戦後60年の節目となる2005年の夏、今年もまたわたしたちは、広島・長崎の「原爆の日」を経て、敗戦(終戦)の8月15日を迎えた。60年という歳月はしかし、戦争の記憶が直接的な体験としては確実に薄れゆき、ますます忘却に脅かされていると実感するに十分な時間である。わたしたちは「時間」との戦いを否応なく強いられている。
過ぎゆく「時間」が記憶を脅かすように、遙か彼方に「距離」をおいて営まれる歴史の記憶もまた忘却に晒されている。もしくは、そもそも忘却「以前」の状況にある。そのいい例がラテンアメリカだ。ご存じのとおり、ラテンアメリカは日本から遠く離れている。わたしたちが彼の地について知りうることは、一般的レベルでは極めて限られているといわざるをえない。
試しに、世界史の教科書を思い浮かべてみよう。1492年のコロンブスによる「新大陸発見」まで遡るものの、19世紀前半の共和国独立、1898年の米西戦争、そして1959年のキューバ革命へと、ラテンアメリカの歴史はなんと大胆な「ジャンプ」を見せていることか。あたかもその間には、まったく何ごともなかったかのように。
ラテンアメリカの現代史が、本公演『谷間の女たち』の背景である、1970〜73年のチリの出来事までたどり着いているならまだしも幸いだ。その後のニカラグア革命(1979年)、米軍のグレナダ侵攻(1983年)・パナマ侵攻(1989年)、NAFTA(北米自由貿易協定)発効の日に武装蜂起したメキシコ・サパティスタ運動(1994年〜いまだ継続中)に至っては、たとえば現在の大学生のあいだでどれほど認知されているかと問われれば、かなり疑わしいと答えざるをえない。そして彼らの多くは、上記チリからメキシコまでの事件のすべてに、米国が直接的・間接的に関わっていることも、ほとんど知らないのだ。
しかし、「時間」にしても「距離」にしても、わたしたちと歴史とを隔てる決定的な要因では必ずしもなく、じつはメディアによって左右される側面も大きいことは知っておくべきだろう。1945年の敗戦より過去の歴史である幕末維新の記憶が、「雄々しい」志士のイメージとともに定着しているのは、ゆえなきことではない。あるいは、米国については、距離的には十分離れているといえるにもかかわらず、ホワイトハウスでおこなわれていたという元大統領の低俗な不倫スキャンダルについてさえ、わたしたちはこと細かに知らされているというこの実態……。
2001年に米国で発生した同時多発テロは「9.11」の呼び名で長く人類史に記憶されていくことになりそうだが、思い起こせば、1973年のチリのクーデターもまた9月11日であった。新旧の「9.11」は、日付はおろか曜日が火曜日であることまで完全に符合するのだが、このことは日本ではほとんど話題にならなかった。チリの悲劇は、「時」と「距離」と、そしてメディアによって忘却の彼方に追いやられかけたのである。
そのような日本のメディア状況のなかで、この偶然の一致が持つ意味に触れていたのが、アリエル・ドーフマン(スペイン語読みでは、ドルフマン)の記事であった。そしてドーフマンは、そのなかで次のように述べていた。
「米国人たちが経験しつつあるこの事態[同時多発テロ]には、何か恐ろしいほど身近な、私はこれを知っていると認めてもよいくらいの何かがある……。あの一九七三年九月十一日以降、我々が生きてきた辛酸、悲痛、困惑と響き合う、ちょうどこれと平行する苦しみ、似通った痛み、同種の方向喪失感である。……生きながらの死、つまり失踪というものの意味するところ、我々の愛する彼や彼女の生死について確証を得られぬまましかし葬ることもできない状態が何を意味するか、国を挙げて垣間見るに至った米国がそこにいる」(「九月十一日は米国の独占物ではない」『世界』2001年12月号。強調はドーフマン)
ニューヨークでは、世界貿易センタービルの倒壊によって、いったい何人の人が遺体なきまま現在に至っているのだろう。チリの首都サンティアゴでは、クーデターの最中の、次いでクーデター後のピノチェット独裁下での人権侵害によって、いったいどれくらいの人がいまだに行方不明なのだろう。テロとクーデターと形は違いこそすれ、2つの事件は「愛する彼や彼女の生死について確証を得られぬまましかし葬ることもできない」という点で、大いなる共通点を持っているのである。
ドーフマンのおかげで、わたしたちは新旧の「9.11」が単なる日付の符合以上のものであることを知る。2001年の「9.11」と重ね合わせられることで、1973年の「9.11」は時空を越えて現代に甦った。この「もうひとつ9.11」の存在により、2001年の出来事はけっして一回かぎりのことではなく、繰り返された悲劇にほかならないことを、わたしたちはよりよく理解する。そしてさらに、じつは世界には「無数の9.11」と呼ぶべきものが存在していることも、リアリティをもって受け止めることができるのだ。「時間」と「距離」による忘却に抗って記憶を新たにすることには、じつにこれだけの意味があるにちがいない。
ドーフマンの期待とは裏腹に、米国は「9.11」の痛みを他者と分かち合うことができず、アフガニスタンに、そしてイラクに侵攻した(チリの「9.11」にはほかならぬ自分たちが関与していたという事実は、たいへん残念なことに米国の教訓とはならなかった)。しかしながら、このことはあながち他人事でもないだろう。「9.11」ならぬわたしたちの「8.15」は、昨今益々、自民族中心的な愛国主義の雰囲気を醸成している。それは、平和を願う多くの日本人が共有する「8.15」の記憶に反するばかりか、この日付を解放の日と受けとめる、アジア諸国に偏在する「無数の8.15」とおよそ相容れない。「自虐史観」批判や「民族の誇り」といった愚論とはおよそ対極にある人類の英知が、「8.15」においても重ね合わせられなければならない。
【2005.10.26】脱稿後、佐藤卓己『八月十五日の神話──終戦記念日のメディア学──』(ちくま新書、2005年)を読んだ。国際法上の戦争終結である休戦協定が結ばれた9月2日ではなく、ほかでもない8月15日が「終戦記念日」として定着してゆく過程を子細にたどった好著。つまり、私もまた「八月十五日の神話」にとらわれていることを認識させてくれたという次第。しかし、8.15の前提がなくなると稿のプロット自体が崩壊してしまうので(笑)、脱稿後ということもあり、さすがに書き改めることができなかった。日々是勉強。