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「比較文学年誌」 早稲田大学比較文学研究室 第34号
(平成十年三月二十五日発行) 所収

「海鼠の様な文章」とは何か
      ――『吾輩は猫である』と〈アナトミー〉

安藤 文人

一、『猫』とジャンル
二、「普通の小説」と「海鼠の様な文章」
三、〈アナトミー〉との遭遇
四、ジャンルの自覚
五、海鼠になった猫

   一、『猫』とジャンル

 『吾輩は猫である』が一体どのような散文ジャンルに属するのか、という問題については、これまでも数多くの論及がなされてきた。例えば大岡昇平氏は小説でも詩でもない〈文〉というジャンルの存在を指摘し(1)、『猫』をその範疇に置いている。それを踏まえて柄谷行人氏は漱石の〈文〉が「さまざまなジャンルを含んで」いる点を強調し、さらにノースロップ・フライによるフィクションの分類に依拠しながら「ペダンチックな対話があり、百科全書的な知識の披瀝がある」『猫』が〈アナトミー〉であることを明示した(2)。またそれとほぼ同時に伊藤誓氏は『猫』をロレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』と並べ、二つの作品が共に〈メニッポス的諷刺〉としてのジャンル的要件をかなり満たしていることを、バフチンがこのジャンルの特徴として示した十四項目と綿密に照らしあわせて検証している(3)。詳説は避けるがこの指摘が妥当であることは、その十四項目の中に例えば「笑いの要素の比重が高くなっている」「珍しい話、手紙、演説、饗宴といった挿入ジャンルの広範な利用を特徴とする」「挿入ジャンルの存在によって、多文性、多調性が強化される」「時局評論的な性格」などの特徴(4)が含まれていることからも窺えるだろう。
 この〈メニッポス的諷刺〉は、ジャンル論の上ではノースロップ・フライの言う〈アナトミー〉とほぼ同義と見なしてよい。(フライは〈メニッポス的諷刺〉という言葉が「扱いにくく、現代では誤解されやすい」という理由により、このジャンルの代表的な作品であるロバート・バートンの『憂鬱の解剖』[Anatomy of Melancholy,1621]から採って〈アナトミー〉をジャンルの名称としたと述べている。)このジャンルの特徴としてフライは、登場人物の対話や会話を軸として展開することが多い点や単一のプロットを持たず脱線が多い事なども挙げているが(5)、これらも『猫』にそのままあてはまる事柄である。柄谷氏が「大切なのは、漱石がアナトミーを『文』と見なしていたことであり、『文』を書こうとしたということである」(6)と述べていることを加味すれば、〈アナトミー〉、〈メニッポス的諷刺〉そして〈文〉というジャンル呼称が、それぞれほとんど同一の内容を指していることは疑えない。『猫』のジャンルをめぐる議論はおおよそひとつの方向に収束しつつある。つまり『猫』は小説やエッセイといった単層的な散文ジャンルに収まるものではなく、「多様な散文ジャンルの混成」そのものをジャンル的特質とするような包括的な(分類としてはレベルの違う)ジャンルを用意してやっと落ち着き所を見いだすような作品なのである。


   二、「普通の小説」と「海鼠の様な文章」

 それでは、漱石自身は「何を」書いているつもりだったのだろう。できあがった『猫』という作品が〈アナトミー〉もしくは〈メニッポス的諷刺〉というジャンルに入れられるとしても、漱石自身はそのようなジャンルの存在を知っていたのだろうか。それともまったくの偶然によって〈アナトミー〉を書いてしまったのだろうか。
 もちろんその前の問題として、漱石が〈ジャンル意識〉なるものを持って『猫』を書いたのかどうか、という点を考えなければならないだろう。『猫』の成立事情、つまり虚子から朗読会「山会」のための原稿を依頼され、それが「ホトゝギス」に掲載されて更に連載を求められることになったという経緯を重視すれば、そこに作者の周到な作意を求めるのは難しいかもしれない。実際明治四十年に採られた談話「時機が来てゐたんだ――処女作追懐談」において漱石は「私の処女作――と言へば先づ『猫』だらうが、別に追懐することもないやうだ。たゞ偶然あゝいふものが出来たので、私がさういふ時機に達して居たといふまでである」(7)などと発言している。これを正直な述懐と受け取って『猫』が「偶然」に、自然発生的に生まれたのだという見方に立てば、漱石の〈ジャンル意識〉などを詮索すること自体が無意味に思われるかもしれない。
 しかし、自覚の度合いに深浅はあるにせよ、いかなる〈ジャンル意識〉も持たずに人はまとまった文章を書くことができるものだろうか。いわゆる落書きを別にすれば、「何を書くか」という意識は常に「書く行為」に先行して存在する。そしてその「何を書くか」という意識の中には常に広い意味での〈ジャンル意識〉が含まれているものではないだろうか。実際、明治三十八年十月に刊行された『吾輩ハ猫デアル〔上編〕』の序文――漱石が『猫』について公に言及した最初の文章――において、漱石は自らの〈ジャンル意識〉を明らかにしている。
  「吾輩は猫である」は雑誌ホトゝギスに連載した続き物である。固より纏つた話の筋を読ませる普通の小説ではないから、どこで切つて一冊としても興味の上に於て左したる影響のあらう筈がない。然し自分の考ではもう少し書い た上でと思つて居たが、書肆が頻りに催促をするのと、多忙で意の如く稿を続ぐ余暇がないので、差し当り是丈を出版する事にした。
        (中略)
  此書は趣向もなく、構造もなく、尾頭の心元なき事海鼠の様な文章であるから、たとひ此一巻で消えてなくなつた 所で一向差し支へはない。又実際消えてなくなるかも知れん。
(8)       
 「普通の小説ではない」という言葉は決してその場の思いつきで書かれたものではない。この文章を裏返して読めば、漱石は「固より纏つた話の筋」を読ませ、趣向や構造、そして「尾頭」をもつことが「普通の小説」のジャンル的な要件だと考えていることになるのだが、これは明治期の日本に紹介された〈ノヴェル〉の訳語としての〈小説〉の概念に忠実に沿ったものである。例えば坪内逍遙は『小説神髄』の中で「小説を綴るに当たりて最もゆるやかにすべからざることは、脈絡通徹といふ事なり」と述べ、小説は例へば実録、紀行文と異なって、「首尾常に照応せざるべからず。前後かならず関係なかるべからず。若し本と末と聯絡なく、原因と結果と関係なくんば、之れを小説といふ可らず」(9)と断言している。これを漱石の「序」とつきあわせて見るならば、確かに「趣向も構造」も欠いた『猫』には「脈絡通徹」など望むべくもないし、また「尾頭」も心元ない文章が「首尾常に照応」するはずもない。つまり一貫したプロットの存在という「普通の小説」のジャンル的要件を十分に踏まえた上で、漱石は『猫』を「普通の小説ではない」としたのである。
 もっとも、「普通の小説ではない」という言葉はいささか曖昧かもしれない。 つまり、漱石は『猫』を「普通の小説」ではないにしろやはり〈小説〉の範疇に留めてその異端型と考えていたのか、それとも〈小説〉ではない別のジャンルのものであると考えていたのか、ここだけでは判断がつかないからだ。もちろんそれこそ「普通」に読めば前者ということになるだろうが、引用部の後段で「此の書」が「海鼠の様な小説」ではなく、「海鼠の様な文章」であるとして、〈小説〉という名指しを避けたところに注目すると、そこに漱石の『猫』に対する微妙な〈ジャンル意識〉が働いているようにも思われるからである(10)。従って問題はここで「普通の小説」と対立的に置かれた「海鼠の様な文章」という言葉が〈小説〉とは別個のジャンルを示すものか否か、もしそうならばそれはいかなるジャンルなのか、ということになる。


