早稲田ラテンの杜
語学日誌
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連載
NHK教育テレビ『スペイン語会話』誌上で、2004年4月号より1年間連載してきた<嗚呼、君の名はスペイン語!>がおかげさまで無事?終了しました。以下のようなラインアップでした。振り返ってみるに、各回タイトルだけでは内容が必ずしもよくわからない場合があるので、簡単な紹介を付しました。可能であれば先々テキストをアップしたいと思います。【2005.04.04】
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<嗚呼、君の名はスペイン語!>
- 2004年4月号 「どうしてあなたはスペイン語なの?」──スペイン語が「スペイン」語という、スペインだけを思わせる名称で呼ばれることの問題性について。
- 2004年5月号 「スペイン語、画竜点睛す」──スペイン語の基礎中の基礎であるアルファベット・発音・アクセントについて。
- 2004年6月号 「音引きをめぐる攻防(アクセント外伝)」──スペイン語単語が外来語として日本語に入ってくる際のアクセントの移動について。
- 2004年7月号 「スペイン語に忍び寄る男女の影?」──スペイン語名詞の男女の区分から考えるジェンダー感覚について。
- 2004年8月号 「「水曜日の少年」とはだれか?(雑談?アラカルト)」──早口言葉・婉曲表現など、スペイン語の言葉遊びについて。
- 2004年9月号 「村上春樹をめぐる冒険・スペイン語編」──村上春樹作品に登場するスペイン語関連のエピソードについて。
- 2004年10月号 「嵐を呼ぶ活用!……を凌ぐための傾向と対策」──スペイン語動詞活用の困難さと、その克服について。
- 2004年11月号 「じゃあどんなスペイン語がいいの?」──スペイン語の語彙・表現の地域バリエーションについて。
- 2004年12月号 「スペイン語文法のトリビアを征す!」──英語とは異なるペイン語の細部のルール(の重要性)について。
- 2005年1月号 「seを斬る!」──目的格代名詞など、さまざまな用法を持つseについて。
- 2005年2月号 「至高の命令 !Ten! あるいはスペイン語映画の密やかな愉しみ」──スペイン語における命令表現の特色、および映画を通じたアプローチについて。
- 2005年3月号 「!Hasta siempre!」──スペイン語学習の意義と継続の必要性について。
本の紹介
読書メモ
読んだ本の印象的な部分を抜き書きしていく、ただそれだけのささやかな試みです。しかし願わくば、永田町界隈の空疎な「ワンフレーズ政治」よりはましな「ワンフレーズ学問」であれと(太字強調後藤)。 注)項数はあえて記してありません。関心があったら読んで探してみてください。
【あ行】
- 大津由紀雄、鳥飼玖美子『小学校でなぜ英語──学校教育英語を考える──』<岩波ブックレット・562>(岩波書店、2002年)【2005.04.04】
・「わたくしたちの考えを端的にいってしまえば、「英語によるコミュニケーション能力の育成」は、小学校にかぎらず学校英語教育一般の、本質的な目的ではないということです。/そもそも学校教育の第一義的目的は社会的必要性(ニーズ)に直接応えることではありません。現代日本社会が英語を自由に操ることができる人材を多く必要としているということは事実ですが、だからといって、その人材の育成を学校英語教育に直接求めることには議論の飛躍があります。それは、現代社会において、各種科学技術のために必要な数学的能力をもった人材が多く求められているからといって、そうした人材の育成を学校数学教育に直接求めることはしないのと同じことです」
・「コミュニケーションとは、なにも口頭での対話のみを意味するわけではなく、読むことも、書くことも、相互作用、インタラクションを伴う立派なコミュニケーションといえます。とくに二十一世紀社会はデジタル時代に入っており、インターネットでのコミュニケーションは日常的な活動となっています。……迅速に大量の英語を読んで理解し、必要な情報だけを選択し、即座に返事を英語で書いて電子メールで送る、という時代です。話すことだけに集中するのは、むしろ時代遅れともいえ、これからは国際共通語としての英語を自在に読み書きできる能力も問われることになっていきます」
【か行】
- 黒田龍之助『その他の外国語──役に立たない語学の話──』(現代書館、2005年)【2005.04.04】
・「[中学・高校の英語学習時間は]六年でせいぜい八一〇時間。本当はこれすらやってない。もし一日一〇時間勉強しようと決心すれば、三ヶ月足らずで終わってしまう。/外国語とはとても時間のかかるものである。この認識が一般に弱い。これがたとえば、ピアノの練習だったら、みんな納得する。八一〇時間しか練習しないで、ベートーベンやショパンが弾けないと嘆いたら、ピアノの先生から説教される。外国語だって本当はこれと同じなのだ」
【な行】
- 野崎歓「われわれはみな外国人である──『英語のたくらみ、フランス語のたわむれ』のための口上──」『UP』383号(東京大学出版会、2004年9月号)【2005.02.10】
・「しかし会話のみが前景化して、外国語で書かれた書物に必死にとりついて読み解こうとすることの意義が忘れられるとしたらとんでもない話しだし、何とももったいないではないか。……「会話」の練習を通して相手にできるのは、現在生きている人間だけだけれども、書かれた言葉を通して会話するならばその相手は何十年、何百年昔の人間にまで広がっていく」
・「……外国語をやることの面白さは、一部コミュニケーション論者がそう幻想しているように、言葉の「壁」がないかのようにふるまうことではなく、むしろ「外国人」になること、「外国人」であり続けることのうちに存するのではないか。……しかも外国語遣いになり、とにかくも言葉の境界を行き来するようになると、逆に僕らは自国語に対しても幾分か「外国人」たらざるをえなくなる。……言語とはすべて外国語であり、われわれはみんな外国人なのだ」
【や行】
- 山田雄一郎『英語教育はなぜ間違うのか』(ちくま新書、2005年)【2005.04.04】
・「母語の学習を観察してみよう。子どもは、周囲の大人たちの使う言葉を丸ごと模倣しているのではない。子どもの言語習得は、一見模倣的に見えるが、実際には常に論理を働かせながら取り組んでいる。……たとえば、私の子どもは、「きれいくない」という言葉を使ったことがある。……「きれいくない」は、大人の模倣ではない。これは、子どもが自分で発見したルールに従ってつくりだした言葉である。「おいしい−おいしくない」「おもしろい−おもしろくない」などを観察して、否定形のルールを抽出したのである。……/言語学習がルールに支配されているというのは、大切な視点である。子どもは、膨大な量の単語や文を一々覚えていたのでは大変だということを本能的に知っているのである。この点は重要で、外国語学習の場合にも十分考慮に入れなくてはならないことである。言語の学習とは、端的に言えば、ルールの学習なのである」
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