「僕の歩んできた道(社会人時代その1)」

社会人時代その1(電中研時代)

大学院を修了して財団法人電力中央研究所に入所し,放射性廃棄物地層処分の研究や地盤改良,都市地下トンネル建設に関する研究,技術開発に従事.一生懸命研究した.遊ぶことも一生懸命行った.テニス部に所属しテニスにも熱中した.数年後,現在の妻が同じ職場に入所.まぁ,職場結婚と言うやつですね.ここでの出来事はとても書ききれないが,とても多くの人との出会いがあった.

研究所に入所して試用期間(3ヶ月)も明けない頃に大変なことをしてしまった.研究所入り口正面にある夜間用通用口のガラス製ドアを突き破ってしまった.時間は夜の8時頃.言い訳だが,外の明かりと建物の中の暗さのコントラストから,とてもきれいに磨き上げられたガラスドアがまったく見えなかった.しかもアメリカ製カートゥーンのように人型に穴を開けてしまった.しかもしかも,それは翌日に常務会(とても偉い人たちの会合)を控えた日であった.研究所正面の場所なので,とても目立つところである.入所早々でクビになるのではないかと心配し,寝ながら涙を流したのか枕が濡れていた.その一方で,何とかなるだろうという高を括(くく)った気持ちも持っていた.翌朝早々に事務部長のところに出向き,平謝りをしたことを記憶している.このガラスドア突き抜け事件は,しばらく研究所での伝説として語り継がれてしまった.

こんなお話だけではなく,研究についてはこのスペースではとても書ききれない思い出がある.研究所に入所間もない頃は,なかなか研究が進まず成果もうまく挙げられず,かなりもがいていた.不安もかなりあった.でも自分の力を信じるしかなかった.そんな気持ちで研究に取り組んでいた.当時の不安感を考えれば,現在の多少の不安など,“何とかなる”と思えてしまう.それぐらい不安で不安で仕方がなかった.その不安感を払拭したいがために,一生懸命実験を行った.大学・大学院時代に培った実験手法と実験に取り組む姿勢から,かなりこだわって実験に臨んでいた.学生時代と違うのは,技術員や学生も実験に参加してもらい,そのリーダーとしての役割をこなしながら実験を進めることである.大学・大学院時代の実験とは規模が違うので,一人では実施できない.チームを作って研究・実験を進めることの難しさを学んだ.

実験に対する思い入れは人一倍強かった.真剣だった.だから“失敗”が許せなかった.僕の実験チームに技術員と学生が最大6名程度いたときがあった.もちろん,チーム全員,失敗など望んでいない.しかし,ちょっとした勘違いや連携プレーミスなどから失敗は生じる.こうなると僕は烈火のごとく怒り,「チクショー」と口走りながら近くのゴミ箱を蹴り上げ,研究所内の自分の机に戻っていくのである.それを見ていた上司や同僚から,「鬼の小峯」と呼ばれたりもした.しかし,一緒に実験に取り組んでくれた人に怒っていたつもりはない.ただ「失敗が憎かった」だけである.

こんな厳しい一面もあったが,チームの皆とは楽しく過ごした.夜10時ごろになると実験チームの皆と千葉県柏市によく飲みにいった.社会人になりクレジットカードなるものを所有したので,これを使っていい気になって飲み歩いた.気づいたら借金していた.いきつけの飲み屋も23軒,作っていた.

こんなことを一生懸命,真剣に行っているうちに,気づいたら,それなりの研究成果を挙げていた.学会からもそれなりの評価をもらえるような研究成果になっていた.自分を信じてよかったと思ったし,自信を持つことができた.「努力は裏切らない」と思った.

でも今思うと,この頃の“大きな不安を感じたこと”と“それを払拭するためにわき目もふらずに研究・実験に没頭したこと”が僕の大きな財産であると思う.その後の自分に大きな自信を与えてくれた.若いうちには,大きな不安を持ち,それを乗り越えようと自分なりの最大限の努力をすることがとても大切だと思う.その頃に不安を完全に払拭できなくても,時が経てば,いつの間にか自分に自信を持つことができ,その頃の不安感を懐かしむことができるようになる.