   三、〈アナトミー〉との遭遇

 よく知られていることではあるが、漱石が「海鼠」という言葉を用いて文学作品を形容したのはこの『猫』の序文が最初ではない。明治三十年「江湖文学」に発表した評論「トリストラム、シヤンデー」の中で、漱石はロレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』の作品構造(と言うべきか構造の欠落)について次のように書いている。
(〔引用者注〕サッカレーの『虚栄の市』は)仮令主人公なきにせよ、一巻の結構あり、錯綜変化して終始貫通せる脈絡あり、「シャンデー」は如何、単に主人公なきのみならず、又結構なし、無始無終なり、尾か頭か心元なき事海鼠の如し、彼自ら公言すらく、われ何の為に之を書するか、須らく之を吾等に問へ、われ筆を使ふにあらず、筆われを使ふなりと、瑣談小話筆に任せて描出し来たれども、層々相依り、前後相属するの外、一毫の伏線なく照応なし、(後略)(11)

 「尾か頭か心元なき事海鼠の如し」という一致した形容だけでなく、「結構なし」や「無始無終なり」、「一毫の伏線なく照応なし」など、ここには『猫』上篇「序」と類似した表現を見ることができる。つまり漱石はかつて『トリストラム・シャンディ』を語ったのとほとんど同じ様な言葉で『猫』を語っているのである。これが『トリストラム・シャンディ』の『猫』への影響を示唆する有力の根拠となっていることは言うまでもないし、柄谷行人氏をはじめジャンル的近接という面から両者の関係を取り上げる論もすでにある。またこの『トリストラム・シャンディ』が、〈アナトミー〉の系譜に連なるものであることから、鈴木健三氏のように「漱石がフライに先んじて、『トリストラム・シャンディ』のアナトミー性に気付いていたことが明らか」(12)であるとする見方も生まれてくる。少なくとも、漱石が『猫』より以前に〈アナトミー〉のジャンルに属する作品に出会い、それを我が国に最初に紹介するべく筆を費やしただけではなく、その作品の〈アナトミー〉的性格にまで言い及んでいることは確かである。その性格を最も端的に表してみせた言葉が「海鼠」だということになる。
 しかし、漱石は『猫』を書くまで、ただ『トリストラム・シャンディ』という〈アナトミー〉しか知らなかった訳ではない。漱石はこの評論「トリストラム、シヤンデー」を書く過程において、もしくはそれに先立つスターン研究の中で、『トリストラム・シャンディ』のジャンル的な先行作品として幾つかの〈アナトミー〉をすでに発見していたのである。
 例えば、この評論で漱石は『トリストラム・シャンディ』に対する過去の評価を次のように概観している。
  さはれ「スターン」を「セルバンテス」に比して、世界の二大諧謔家なりと云へるは「カーライル」なり、二年の歳月を挙げて其書を座右に欠かざりしものは「レツシング」なり、渠の機知と洞察とは無尽蔵なりといへるは「ギヨーテ」なり、生母の窮を顧みずして驢馬の死屍に泣きしは「バイロン」の謗れるが如く、滑稽にして諧謔ならざるは「サツカレー」の難ぜしが如く、「バートン」「ラベレイ」を剽窃する事世の批評家の認識するが如きにせよ、兎に角四十六歳の頽齢を以て始めて文壇に旗幟を翻して、在来の小説に一生面を開き、麾いで風靡する所は、(後略)(13)
 
 漱石がこの評論を書いた十九世紀末においては、スターンは一般にあまり高い文学的評価を得てはいなかった。これはひとつには、性的なほのめかしの多い文章がヴィクトリア朝の道徳的規範に合わなかったためであり、もうひとつには『トリストラム・シャンディ』の記述に含まれる過去の文学作品からの〈引用〉が「剽窃」だされて非難を浴びためである。では、漱石はこの「『バートン』『ラベレイ』を剽窃する事世の批評家の認識するが如き」とした記述の根拠を漱石は何から得たのだろうか。この評論を書くにあたって漱石が参看した文献についてはすでに坂本武氏による考察(14)があるが、漱石自身もスターンの文体を論じるくだりで二人の英国の研究者の名を挙げている。
 「スターン」の文体に就ては、諸家の見る所必ずしも同じからず、「マッソン」は彼が豊腴なる想像を称して、其文体に説き及ぼして曰く、彼の文章は精確にして洗練なるのみならず、嫺雅優美楚々人を動かす、珠玉の光粲として人目を奪ふが如しと、「トレール」の意見は之と異にして、「スターン」は唯好んで奇を衒ひ怪を好むに過ぎず、文体といふ字義を如何に解釈するとも、彼は自家の文体を有する者にあらずといへり、(後略)(15)
「マッソン」(David Masson)の論は『英国小説家とその文体』(British Novelishts and their Style,1859)から引用したものだが、これは書名からも分かる通りスターンを単独で取り上げたものではない。「トレール」(Henry Duff Trail)の引用の方は『英国文人叢書』(English Men of Letters)という評伝叢書の一冊として書かれた『スターン』(Sterne, 1882)から採られたものである。これは漱石がスターンについて何か書こうとすれば当然参看すべき評伝ではあったが、引用部からもわかるように十九世紀のスターン評価を反映して批判的な論調が目立つものとなっている。全十一章の内八章までがスターンの伝記に割かれ、残りの三章が評論に当てられているが、その内容を目次から引いて示しておこう。
Chapter IX (pp.126-138)
 Sterne as a Writer.---The Charge of Plagiarism.---Dr.Ferriar's   "Illustrations"
Chapter X (pp.139-163)
Style and General Characteristics.---Humour and Sentiment

