西田幾多郎データべース(c) Niels Guelberg 2000


西田幾多郎[著]: 世界の自己同一と連続(1935.1-3)

西田幾多郎全集・第8巻


校異
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NKZ8-7-1  一 世界の自己同一と連続

NKZ8-7-2    一


NKZ8-7-3  私の自己同一といふのは唯一つのものが一つのものであると云ふことではない、変ずると共に変ぜ
NKZ8-7-4 ない、多なると共に一であるといふことを云ふのである。連続といふことも、かゝることを意味して
NKZ8-7-5 ゐなければならない。それは多であると共に一といふことを意味してゐなければならない。単に一な
NKZ8-7-6 るものは連続とは云はれない、単に多なるものも連続とは云はれない。
NKZ8-7-7  多といふには個々独立の物が考へられねばならない。それ等が一であると云ふには、それ等が個々
NKZ8-7-8 独立のものでないと云ふことがなければならない。多が一であるといふことは矛盾である。何処まで
NKZ8-7-9 も個々独立な多といふものを考へるならば、それ等を一と考へることはできない。何処までも一とい
NKZ8-7-10 ふものを考へるならば、それを多といふことはできない。我々は普通に多にして一なるものを考へる
NKZ8-7-11 時、そのいづれかを基として考へて居る。物が属性を有つと考へる時、種々なる属性は物に属するも
NKZ8-7-12 のであつて、それ等は個々独立のものとは考へることはできない。個々の物が何等かの意味に於て相
NKZ8-8-1 連ると考へる時、即ち所謂連続といふものを考へる時、多を基として考へて居る。然る場合、何等か
NKZ8-8-2 の意席に於て媒介者といふものが考へられねばならない。個々のものが縁暈によつて結びつくと考へ
NKZ8-8-3 ても、縁暈といふものが個々のものに属すると考へられるかぎり、個々のものの結びつき様がない。
NKZ8-8-4 何等かの媒介者によつて結合すると考へるならば、物は媒介者の性質を有するかぎり、媒介者によつ
NKZ8-8-5 て媒介せられるのである。作用と作用との関係といふことを考へても同様である。作用と作用とが結
NKZ8-8-6 合して一となると考へれば、それは一つの作用に過ぎない。個々の作用と作用とが結合すると云へば、
NKZ8-8-7 その間に媒介者といふものを考へるか、さもなくば作用の作用といふ如きものを考へるの外ない。連
NKZ8-8-8 続といふことは、いづれにしても、個々独立なるものと一般的なるものとの矛盾の統一として考へら
NKZ8-8-9 れなければならない、絶対に相反するものの自己同一として考へられなければならない。フィヒテの
NKZ8-8-10 絶対我といふも、シェリングの同一といふも、さういふ意味を有つて居ると云ふことができる。特に
NKZ8-8-11 ヘーゲルの弁証法といふのはさういふものでなければならない。
NKZ8-8-12  真に絶対に相反するものの自己同一として、真に矛盾の統一として、自己自身に同一なるものが考
NKZ8-8-13 へられるには、個物的なるものは何処までも個物的でなければならぬ、一般的なるものは何処までも
NKZ8-8-14 一般的でなければならぬ。個物的なるものが何処までも個物的でなければならぬといふことは、個物
NKZ8-8-15 は何処までも自己自身を決定し他によつて決定せられるものであつてはならぬ、個物は何処までも独
NKZ8-9-1 立でなければならぬといふことである。一般的なるものが何処までも一般的でなければならぬといふ
NKZ8-9-2 ことは、一般的なるものは何処までも個物的なるものを限定する、個物を包むといふ意義を有つたも
NKZ8-9-3 のでなければならない、少くとも個物と個物との媒介者といふ意義を有つたものでなければならない。
NKZ8-9-4 然らざればそれを一般的なるものと云ふことはできない、一般者は外延的限定の意義を有つたもので
