西田幾多郎データべース(c) Niels Guelberg 2000


西田幾多郎[著]: 叡智的世界(1928.10)

西田幾多郎全集・第5巻

校異
赤い文字(赤いフォント)は原雑誌論文の、単行本において削除された箇所を示す。
青い文字(青いフォント)は単行本において新たに附加された箇所を示す。


NKZ5-123-1    叡智的世界


NKZ5-123-2         一

独訳


NKZ5-123-3   判断的知識が一般者の自己限定であるとするならば、我々が何物かを考へるには、一般者が自己の
NKZ5-123-4  中に自己自身を限定すると云ふことがなければならぬ。私は一般者に三種の段階を区別することによ
NKZ5-123-5  つて、三種の世界といふ如きものが考へられると思ふ。判断的一般者に於てあり、之に於て限定せら
NKZ5-123-6  れるものが、広義に於て自然界と考へることができ、判断的一般者を包む一般者、即ち判断的一般者
NKZ5-123-7  の述語面の底に超越するものを包む一般者(即ち自覚的一般者)に於てあり、之に於て限定せられる
NKZ5-123-8  ものを意識界と考へることができる。更にかゝる一般者を包む一般者、即ち我々の意識的自己の底に
NKZ5-123-9  超越するものを包む一般者に於てあり、之に於て限定せられるものが叡智的世界と考へられるもので
NKZ5-123-10  ある。
NKZ5-123-11   叡智的世界といふ如きものは、我々の思惟を超越したものでなければならぬ、如何にして我々はか
NKZ5-124-1  かる世界を考へ得るであらうか。何物かを考へるといふことが一般者の自己限定であるとするならば、
NKZ5-124-2  如何なる一般者の自己限定によつて、叡智的世界といふものが考へられるのであるか。私は意識の志
NKZ5-124-3  向作用といふ如きものに基いても、かゝる世界を考へ得ると思ふ。我々の意識作用は一方に於て実在
NKZ5-124-4  的と考へられると共に志向的である、ノエシス的なると共にノエマ的である。而してその志向する所
NKZ5-124-5  のものは、単に所謂意識内容に止まるのではなく、超意識的内容である。私の意識作用が過去の意識
NKZ5-124-6  内容を志向する如き場合は、単なる内部知覚とも考へられるであらう。併し我々の意識作用は我々の
NKZ5-124-7  意識を超越したものを志向するのである、否、意識せられると否とに関せず、それ自身に於てあると
NKZ5-124-8  考へられる永遠の真理といふ如きものをも志向するのである。我々の意識作用が斯く志向せられるも
NKZ5-124-9  の、郎ちノエマの方向に於て超越的であると考へられると共に、作用的方向即ちノエシスの方向に於
NKZ5-124-10  ても超越的と考へられねばならない。単に時間的なるものは志向的であることはできない、所謂意識
NKZ5-124-11  現象は志向的であつても、それが尚時間的と考へられるかぎり、超意識的内容を志向すると云ふこと
NKZ5-124-12  はできない。超意識的内容を志向するには、我々の自己は所謂意識的自己を超越せなければならない。
NKZ5-124-13  例へば、我々はカントの意識一般の立場に於てのみ、真理を考へ得るのである。かゝる場合、我々の
NKZ5-124-14  意識作用は心理的自己に属するものとして意識的実在性を有するのではなく、意識的自己の奥底にあ
NKZ5-124-15  る超越的自己に属するものとして、その実在性を有するのである。
NKZ5-125-1   右の如くにして、我々の意識を超越した叡智的世界といふものが考へられるとするならば、かゝる
NKZ5-125-2  世界を限定する一般者は我々の意識界を限定する一般者を超越し、之を内に包む一般者として、自覚
NKZ5-125-3  的一般者に準へて考へることができるであらう。

 


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Author: Niels GUELBERG
e-mail: guelberg@waseda.jp
First drafted: 03.01.19
Last updated: 03.05.24