Chapter XI (pp.164-173)
Creative and Dramatic Power.---Place in English Literature
(16)
 漱石が「トリストラム、シヤンデー」で引用したのは第十章でスターンの文体を論じた部分だが、〈アナトミー〉との関係から注目する必要があるのは「作家としてのスターン――剽窃に対する非難――フェリア博士の『解明』」と題された第九章である。このフェリア博士(Dr. John Ferriar)とは、まだスターンに対する一般の評価が高かった一七八九年に『スターンの解明』(Illustrations of Sterne)なる文章を発表し、『トリストラム・シャンディ』における過去の文学作品からの「剽窃」を徹底的に暴いた人物である。トレイルも基本的にはフェリア博士の『解明』を受けてスターンを論じているのだが、それによればスターンが最も頻繁に盗んだのがロバート・バートンの『憂鬱の解剖』であり、次がラブレーということになる。従って漱石の評論に言うスターンの剽窃を認識する批評家とは、まずこのトレイルであり、またそこに紹介されたフェリア博士ということになるだろう。もちろん、他に漱石が参考にしたと思われる研究書、例えばクロス(Wilbur L. Cross)の『英国小説の展開』(The Development of the English Novel,1899)などにも、スターンが紹介される際にはお決まりのようにこの「剽窃」の問題が取り上げられ、その中でバートンとラブレー、またセルバンテスの名が繰り返されている。従って漱石は『トリストラム・シャンディ』とこれらの文学者との関わりについての知識は当然あったものと思われる。
 しかし、『トリストラム・シャンディ』とこれらの文学者の作品との関係は、単に「剽窃」作と「種本」のそれに終わるものではない。バートンの『憂鬱の解剖』はもちろんのこと『ガルガンチュアとパンタグリュエル物語』も、そして『ドン・キホーテ』さえも、ノースロップ・フライが指摘するように皆〈アナトミー〉的性格を備えた文学作品だからである。スターンがフェリア博士やトレイルに「剽窃」を非難されたのは、過去の書物から〈引用〉しながらもその原典を明示せず、あたかも自分の文章のように書いてしまったためである。しかし、仮にその点は非難に値するにしても、例えば彼が「剽窃」したとされるバートンの『憂鬱の解剖』自体、古代ギリシャ・ローマを中心とする過去の文人や哲学者からの〈引用〉によって専ら作り上げられている。というよりも、この〈引用〉こそが、〈アナトミー〉というジャンル作品における、最も顕著な手法のひとつなのである。
 例えばスターンがバートンからどのように「剽窃」したのか、『トリストラム・シャンディ』の一節と、その「種本」である『憂鬱の解剖』の一節を並べてみよう。
  Who made Man, with powers which dart him from earth to heven in a moment---that great, that most excellent, and most noble creature of the world---the miracle of nature,as Zoroaster in his book called him---the SHEKINAH of the divine presence, asChrysosotom---the image of God, as Moses---the ray of divinity, as Plato---the marvel of marvels, as Aristotle---to go sneaking on at this pitiful---pimping---pettifogging rate?
                 (Tristram Shandy, Vol.V Ch.1)
(17)
地上から天上へと瞬時に飛翔する力を持つ、かの偉大なる存在、この世で最も優れ、かつ高貴なる生物であり、ゾロアスターの『自然論』では自然界の奇蹟と呼ばれ、クリソストムには神の顕現する御座と、モーゼには神の現し身と、プラトンには神威の光と、そしてアリストテレスには神秘の中の神秘とまで呼ばれた――ああ、その人間がどうしてこんな風にみじめにも誰かの腰巾着となって屁理屈をこね回さなければならなくなったのでしょうか。一体誰のせいでこんなことになったのでしょうか。
(『トリストラム・シャンディ』第五巻第一章)

 MAN, the most excellent and noble creature of the World, the principal and mighty work of God, wonder of Nature, as Zoroastercalls him; audacis naturoe miraculum,the marvel of marvels, as Plato; the Abridgement and Epitome of the World, as Pliny; a Microcosm, a little world, Sovereign Lord of the Earth, Viceroy of the World, sole Commander and Govenor of all the Creatures in it:
Anatomy of Melancholy, The First Partition)
(18) 
  
 人間、それはこの世で最も優れ、かつ高貴なる被造物である。ゾロアスターによればそれは神の最高傑作、自然界の奇蹟、プラトンによれば神秘の中の神秘、プリニウスによればこの世界の精髄であり縮図である。それは小なれど宇宙であり、小なれど世界そのものである。それは地上の最高君主であり、世界の頭領であり、地球の全生物を統べる唯一の指揮官にして総督である。
         (『憂鬱の解剖』第一分節冒頭より)
スターンはここでプラトンの言葉をアリストテレスの言葉として誤って「剽窃」してはいるのだが、確かに「人間」の定義を並べる際に彼がバートンの著作を参照し、一部をそこから借用したことは間違いないし、その借用先を示さなかったという点でこれを「剽窃」と呼ぶのも仕方ないかもしれない。しかし、繰り返し強調しておく必要があるのは、スターンが「剽窃」したバートンの作品自体が、すでに過去の哲人達などからの〈引用〉によって成り立つ典型的な〈アナトミー〉であるという点だ。この部分だけではない、実際『憂鬱の解剖』は、引用元を明示しているという点で「剽窃」とは呼べないにしても、全編がこのような〈引用〉に埋め尽くされている。スターンがバートンから盗んだものがあるとすれば、それは単なる文章の断片だけではない。〈引用〉によってテクストを織り上げるような〈アナトミー〉の編集的記述方法をもスターンは盗んでいる訳である。
 トレイルの評伝では、この「剽窃」部分について次のようなスターン批判が展開されている。
  But it seems clear enough that Sterne himself was troubled by no conscientious qualms on this subject. Perhaps the most extraordinary instance of literary effrontery which was ever met with is the passage in vol.V.c.1, which even that seasoned detective Dr.Ferriar is startled into pronouncing "singular." Burton had complained that writers were like apothecaries, who "make new mixtures everyday," by "pouring out of one vessel into another." "We weave," he said,"the same web still, twist the same rope again and again." And Sterne incolumi gravitate asks:"Shall we forever make new books as apothecaries make new mixtures,by pouring only out of one vessel into another? Are we forever to be twisting and untwisting the same rope, forever on the same track, forever at the same pace?" And this he writes with the scissors actually opened in his hand for the almost bodily abstraction of the passage beginning,"Man, the most excellent and noble creature of the world!" Surely this denunciation of plagiarism by a plagiarist on the point of setting to work could only have been written by a man who looked upon plagiarism as a good joke. (19)