NKZ8-9-5 なければならない。個物が個物自身を決定すると云つても、単なる一つの個物といふものは考へられ
NKZ8-9-6 ない。個物は個物に対することによつて個物であるのである。個物の概念そのものが自己矛盾を含ん
NKZ8-9-7 で居る。個物が個物に対することによつて個物であると云ふには、個物と個物との媒介者といふもの
NKZ8-9-8 が考へられねばならない、一般的なるものが考へられなければならない。真の一般者といふものはか
NKZ8-9-9 かる意義を有つたものでなければならない。個物の概念が自己矛盾を含む如く、一般の概念もそれ自
NKZ8-9-10 身に矛盾を含むといふことができる。真の一般者は個物を限定する、少くも個物と個物との媒介者と
NKZ8-9-11 いふ意味を有つたものでなければならない。さういふ意味に於ては、それは個物を否定する意味を有
NKZ8-9-12 つたものでなければならない。併しかゝる一般者の意義に徹底する時、個物といふものはなくならね
NKZ8-9-13 ばならない。而して個物といふものがなくなる時、一般といふものも亦なくなるの外ない。然らざれ
NKZ8-9-14 ばそれは又無対立的な唯一の個物と考へられねばならない。而して無対立的な唯一の個物といふもの
NKZ8-9-15 は何物でもない。右の様な訳であるから、個物は一般者によつて媒介せられねばならぬ、個物は一般
NKZ8-10-1 的なるものの限定として考へられねばならぬ。而も然考へられるかぎり、それは個物ではない。自己
NKZ8-10-2 自身を決定するといふ意味に於て真の個物は却つて一般者でなければならぬ。而も真の一般者は又個
NKZ8-10-3 物でなければならぬ。而してそれは又個物は個物に対するといふ意味を有たなければならない。個物
NKZ8-10-4 と一般とは何処までも相反するものでありながら、即ち絶対に相反するものでありながら、而もそれ
NKZ8-10-5 が直に同一として即ち矛盾の自己同一として、それから一方に無限に個物的なるものが考へられ、一
NKZ8-10-6 方に無限に一般的なるものが考へられるのである。真の連続といふものは、かゝる矛盾の自己同一と
NKZ8-10-7 して考へられるものでなければならない。真の実在界に於ての連続と考へられるものは、此の如きも
NKZ8-10-8 のでなければならない。単に連続といふものがあるのでもなければ、単に非連続といふものがあるの
NKZ8-10-9 でもない。故に非連続の連続といふのである。実在が動くものであり、実在的なるものが時間的と考
NKZ8-10-10 へられるのも之によるのである。時は一面に空間的でなければならない。現在は空間的・時間的であ
NKZ8-10-11 り、現在が自己矛盾的に自己自身を限定するといふことから、時が成立するのである。単に直線的に
NKZ8-10-12 考へられる連続とか、単に個々独立的に考へられる非連続とかいふものは、その相反する両方向へ抽
NKZ8-10-13 象的に考へられたものに過ぎない。

NKZ8-10-14  「哲学の根本問題」続編に於て用ゐた符号によつて表せば、eが何処までも自己自身を限定する個物として、自己が自己自身の媒介者となり、何処までも自己自身
NKZ8-10-15 を媒介し行くと考へれば、e1e2e3……として直線的となり、その極 E となり、Mとなる。そしてそこにAといふ一面を有つ。A
NKZ8-11-1 といふのは単なるAではなくして個物を限定する意義を有するかぎり、それは実体的と考へられねばならぬ。その極それはMでなけれ
NKZ8-11-2 ばならない。然らざれば又単なるeとして更にe1e2e3……の系列の中に入り来らねばならない。故にA=E 即ちMとして実在的
NKZ8-11-3 なるものはm1,m2,m3,……と考へられねばならない。(符号については図式的説明一、参照)。
NKZ8-11-4  多くの人は実在的なるものは個物的なると共に一般的である、非連鎖的なると共に連続的である、現実の世界に於ては、単に
