避けることの出来ない重要な位置を占めています。米国における日本語図書コレクションの成立、管理、成長の歴史をとらえるには、それらを作り上げてきた人々について知る必要があります。海軍日本語学校は、こうした人々、すなわち米国大学の日本学の研究者、日本学科の創設者を数多く輩出しています。むろん、日本語図書の収集に直接かかわったライブラリアンもです。

 日本人にとってもよく知られているサイデンスティッカー、ドナルド・キーンや、オーティス・ケリーといった面々はすべてここの出身。戦後の日本語図書館史関連で言えば、コロンビア大のフィリップ・ヤンポルスキーや、日本語図書のカタロギングルールの確立にも大きくかかわったUCバークレーのチャールズ・ハミルトンンも同じくこのコース出身です。また、日本占領期、バークレーの三井コレクション購入にあたったエリザベス・マッキノンや、同時期に日本語史料の収集にあたったフーバー研究所のイケ・ノブタカはこの学校の教員をつとめています。UCLAのアジア図書館の生みの親とも言うべきリチャード・ルドルフも同様です。

 このアーカイブからうかがえる日本語図書コレクションと、米国内での日本学、及び日本語教育との歴史的なかかわりの内には、実に多様な問題がはらまれています。これらの経緯の詳細については、JBCプロジェクトの調査の成果として詳しく報告する予定です。その成果は2006年度中をめどに現在準備中。

問い合わせ

 当サイトは、コロラド大学のオリジナルサイトを紹介したものです。当サイトの文責は和田にありますので内容についてのご意見は和田までお願いします。なお、アーカイブの所蔵資料自体についての質問や調査については、コロラド大学のオリジナルサイトをご利用ください。写真史料はコロラド大学アーカイブ所蔵JLS/ OLS Collection及びPineau Collectionのものです。同アーカイブの好意により、許可を得て掲載しています。

関連サイト

南カリフォルニア大学JLS紹介サイト

 JLSの紹介や出身者情報の整理等でコロラド大学のこのプロジェクトに協力しているサイト。


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