 しかしスターン自身はこの件(引用者注:出典を明らかにせずに借用すること)について何ら良心の呵責に悩まされなかったことは確かだ。第五巻第一章の文章などは、文学者のあつかましい居直りの例としても最も極端なものかも知れない。これには、調査官としては物分かりの良い方のフェリア博士も驚いて「異様だ」と口にしている。バートンは(『憂鬱の解剖』の中で)「著作家は薬剤師のようなもので」「毎日ひとつの器から別の器へと移し替え、混ぜ合わせて新しい水薬を作っているに過ぎない」と不満を漏らし、「我々はいつも同じ織物を織り、同じ綱を何度も何度も綯っているのだ」と言っている。そして、スターンはと言えば、心から真面目ぶってこう問うているのだ。「私たちは、いつまでもちょうど薬剤師がひとつの器から別の器へと移し替え、混ぜ合わせて新しい水薬を作るように、新しい本を作り続けることになるのでしょうか。いつまでも私たちは同じ綱を綯ってはほどき、ほどいては綯いし続けるのでしょうか。いつまでも同じ道を同じ速さで歩き続けることになるのでしょうか?」 しかし、こう書きながらも彼は手に持ったハサミを広げて、「人間、この世で最も優れて高貴な創造物!」に始まる(『憂鬱の解剖』の)一節を、これからほとんど丸ごと切り取ろうとしているのである。ここでは剽窃者自身が剽窃を告発している、それもまさに剽窃に取りかかろうというときに告発している訳で、こんなことは確かに剽窃行為を面白い冗談と考えているような男にしか書けなかっただろう。
 確かにスターンは剽窃を嘆く文章自体をバートンから「剽窃」している訳で、トレイルが呆れ返るのも無理はないかも知れない。しかし同時にこれは少々生真面目すぎる、といおうか、いかにも十九世紀の評論家らしい意見、つまり芸術においてオリジナリティとか個人の才能を過度に尊重する傾向のあったロマン主義以降の人間の見方だという気もしないではない。大体「剽窃」されたバートン自身、ここでトレイルほど真剣には、「ひとつの器から別の器に移し替えるだけで混ぜ合わせて薬を作る薬剤師」のような著作家を非難している訳ではないだろう。なにしろ当人が今書きつつある『憂鬱の解剖』の中では徹底してそのような「薬剤師」となっているのだから、この部分はかなり韜晦した形での自作弁護として読む必要がある。また同時に、それは過去の作品から引用し、それを「混ぜ合わせ」る、あるいは織り合わせることで新しい言葉の織物=テクストを作り上げようとする〈アナトミー〉の手法自体に対する弁護でもあるかもしれないのだ。従って、スターンが自分のテクストを織り上げようとしてバートンから「剽窃」したのも、バートンの手法を正しく受け継ぎ、過去から脈々と連なる〈アナトミー〉の伝統に従っただけであるとも言える。むしろ十九世紀人であるトレイルの方が、「剽窃」に関わる「良心」の問題にこだわるあまりにバートンの『憂鬱の解剖』のジャンル的特質、言わば〈アナトミー〉性を見逃してしまっているのである。
 では、このトレイルのスターン論を読んだ漱石はどうだったのだろうか。少なくとも漱石は、トレイルのように倫理的な見地からスターンの「剽窃」を糾弾しようとはしなかった。評論の末尾で「『スターン』の剽窃を事とせるは諸家定論あり、こゝには説くべき必要もなく、又必要ありとも参考の書籍なければ略しぬ」(20)とあっさり述べて済ませていることからしても、十九世紀のスターン批評の定番とも言える「剽窃」批判から漱石が距離を置こうとしていたことは確かである。むしろ、漱石はトレイルのスターンの批判から、逆に『トリストラム・シャンディ』と『憂鬱の解剖』の近接の方を強く印象付けられた可能性がある。さらに言えば、漱石はスターンの「剽窃」問題から遡行する形で、〈引用〉によってテクストを織り上げていくような編集的記述方法と、またそれを共有する文学作品の系譜に気付いたのかもしれない。つまり、トレイルの評伝を経由して、漱石が具体的な作品の系列としても、また記述の手法としても、〈アナトミー〉というジャンルの存在に気付いたとも推測できるのだ。
 もちろん、漱石が〈アナトミー〉という「ジャンル名称」をフライに先んじて用いていたとここで言うつもりはないし、実際そのような言及例もない。しかし、この後も漱石が「アナトミー」と題された作品に対して興味を示していたことは事実だ。例えば、漱石は『猫』を連載中、次のような断片を手帳に記している。
 Analysis of laughter
 Anatomy of melancholy
 Anatomy of absurdities
(明治三十八、九年「断片三十二F」)
(21)
 二行目の 'Anatomy of melancholy'は言うまでもなくバートンの『憂鬱の解剖』の原題であり、三行目の 'Anatomy of absurdities' は十六世紀英国の文人であるトマス・ナッシュの作品(『愚行の解剖』)である。ただし、一行目の 'Analysis of laughter' が何を指すのかはいまだ分からない。従って安易な推測は避けるべきなのだが、'analysis' という語が「分析、解体、解剖」を意味するものとして 'anatomy' とほぼ同義的に用いられることだけは留意する必要があるだろう。もちろんこの断片を以て漱石が〈アナトミー〉を散文の一ジャンルとして明確に把握していたと言うことはできない。しかし、この断片が単に戯れに書かれたものでないことは、ほぼ同時期にノートに記した英国の散文作品の流れを示すメモの中に次のような記述があることからも分かる。
 T. Nash――Anatomy of Absurditie (Stubbes Anatomy of Abuses 1583)etc(22)
  'Anatomy of Abuses '『悪口の解剖』とは、十六世紀英国のパンフレット作者であるフィリップ・スタッブスが当時の社会の悪風を非難した文章であり、トマス・ナッシュの『愚行の解剖』はそれに対する反論とした書かれたものだとされている。しかし、これはバートンやナッシュの〈アナトミー〉に比べれば、知名度の遙かに低い作品である。それをわざわざナッシュの書名と並べて書き加えた点、更にこの記述の末尾に 'etc'(等々)と記されている点を考えると、この時期(明治三十八年から明治三十九年の間)の漱石が 'anatomy'と題された作品群の存在を意識していたことは確かである。明治三十年に評論「トリストラム、シヤンデー」を著す過程において出会った〈アナトミー〉への関心が、『猫』を執筆していたこの時期まで持続していたと言ってもよいだろう。
 直接〈アナトミー〉という言葉が現れている訳ではないが、『猫』と〈アナトミー〉のジャンルとのつながりを示す根拠は他にもある。例えば、漱石は明治四十二年、ヤングという外国人から求められて贈った『猫』上編の扉見返しに次のような英文の献辞を残している。
  Herein, a cat speaks in the first person plural, we. Whether regal or edi-torial, it is beyond the ken of the author to see. Gargantua, Quixote and Tristram Shandy, each has had his day. It is high time this feline King layin peace upon a shelf in Mr Young's library. And may all his catspaw-philosophy as well as his quaint language, ever remain hieroglyphic in the eyesof the occidentals!(23)
        