NKZ8-11-5 個物的なるものもなければ、単に一般的なるものもない、単に非連続的なるものもなければ、単に連続的なるものもないと考へ
NKZ8-11-6 る。私はそれを否定するものではない。唯それが如何なる立場から然考へられるかが問題である。物と物とが相働く世界、現実
NKZ8-11-7 に働く世界としては、私はそれを矛盾の統一として考へねばならぬと云ふのである。
NKZ8-11-8  矛盾の自己同一とは如何なるものか。それは個物的限定の方向にすべてを統一する唯一の個物とい
NKZ8-11-9 ふものを考へることもできず、一般的限定の方向にすべてを包む一般者といふものを考へることもで
NKZ8-11-10 きないものでなければならぬ。いづれかの方向にさういふものが考へられるならば、それは矛盾の統
NKZ8-11-11 一ではない。私が限定するものなき限定とか無の限定とかいふのは之によるのである。矛盾の統一と
NKZ8-11-12 いふことを考へる人も、何等かの意味に於て対象的に個物的なるものを考へて居る。知的自己の立場
NKZ8-11-13 から世界を一つの統一せるものとして、それを有であると共に無であるとか、肯定であると共に否定
NKZ8-11-14 であるとか考へる。併し単に対象的に考へられたもの、主語的なるものが、自己矛盾といふことは考
NKZ8-11-15 へられないことである。それこそ単なる矛盾に過ぎない。そこには矛盾の統一といふものは考へられ
NKZ8-11-16 ない。そこに矛盾の統一といふものを考へようとするならば、勢ひそれは無限の過程と考へられねば
NKZ8-12-1 ならない、系列的に考へられねばならない。肯定即否定、否定即肯定といつても、それは無限の連続
NKZ8-12-2 的系列と考へられねばならない。普通に連続と考へられるものは、かゝる系列に於て個物的統一の意
NKZ8-12-3 味を主として考へたものである。併しかゝる系列といふものが考へられる時、個物的統一は既に一般
NKZ8-12-4 的統一の意味を有つてゐなければならない。それは既に自己否定の意味を有つてゐなければならない。
NKZ8-12-5 さらばと云つて、かゝる系列の背後に一般的なるものを考へるとするか。かゝる系列の基として考へ
NKZ8-12-6 られる一般的なるものは、何処までも自己自身を個別化するものでなければならない、自己自身を否
NKZ8-12-7 定するものでなければならない。個物が一般であり一般が個物であるといふことから、かゝる系列が
NKZ8-12-8 考へられるのである。個物が個物に対して個物であるといふ時、媒介者といふものが考へられねばな
NKZ8-12-9 らない。併し物と物とは、媒介者の性質を帯びるかぎり、媒介せられるのである。然も、何処までも
NKZ8-12-10 斯く考へられる時、個物といふものは媒介者の様相と考へられねばならぬ、個物といふものはなくな
NKZ8-12-11 らねばならぬ。然も亦個物といふものなくして媒介者といふものもない。真の個物は自己自身を否定
NKZ8-12-12 して自己自身を媒介するものであり、真の媒介者は又自己自身を否定して自己自身を個別化するもの
NKZ8-12-13 であり、個物が媒介者であり、媒介者が個物であるといふことから、真の矛盾の統一といふものが考
NKZ8-12-14 へられるのである。弁証法的過程の背後に、何等かの意味に於て、個物的統一を考へ、又は一般的統
NKZ8-12-15 一を考へるかぎり、それは真の弁証法的過程ではない。かゝる弁証法は真に個物の個物性、個物の独
NKZ8-13-1 立性を認めて居らないものである。真に個物が個物として考へられる時、個物は絶対に独立的と考へ
NKZ8-13-2 られねばならない、個物は無媒介的と考へられねばならない、個物は絶対に自己自身を決定するもの
NKZ8-13-3 と考へられねばならない。然もそれは同時に個物が自己自身を否定することである。個物は個物に対
NKZ8-13-4 して個物であり、個物は媒介せられるものでなければならない。個物と個物との媒介者は如何なるも