  此書に於いては、とある猫が一人称複数'we'を以って語っている。この'we'が、君主の用いる'we'であるか、それとも編集者の用いる'we'であるかは、到底著者の理解の及ぶところではない。ガルガンチュアも、ドン・キホーテも、トリストラム・シャンディも、それぞれ己が全盛を楽しんだ。この猫の王もそろそろヤング氏の書架に収まって平穏裡に暮らしても良い頃だ。そして願わくはその珍妙なる言辞と猫足で集めた哲学が西洋人の目には永遠に判読し難きものに終らんことを! 
 塚本利明氏は早くからこの献辞に注目し、「漱石自らこの作品(『猫』)が『ガルガンチュア』『ドン・キホーテ』『トリストラム・シャンディ』の系列に属することを示唆」するものであると指摘(24)している。特に『トリストラム・シャンディ』について言えば、他の二作品と比べて格段に知名度が低いにもかかわらずここに名前が挙がっていることを考えると、漱石が『猫』とこの作品の間に特段の類縁を認めていた事は疑えない。他の二作品の名前がさきに挙げた評論「トリストラム、シヤンデー」の中にすでに挙げられていることをここで思い出しておく必要があるだろう。あるいは漱石の頭にはまず『トリストラム・シャンディ』の名が浮かび、さらにそのジャンル的類縁をたどって『ガルガンチュア』や『ドン・キホーテ』を想起したのかもしれない。もちろん、この作品の系列をそのまま〈アナトミー〉の系譜として漱石が捉えていたと断定することはできない。単純なところから言えば、三つの作品はいずれも「笑い」を基調としている点で『猫』と同じ範疇に入るし、自意識的な語り手が登場するという点でも似通っている。(もっとも、それらの特徴自体は〈アナトミー〉のジャンル的性格に合致しているのだが。)
 ただし、この献辞でもうひとつ気に掛かるのは、最後の文にある 'his catspaw-philosophy' という表現である。ここでは仮に「猫足に集めた哲学」と訳してみたが、この 'catspaw' なる語は文字通り「猫の足」という意味の他に、「ある目的を果たすための他人の手先として使われる人間」(25)という意味がある。この語義に沿って 'his catspaw-philosophy' という表現を読み改めれば、『猫』の「哲学」が自らの独創になるものではなく、他の人間を手先に使って「借り集めた」ものであるという意味にも解せられないではない。もちろん、ここは塚本利明氏のように「猫の手にある哲学」とだけ解するのが普通であろうし、また竹盛天雄氏のように「『猫』が手先につかわれて語る『哲学』」(26)という意味にとることもできるのだが、'philosophy' が『猫』に横溢する様々な衒学的記述を指すとすれば、漱石がここで、それらが他人の書物から「借り集めた」ものである、つまり〈引用〉に過ぎないことをほのめかしているのではないかとも推測したくなる。『トリストラム・シャンディ』などこの献辞に登場する作品がやはりいずれも〈引用〉の手法を駆使したものであることを考え合わせると、ここにも『猫』の〈アナトミー〉性に対する漱石の意識が漏れ出ているのかもしれない。


   四、ジャンルの自覚

 もちろん、幾ら傍証を積み重ねてみてもそれが決定的な証拠に変わる訳ではない。確かに「海鼠」という形容で『猫』と『トリストラム・シャンディ』はつながり、また〈アナトミー〉性という点で『トリストラム・シャンディ』は「ガルガンチュア」や「ドン・キホーテ」と同じジャンル的性格を有している。また漱石は『猫』の連載中、片方で 'anatomy' を題名に含む作品に関心を抱いており、実際『猫』で『トリストラム・シャンディ』や『ガルガンチュア』、またカーライルの『衣装哲学』といった〈アナトミー〉作品からの引用や言及が多くなされている。更に、後で取り上げるように『猫』の「十一」では先に挙げたナッシュの〈アナトミー〉である『愚行の解剖』が登場することにもなる。ただし、漱石が『猫』を指して〈アナトミー〉と呼んだ事実だけはないし、また前述のようにジャンル名称として〈アナトミー〉という語を用いた例もない。漱石が「普通の小説」と対立する「海鼠の様な文章」の系譜を自覚していたとはいえ、それが漱石の意識の中で〈アナトミー〉という名のジャンルとして捉えられていたと考えることはできないのだ。確かに、ここには輪がひとつ欠けている。
 従って、漱石がはじめから〈アナトミー〉として『猫』を書いたなどと決めつけることなどできようもない。そこに〈ジャンル意識〉を求めるならば、例えば「山会」での朗読用に原稿を依頼された時点では、「写生文」として『猫』を書いたのかもしれないし、また大岡昇平氏の指摘するように「文」というジャンルがそこで意識されていたのかもしれない。ただし、先に挙げた談話「時機が来てゐたんだ――処女作追懐談」の中で漱石は「たゞ書きたいから書き、作りたいから作つたまゝで、つまり言へば私があゝいふ時機に達して居たのである」などと言う一方で、続けて「もつとも書き初めた時と、終わる時分とは余程考が違つて居た」(27)と漏らしている。この「違つて」きた「考」とはどのような「考」だったのかは分からないからこれも推測に過ぎないのだが、例えばそれが〈ジャンル意識〉まで含むものとして、次のように仮定することはできないだろうか。
 つまり、漱石は上編の「序」を書いた時点(「五」まで連載が終わった時点)では、『猫』を「普通の小説ではない」「海鼠の様な文章」であるとだけ意識していた。もちろん、「海鼠」という言葉を使った時に漱石の考えの中に『トリストラム・シャンディ』の存在があったのは疑えないが、いまだ『猫』のジャンルを明確に自覚していた訳ではない。しかし、連載を進める内に、漱石は次第に「海鼠の様な文章」である『猫』が『トリストラム・シャンディ』に代表されるような散文作品の系譜につながるものであることを意識するようになる。例えば、〈アナトミー〉の作品を並べた手帳の断片は、前後の断片から推察すると早ければ『猫』の「八」を書く以前に記されたものと思われる。あるいはこの頃から、ようやく漱石は「海鼠の様な文章」と〈アナトミー〉のジャンル的な近接に気付いてきたのかもしれない。つまり、漱石は自分の書いている『猫』がすでに〈アナトミー〉になっていることを改めて「発見」したのである。当然のことながらそれは漱石の創作意識にも反映するはずだ。「書き初めた時」と「余程考が違つて」、「終わる時分」には〈アナトミー〉というジャンルを意識しながら『猫』を書き上げた……。
 むろんこれは仮定の話である。しかし、「海鼠の様な」と早くから漱石が形容した『猫』の叙述方法には、それをほとんど〈アナトミー〉と呼んでもおかしくない特徴が多々認められることも確かである。〈引用〉という手法ひとつ取って見ても、それがほぼ『猫』の全編にわたって用いられていることは明らかだろう。漱石は、中学校のリーダーの教科書から蔵書にある『古代ギリシア・ローマ伝記神話地理事典』に至るまで様々な他人の文章を引用しただけではなく、寒月のモデルとなった寺田寅彦から直接仕入れた科学的知識を引き、自らが書いた『文学論』のためノート、さらには大学での十八世紀文学論の講義のための覚え書きまで『猫』の中に取り込んでいる。その話柄の雑種性、衒学的傾向は極めて〈アナトミー〉的である。更に強く〈アナトミー〉性を感じさせるのは、これらの引用・衒学的知識が作中ではただそのまま並列されるだけで、なんらひとつの結論に導かれる訳ではないというという点だろう。つまり「解剖」のための「解剖」であり、百科全書的な記述のあり方に終わっているのである。
 例えば『猫』の「三」と「四」では、金田夫人の大きな鼻のことが苦沙弥や寒月や迷亭の間で話題になるが、迷亭がソクラテス、ゴールドスミス、サッカレー、シーザーの鼻について話すと、寒月が科学者であるウィルヒョウやワイスマンの説を引いて鼻と遺伝について語り、間を置いて苦沙弥がシャルルマーニュやウェリントンの鼻、またパスカルから引いてクレオパトラの鼻について述べる。それぞれ鼻に関する蘊蓄の傾け合いとなり、鼻に関する雑学的、また百科全書的記述が延々となされるのだが、結局の所それで何らかの考察や結論が示される訳でもない。知識をただ並べるだけ並べて、そのまま放っておくというこの手法は明らかに〈アナトミー〉の方法である。更に言えば、実はこの鼻という話題そのものが、『トリストラム・シャンディ』の第三巻三十一章から第四巻の冒頭の「スラウケンベルギウスの話」まで続く鼻に関する記述から〈引用〉されたものである。『猫』では最後になって迷亭が「其後鼻に就て又研究したが、此頃トリストラム、シヤンデーの中に鼻論があるのを発見した。金田の鼻抔もスターンに見せたら善い材料になつたらうに残念な事だ」(28)などと述べているが、もちろん順序は逆であろう。つまり漱石は、スターンの鼻論に触発されて、自ら鼻に関する様々な事実を集め、〈引用〉することによって、鼻に関するもうひとつの〈アナトミー〉をここで作ろうとしているのである。このような漱石とスターンの関係は、どうしても先に挙げたスターンとバートンの関係に重なって見える。つまり、漱石はここで鼻という話題を〈引用〉したばかりか、スターンの用いた〈引用〉という〈アナトミー〉的な手法そのものもまた〈引用〉しているのである。
 ただし漱石はスターンとは異なってその手法の〈引用〉元を隠してはいない。最終章の「十一」では、寒月の長いヴァイオリンの物語に飽きた苦沙弥が女性の悪口を連ねたある本を読み始め、やがてその本の内容に一座の話題は移るのだが、その書物とはトマス・ナッシュの『愚行の解剖』、つまり断片にも記されたAnatomy of Absurditiesなのだ。漱石はやはり手帳にこの『不条理の解剖』の原文を長く書き写したものを残しているが、『猫』ではそれをそのまま訳して苦沙弥の口から紹介させている。
 「ソクラチスは婦女子を御するは人間の最大難事と云へり。デモスゼニス曰く人若し其敵を苦しめんとせば、わが女を敵に与ふるより策の得たるはあらず。家庭の風波に日となく夜となく彼を困憊起つ能はざるに至らしむるを得ればなりと。セネカは婦女と無学を以て世界に於る二大厄とし、マーカス、オーレリアスは女子は制御し難き点に於て船舶と似たりと云ひ、プロータスは女子が綺羅を飾るの性癖を以て其天稟の醜を蔽ふの陋策に本づくものとせり。ワレリウス嘗て書を其友某におくつて告げて曰く天下に何事も女子の忍んで為し得ざるものあらず。願はくは皇天憐を垂れて、君をして彼等の術中に陥らしむるなかれと。彼又曰く女子とは何ぞ。友愛の敵にあらずや、(後略)」(29)
 最終章「十一」の最後になって、漱石が実在の〈アナトミー〉作品から〈引用〉したことをどのように受け止めれば良いのだろうか。あるいは、これを漱石が『猫』を結果的には〈アナトミー〉の手法で書いてしまったことに対する自覚の現れと見なすことができるかもしれない。つまり、少なくともこの「十一」においては、自分が〈引用〉という〈アナトミー〉の伝統的手法に従っているという事実を読者にほのめかすために、過去の〈アナトミー〉作品から〈引用〉してみせたとも思われる。そうだとすれば、これはトレイルが評伝『スターン』で非難したやり方、つまりバートンが剽窃を嘆く文章を更にスターンが剽窃してみせたのと同様に極めて確信犯的であり、かつ優れて〈アナトミー〉的であると言わなければならない。