NKZ8-13-5 のでなければならぬであらうか。個物と個物とが相対立するといふ時、互に相独立する物と物とが相
NKZ8-13-6 対立するといふ時、そこに並列的関係といふものが考へられねばならぬ、空間的関係といふものが考
NKZ8-13-7 へられねばならない。しかし個物は単に点の如きものではない、単に一般的なものの限定の極限とし
NKZ8-13-8 て考へられる極限点の如さものではない。個物は自己自身を決定するものでなければならない。斯く
NKZ8-13-9 考へるとき、個物は無限なる直線的統一でなければならない、時間的でなければならない。故に矛盾
NKZ8-13-10 の自己同一、弁証法的統一といふことは、時間が空間であり、空間が時間であるといふことである、
NKZ8-13-11 直線的なろものが円環的であり、円環的なるものが直線的であるといふことである。時はその根柢に
NKZ8-13-12 於て円環的であり、真の実在的空間は時間的でなければならぬ、時を含んだものでなければならぬ。
NKZ8-13-13 例へば、物理的空間といふものでも、四次元的でなければならない。然らざれば、幾何学的空間の如
NKZ8-13-14 きものを考へるの外ない。然らば、空間と時間とは、何処で矛盾の統一として結合して居るか。私は
NKZ8-13-15 それは現在に於て結合して居ると考へるのである。現在は幅を有つ、現在は空間的なると共に時間的
NKZ8-14-1 である。現在は啻に四次元的なるのみならず、多次元的である。真の現在は無数の次元的と云ひ得る
NKZ8-14-2 であらう。時の系列も現在が現在自身を限定するといふことから考へられるのである。空間の延長と
NKZ8-14-3 いふことも、現在が現在自身を限定することから考へられるのである。現在は個物的に統一せられた
NKZ8-14-4 ものではない、又一般的に統一せられたものでもない。そのいづれかに考へれば現在といふものはな
NKZ8-14-5 い。然らばと云つて、単に無統一と云ふものでもない。現在は現在自身の統一を有つ。然らざれば、
NKZ8-14-6 我々は現在といふものを考へることはできない。現在は中心のない中心を有つて居るのである。
NKZ8-14-7  今といふ時、既に今ではない。今は捕へることのできないものと考へられる。併し現在は物と物と
NKZ8-14-8 が相働く場所でなければならない。現在といふものなくして、実在界といふものは考へられない。物
NKZ8-14-9 と物とが相働くといふことは如何なることを意味するか。相働くものは互に個物的でなければならな
NKZ8-14-10 い、互に独立するものでなければならない。然らざれば、働くといふことはない。互に独立するもの
NKZ8-14-11 が如何にして相関係し相働くと云ひ得るか。互に独立するものが相働くといふには、媒介者といふも
NKZ8-14-12 のが考へられねばならない。物が媒介者によつて他に働くといふことは、個物が自己自身を否定して
NKZ8-14-13 媒介者的となることでなければならぬ。物質は空間を占有することによつて働くと考へられる。個物
NKZ8-14-14 的なるものが自己自身を否定して一般的となることが、働くといふことである。物が物自身の媒介者
NKZ8-14-15 となる時、内的統一とか内的発展とかいふものが考へられる。併し物と物とが相働くと考へられる時、
NKZ8-15-1 両者の媒介者が同一と考へられねばならない、一般者は場所的意義を有つて来なければならない。物
NKZ8-15-2 が単に自己自身の媒介者となると考へられる限り、物が他に対して働くといふことはできない。物が
NKZ8-15-3 他と同一の媒介者によつて自己自身を媒介するといふことは、物が自己自身を肯定することが否定す
NKZ8-15-4 ることであり、自己自身を否定することが肯定することであると云ふことを意味する。そこに非連続
NKZ8-15-5 の連続といふものが考へられねばならない。それを単に連続と云つてしまへば、単に物が物自身の媒