   五、海鼠になった猫

 創作事情からすれば、確かに漱石にとって『猫』は「たゞ偶然あゝいふものが出来たので、私がさういふ時機に達して居たといふまでである」と回想されるような作品かもしれない。しかし、この「偶然」は全くの無意識による「偶然」ではない。上篇の「序」に明らかなように、『猫』が「海鼠の様な文章」として書かれた背後には、「普通の小説でない」散文ジャンルに対する関心が確かに存在していた。つまり「さういふ時機に達して居た」のである。例えば、『猫』の連載と平行して漱石は大学で「十八世紀英文学」を講義していたが、それをまとめた『文学評論』には、次のような小説論を見ることができる。
 凡ての作物についていう話であるが、比較的長い物を書いて短く読ませる工夫はいろいろあるだろう。その中で、筋の組立が引き緊まって全篇に無駄がないということが大分この問題に関係しているように思われる。人間には頭がある、足がある、胴がある。それでぴんぴん活動する。手を切っても不自由である。足を切れば歩けなくなる。頭を破れば死んでしまう。人間が人間として生存するためには、ぜひともこれだけの諸機械が備わっていなければならぬ。多すぎるからといって手を一本切ったり足を一本取ったりしては一人前として通用しなくなる。小説もその通りで、幾ら長くとも各部がそれぞれ必要な役目を有っている以上は、読んでもっともだと思う。長いには相違ないが、長いからといって何処を切り離そうにも切取る処がない。無理に切離せば不具に成る、片輪の小説に成る。一人前の小説であるためには、長くともぜひこれだけは書かねばならぬと思う。そこでそういう小説はどんな性質を帯びているだろうかと考えて見ると、つまりは組立論をやらねば始末が付かなくなる。
  (『文学評論』「第六編 ダニエル、デフオーと小説の組立」)
(30)
 現在から見ればかなり不穏当な表現も含まれているが、着目したいのは漱石がここで「一人前の小説」というものを人間の比喩を用いて定義付けている点である。「人間には頭がある、足がある、胴があ」り、これら「諸機械が備わっていなければ」一人前の小説にならないとする考え方は、同じ時期に『猫』という「尾頭の心元なき海鼠のような」文章を漱石が書いていたことを考え合わせると非常に興味深いものがある。
 ここで漱石が示している「一人前の小説」とは、手や足、頭といった部分がそれぞれ機能を与えられ、全体の中で欠くべからざる役目を負っているような構造体である。言い換えれば、「何処を切り離そうにも切り取る処がない」、つまり複雑に分節されながらも、その分節された部分が高度に有機的な連関によって全体を構成している、ということになる。「海鼠の様な」と漱石の言う『猫』が、このような「一人前の小説」の対極にあることは明らかだろう。「尾も頭も心元」ないということは、すなわち機能によって分節化されたような「部分」がない、少なくとも判別しがたいということになる。逆に言えば、たとえその一部を切り取って「部分」と見なしたところで、それぞれの部分が全体に対して負うような特化された機能は何もないということになる。「部分」は「全体」とは関わりなく生きているのだ。
 漱石が「一人前の小説」すなわち「普通の小説」をここで人間に喩え、また一方で『猫』や『トリストラム・シャンディ』を「海鼠」に喩えたのは、まことに適切な比喩であると言うべきだろう。同時にそのことは、漱石が散文作品の構造についてかなり原理的な考察をこの時機にすでに深めていたことを示すものである。例えば人間の場合、手や足は確かに欠くべからざる部分かもしれないが、たとえ欠いたとしても生きていくことはできる。ところが漱石も書いているように「頭を破れば死んでしまう」。つまり、「小説」においてその部分部分は、受け持つ機能によって重要性が異なることになる。あらゆる部分が同等の価値を持つわけではなく、その果たす機能に従って序列化・階層化されているのである。それに対して、このような序列化や階層化は、「海鼠の様な」『猫』や『トリストラム・シャンディ』には存在しない。「普通の小説」のように部分と部分との有機的な関連や、部分の布置を定めるような全体性(つまりプロットと言い換えて良いだろう)を持たない変わりに、各部分は部分としてそれぞれ同等の価値を持ってただ並列されている。上篇の「序」で『猫』について漱石が述べた「どこで切つて一冊としても興味の上に於て左したる影響のあろう筈がない」という言葉は、逆に読めば『猫』が「どこで切つても」その部分だけで興味を与えることのできる作品であることを伝えているのだ。
 もちろん『猫』の場合、最初は一回きりの文章のつもりが好評を得て長く連載されることになったという創作事情がある。はじめから全体と部分の有機的な関連など意識して「普通の小説」のように組み立てることができなかったことも事実だろう。また一方で、例えば「三」「四」で寒月の縁談に関わる金田一家との交渉に触れ、「八」で「落雲館」の生徒との「大事件」を述べるなど、漱石が『猫』に「プロット」を導入しようとした気配もある。あるいは漱石の中には、『猫』をこのまま「海鼠の様な文章」で終わらせるのか、それともプロットを立てて「普通の小説」に近づけるのか、という迷いがあったのかもしれない。しかし、結局の所それらのプロットも萌芽の内に放棄されてしまう。もしくはことごとくアンチ・クライマックスに終わる。「九」以降に限って言えばプロットらしきものはその端緒すら見いだすことができないのである(ちなみにその「九」では海鼠が話題に上っている)。少なくとも『猫』を「終わる時分」においては、漱石は『猫』を「普通の小説」ではなく「海鼠の様な文章」として全うしようとする意思を固めていたと思われるし、またここまで連載してきた『猫』がプロットを持たずともフィクションとして十分に価値があるという自負を得ていたとも考えられる。この時、「海鼠の様な文章」である『猫』が〈アナトミー〉という伝統的な散文ジャンルの系譜に連なるものだという自覚が漱石にあったとすれば、その自負心はよほど慰められたに違いない。
 連載を完結するにあたって、漱石がどれほどの満足を『猫』に対して抱いていたかは定かではない。漱石自身の言及を見ても、一方で「勿論腹案もなかつたことですから、何う完結を付けたらいゝか分りません。然しどうかしなければならんから、あの通りいゝ加減な所で御免を蒙りました」(31)と言いながら、また別のところでは「あれで一段落ついてまづ安心致し候。然し出来るならばあんな馬鹿気た事を生涯かいてゐたい」(32)とも漏らしている。確かに「語り手」である猫の死をその一人称で語らせるという叙述上の違反を犯しているところからすれば、『猫』の末尾は「あの通りいゝ加減な所」なのかもしれない。しかし、漱石が猫の死を最後には安楽なものとして描いたことは忘れてはならないだろう。
 其時苦しいながら、かう考へた。こんな呵責に逢うのはつまり甕から上へあがりたい許りの願である。あがりたいのは山々であるが上がれないのは知れ切つてゐる。吾輩の足は三寸に足らぬ。よし水の面にからだが浮いて、浮いた所から思ふ存分前足をのばしたつて、五寸にあまる甕の縁に爪のかゝり様がない。甕のふちに爪のかゝり様がなければいくらも掻いても、あせつても、百年の間身を粉にしても出られつこない。出られないと分り切つてゐるものを出様とする、のは無理だ。無理を通さうとするから苦しいのだ。つまらない。自ら求めて苦しんで、自ら好んで拷問に罹つてゐるのは馬鹿げている。
 もうよそう。勝手にするがいゝ。がりがりはこれ限り御免蒙るよと、前足も、後足も、尾も頭も自然の力に任せて抵抗しない事にした。
 次第に楽に楽になつてくる。苦しいのだか難有いのだか見当がつかない。水の中に居るのだか、座敷の上に居るのだか判然しない。どこにどうしてゐても差支はない。只楽である。否楽そのものすらも感じ得ない。日月を切り落し、天地を粉韲して不可思議の太平に入る。吾輩は死ぬ。死んで此太平を得る。太平は死なゝなければ得られぬ。南無阿弥陀仏、々々々々々々々。難有い々々々。
             (傍線部引用者)
(33)
 最初甕から上がろうとして、猫は盛んに「手足」を動かす。しかし、その足は三寸に足りず、前足を伸ばしても爪のかかりようがない。そこで覚悟を決めて「がりがり」を御免蒙り、傍線部のように、「前足も、後足も、尾も頭も自然の力に任せて抵抗しない」事によってようやく「楽に楽になつてくる」。つまり前足や後足、また「尾」や「頭」という「分節された身体」の機能をすべて放棄することによって、言い換えれば「尾も頭も心元なき海鼠」のような身体と化すことによって、猫は「太平を得る」のである。ここに「普通の小説」であることを結局放棄し、「海鼠の様な」〈アナトミー〉として『吾輩は猫である』を書き終えようとする作者の意識が投影されていると見なすのは、あまりに恣意的な読み方だろうか。