NKZ8-15-6 介者といふことであり、それは何処までも唯一つのものであつて、他に対して働くといふことはない。
NKZ8-15-7 而して唯一つのものは何物でもない。併しかゝる物と物との相互関係に於て唯二つのものを考へる時、
NKZ8-15-8 物と物とは唯一つの媒介者の相反する両端と考へることもできる。斯く考へる時、それは又一つのも
NKZ8-15-9 のたるに過ぎない。故に真に独立する物と物との相互関係といふものを考へるには、少くも三つのも
NKZ8-15-10 のの関係を考へなければならぬ。而して始めて物が働くといふことが真に自己自身を否定して他とな
NKZ8-15-11 ることであり、而もそれが真に働くものとして自己が自己となることであると云ひ得るのである。互
NKZ8-15-12 に独立する物と物とが相働く相互関係の媒介者が場所的と考へられねばならない所以である。場所的
NKZ8-15-13 媒介者といふものが、真に非連続の連続として、矛盾の自己同一、弁証法的統一と考へられるもので
NKZ8-15-14 なければならない。互に相独立する物と物とが相働くといふことが場所が場所自身を限定することで
NKZ8-15-15 あり、場所が場所自身を限定するといふことは物と物とが相働くことである。肯定即否定、否定即肯
NKZ8-16-1 定として、弁証法的統一を作用的に考へるといふことは、尚個物が自己自身の媒介者となるといふこ
NKZ8-16-2 とを脱することはできない。従つてそれは尚我々の自己が自己自身を媒介者とする主観的弁証法であ
NKZ8-16-3 つて、真の絶対弁証法ではない。ヘーゲルといへども、かゝる立場を脱し得なかつたと云ふことがで
NKZ8-16-4 きる。
NKZ8-16-5  物と物とが相互に限定する、物と物とが相働くといふことが、場所的媒介者即ち非連続の連続とし
NKZ8-16-6 ての場所が自己自身を限定するといふことであり、場所が自己自身を限定するといふことが物と物と
NKZ8-16-7 が相働くといふことである。而して場所的限定としてそこに新なるものが生ずる、即ち現在が現在自身
NKZ8-16-8 を限定することによつて、現在に於て新なるものが生ずると考へられる。之を我々は物と物とが相働
NKZ8-16-9 くことによつて生ずる結果と考へて居る、現象と考へて居る。併し非連続の連続としての場所の自己
NKZ8-16-10 限定といふものなくして物と物とが相働くといふことがあるのでなく、物と物とが相働くといふこと
NKZ8-16-11 なくして一つの物といふものもない。之に反し、物と物との相互限定といふことなくして媒介者とい
NKZ8-16-12 ふものがあるのではない、単なる媒介者といふものがあるのではない。そこに弁証法的世界の自己同
NKZ8-16-13 一といふものがある。かゝる世界の自己限定が形成作用と考へられるものである。そしてそれが限定
NKZ8-16-14 するものなき限定として創造的といふことができる。その底に何等の意味に於ても一つの物を考へる
NKZ8-16-15 ことはできない、個物的統一といふものを考へることはない。さらばと云つて単なる過程と考へるこ
NKZ8-17-1 ともできない。過程的と考へられるものは、一つの物が物自身の媒介者となる、物が物自身を媒介す
NKZ8-17-2 るといふことである。肯定即否定、否定即肯定の弁証法的過程といふものを考へても、如何にして肯
NKZ8-17-3 定と否定とが結合すると考へるか。それは何等かの意味に於て一つのものの分裂発展と考へるか、さ
NKZ8-17-4 もなくば単なる媒介者と考へるの外ない。それによつて個物と個物とが相働く実在界、因果関係の世
NKZ8-17-5 界といふものは考へられない、又真に創造的世界といふものも考へられぬであらう。私の非連続の連
NKZ8-17-6 続といふのは、唯何物もない所から物が出て来るといふのではない、無から物が出て来るといふので
NKZ8-17-7 はない。場所的限定として現在に於て新なものが生ずるといふことは、無数なる物と物とが相限定す
NKZ8-17-8 ることである、物と物とが相働くことである、何物かが生ずるといふには、物と物とが相働くといふ
NKZ8-17-9 ことが考へられなければならない。併し又逆に何物かが生ずるといふことなくして、物と物とが相働
NKZ8-17-10 くといふことはない。原因なくして結果といふものはないが、結果なくして原因といふものもない。
NKZ8-17-11 物と物との対立なくして媒介者といふものは考へられないが、媒介者なくして物と物との対立といふ
NKZ8-17-12 ものも考へられない。唯、物と物との対立が尚絶対的と考へられない時,即ち真に個物と個物との対
NKZ8-17-13 立と考へられない時、弁証法的過程といふものが考へられるのである。
NKZ8-17-14  所謂機械的因果の世界と考へられるものも、個物と個物との相互限定の場所的限定として、非連続
NKZ8-17-15 の連続の世界として考へられるものと思ふ。物と物とが現在に於て相限定し、時間的・空間的なる場
NKZ8-18-1 所的媒介者即ち物理的空間の変化として物理的現象といふものが考へられるのである。それが運動と
NKZ8-18-2 いふものである。唯、物理的世界と考へられるものは、個物の自己限定の意義を極小としたものなる
NKZ8-18-3 を以て、創造的といふことはない、同じ世界が繰り返されると考へられるのみである。併し生物の世
NKZ8-18-4 界と考へられるものに於ては、之に於て考へられる個物的なるものは既に自己自身を限定するものと
NKZ8-18-5 考へられなければならない。生命的過程は創造的と考へられる。それだけ生命的過程は非連続の連続
NKZ8-18-6 と考へられねばならない。歴史的世界に至つては、真に個物が個物自身を限定すると考へられる、個
NKZ8-18-7 物は個人と考へられる、それは何処までも直線的時間的と考へられる。是に於て真に創造的世界とい
NKZ8-18-8 ふものが考へられる、真に非連続の連続の世界といふものが考へられる、限定するものなくして限定
NKZ8-18-9 する無の限定の世界といふものが考へられる。真に直線的なるものが円環的、円環的なるものが直線
NKZ8-18-10 的なる永遠の現在の自己限定から歴史の世界といふものが考へられるのである。永遠の今の自己限定
NKZ8-18-11 などと云へば、人はすぐに神秘の世界と考へるかも知れないが、我々の行動の世界、行動によつて物
NKZ8-18-12 を造る世界、ポイエシスの世界は、時間的・空間的、主観的・客観的として永遠の今の自己限定の世
NKZ8-18-13 界でなければならない。真の現実の世界は永遠の今の自己限定の世界と考へられるものでなければな
NKZ8-18-14 らない。時間的・空間的なる物理的空間の世界といふものを考へても、そこに既に永遠の今の自己限
NKZ8-18-15 定の意味があるのである。此処に今、物理的現象が起るといふことは、物理的空間の変化として物と
NKZ8-19-1 物とが相働くといふことでなければならない。逆に物と物とが相働くといふことは、物理的空間の
NKZ8-19-2 変化として物理的現象が起るといふことでなければならない。此処に今、歴史的事件が起るといふの
NKZ8-19-3 は、主観的・客観的なる表現的世界、歴史的・社会的世界に於ける事物の変化として、我々が働くと
NKZ8-19-4 いふことでなければならない。無論、真に個物が個物となる時、即ち真に時間的となる時、我々は主
NKZ8-19-5 観的・客観的なる対象界に対立すると考へられる、生物といへども既に環境に対立すると考へられる。
NKZ8-19-6 併し我々が媒介者として主観的・客観的なる対象界を有つといふことは、後に示す如く我々は真に自己自身
NKZ8-19-7 を限定する個物として非連続的に相限定するといふことである、即ち我々が真に弁証法的に自己自身
NKZ8-19-8 を限定するといふことである。物理的物質は云ふまでもなく、生物といへども真に弁証法的に自己自
NKZ8-19-9 身を限定するといふことはできない。その世界は真に非連続の連続ではない、真に主観的・客観的で