   

(1) 「『猫』と「塔」と「館」と」、『小説家夏目漱石』(筑摩書房、一九八八年)
(2) 「漱石とジャンル」、『漱石論集成』(第三文明社、一九九二年)
(3) 「スターン、漱石、ルキアノス――〈メニッポス的諷刺〉について」、『スターン文学のコンテクスト』(法政大学出版局、一九九五年)なお同論の初出は一九九二年である。
(4) 望月哲男・鈴木淳一訳『ドストエフスキーの詩学』(ちくま学芸文庫、一九九五年)より抜粋・要約
(5) Northrop Frye, Anatomy of Criticism (Princeton Univ. Press, 1990), pp.309-12.
(6) 『漱石論集成』二二九頁
(7) 『漱石全集第二十五巻』(岩波書店、一九九五年)二七九頁 なお以下漱石の引用はすべてこの岩波版新編全集によった。
(8) 新編『漱石全集』第十六巻、二八・二九頁
(9) 『小説神髄』下巻「小説脚色の法則」 引用は『現代文学大系1』(筑摩書房、昭和四十二年)による。
(10) この点については山口政孝氏より貴重なご指摘をいただいた。
(11) 新編『漱石全集』第十三巻、六十三頁
(12) 『イギリス諷刺文学の系譜』(研究社、一九九六年)二七四頁
(13) 新編『漱石全集』第十三巻、六十一頁
(14) 「漱石のスターン論――『トリストラム、シャンデー』私注――」、「関西大学文学論集」43-1(一九九三年十一月)
(15) 新編『漱石全集』第十三巻、七十四頁
(16) H.D. Trail, Sterne (Harper & Brothers, 1882)
(17) 引用はフロリダ版スターン全集によった。 The Life and Opinions of Tristram Shandy,Gentleman, The Text: Volume I (The University Press of Florida, 1978),p.408.
(18) Robert Burton, The Anatomy of Melancholy ed. by Floyd Dell(Tudor Publishing Company, 1951),p.113  
(19) Trail, Sterne, p.137
(20) 新編『漱石全集』第十三巻、七十六、七頁
(21) 新編『漱石全集』第十九巻 二一一頁。この他にも手帳には「NashのAnatomy of Absurditiesヲ見ヨ」という断片(明治三十八、九年断片三二D)が残されている。
(22) 新編『漱石全集』第二十一巻、五九九頁
(23) 新編全集第二十六巻、二八四頁
(24) 「英文学(一)――初期作品より「坑夫」まで」、『別冊國文学 夏目漱石必携II』(學燈社、一九八二年)
(25) OED 第二版の 'cat's-paw'の項より
(26) 「挿話の連鎖としての『吾輩は猫である』」、『漱石 文学の端緒』(筑摩書房、一九九一年)二七六頁
(27) 新編『漱石全集』第二十五巻、二八三頁
(28) 新編『漱石全集』第一巻、一七六頁
(29) 同、五五四頁
(30)新編『漱石全集』第十五巻、四三七、八頁
(31) 「文学談」〔『文芸界』五巻九号、明治三十九年九月一日〕、新編『漱石全集』第二十五巻、一七七頁
(32) 明治三十九年八月二十八日付小宮豊隆宛書簡、新編『漱石全集』第二十二巻、五四五頁
(33) 新編『漱石全集』第一巻、五六七、八頁

※小論は、日本比較文学会東京支部例会(平成九年一月十八日)における口頭発表「「普通の小説」と「海鼠の如き小説」――『吾輩は猫である』と漱石の小説観」に基づくものである。

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