NKZ8-19-10 はない、尚連続の世界である。唯、絶対弁証法の世界からその個物的限定の方向に、又一般的限定の
NKZ8-19-11 方向に、かゝる種々の連続的世界が考へられるのである。而してそれに於て物と物とが連続的に相働
NKZ8-19-12 くと考へるのである。それ等はすべて知的自己の立場から見られる対象界たるに過ぎない。


NKZ8-19-13  カント認識論の立場とかフッセルの現象学の立場とかいふものから、非連続の連続の世界といふも
NKZ8-19-14 のは考へられない。知的自己の立場から見られる世界は何処までも主観的たるを免れない。特に現象
NKZ8-20-1 学の立場といふのは内部知覚的自己の立場を何処までも押し進めたものといふことができる。ハイ
NKZ8-20-2 デッゲルの立場といへども、それが自己を媒介として世界を見るかぎり、それから真の客観的世界と
NKZ8-20-3 いふものは考へられない。更に行為的自己を媒介として世界を考へると云つても、要するにそれは尚
NKZ8-20-4 自己自身を媒介とするといふ立場を脱することはできない。それから真に自己自身を限定する世界と
NKZ8-20-5 いふものを考へることはできない。自己と世界と、主観と客観と、相反するものの相互限定として此
NKZ8-20-6 の世界を考へると云つても、それは要するに二つの物の相互限定といふことであつて、逆に一つのも
NKZ8-20-7 のの分裂統一とも考へ得るのである。或はそれが無限の弁証法的過程と考へられても、個物と個物と
NKZ8-20-8 が相対するといふ如き個物的限定を基礎附けることはできない。それは尚自己が自己自身の媒介者と
NKZ8-20-9 なる、自己が自己自身を媒介するといふ如き我々の自己を模型として世界を考へるといふ立場を脱す
NKZ8-20-10 ることはできない。然らば、自己を媒介とすることなくして、何を媒介として世界が世界自身を限定
NKZ8-20-11 すると云ひ得るかと問はれるでもあらう。併し考へる我々の自己も自己自身を限定する世界によつて
NKZ8-20-12 媒介せられるものでなければならない。世界は論理的に自己自身を媒介するのである、実在的なるも
NKZ8-20-13 のは論理的である。さういふことを考へるのは又自己が考へるのではないかと云はれるかも知れない。
NKZ8-20-14 併し自己がさういふ自己矛盾的存在であるといふことは、それが既に論理的であるといふ事を明にして居に然云ひ得るのである。故にヘ
NKZ8-20-15 ーゲルはフィヒテの自我から出立せずして、有から出立した。デカルトのコギト・エルゴ・スムの代
NKZ8-21-1 りにスピノーザはカウサ・スイから出立した。何等かの意味に於て自己を媒介として実在界を考へる
NKZ8-21-2 ならば、畢竟それは意識の立場を脱却し得ないであらう、要するに一つの個物が自己自身を媒介する
NKZ8-21-3 立場である。斯く云ふも、単に客観的なものを基礎として主観的なものを考へようと云ふのではない、
NKZ8-21-4 単に一般的なるものから個物的なるものは出て来ない。科学といふものは一般的なるものを基礎とし
NKZ8-21-5 て成立するものである。科学の立場から弁証法的世界といふものは考へられない。行為によつて実在
NKZ8-21-6 を知ると云つても、行為は既に一面に主観的と考へられるものでなければならない、然らざれば単な
NKZ8-21-7 る運動と択ぶ所がない。無論一面に於て客観は主観を限定するであらう。併し単に客観的なるものか
NKZ8-21-8 ら主観的なるものは出て来ない、単に対象的に考へられる物質から意識は出て来ない。


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Author: Niels GUELBERG
e-mail: guelberg@waseda.jp
First drafted: 01.03.02
Last updated: 03.06.28