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大久保文学学術院教授の内部通報規程案および研究倫理規定案に対する反対文書です

(PDF版はこちらをクリックしてください)

「研究倫理規程(案)」と「内部通報等処理規程(案)」について
(抗議と意見と提案)

2006年11月30日

文学学術院院長  田島 照久 殿

早稲田大学総長  白井 克彦 殿
早稲田大学理事会 御中

文学学術院教授 大久保 進

「研究倫理規程(案)」と「内部通報等処理規程(案)」について
(抗議と意見と提案)


11月21日に開催された定例教授会で申しあげたこと、および追加すべきことを、以下に抗議および意見ならびに提案として記します。

Ⅰ:手続きに関する抗議

イ)11月13日に開催された「内部通報等処理規程(案)」についての説明会の周知方が、本部の依頼があったにもかかわらず、文学学術院ではおこなわれなかったことは、まことに遺憾です。早稲田ネット・ポータルに掲示してあるからそれでよし、と言える事案ではないと考えます。これは、箇所長・事務長の落ち度というよりも、本部の(意図的かどうかは分かりませんが)怠慢に発することです。このように重大な案件の説明会の周知方は、箇所を介さず、本部の責任で直接全教職員におこなうべきです。

 ついでに言えば、13日の説明会が「内部通報等処理規程(案)」に関してのみおこなわれて、「研究倫理規程(案)」を棚上げにしたことも、重大な不都合です。両規程(案)は不即不離のもののはずです。

ロ)両規程(案)、とりわけ「内部通報処理等規程(案)」の策定と提示については透明性が確保されていません。9月21日(学術院役職者の交代日)に施行された「内部通報制度検討委員会設置要項」と、同日に発足した同委員会の委員名簿とは、すくなくとも文学学術院においては、公表されず、その「検討」の内容についても途中一切報告がありませんでした。「設置要項」の定めにしたがって四号委員に名を連ねる文学学術院教務主任がこの委員会で何をどのように考え発言したかは、事柄の重さからして、学術院教員の重大な関心事であるにもかかわらず、です。民主主義的な審議を重んずるならば当然なされてしかるべき配慮が、全く欠けています。この委員会は秘密会なのか?

ハ)11月25日に突然のように、学術院の全専任教員に、「内部通報等処理規程(案)」の「修正案」が、タイトルも改めて「内部通報等対応規程(案)」として配布されました。今ここでその内容に立ち入るべき筋合いではありませんが、この配布が、同様に審議手続きを無視した不当な配布であったということだけは指摘しておかなければなりません。

 前日の24日に開催された教務担当教務主任会でこの「修正案」が議題として取り上げられ、その書類には間違いなく、「規程(案)を各学術院に持ち帰りのうえ、ご検討いただき、12月1日の学術院長会までにご意見等の集約をお願いします」と大書されていますが、この「お願い」の内容について、教務主任たちのなかから、それは審議ルールにたいする違反だとの、もっと詳しく言えば、各学術院教授会で原案の審議中であるにもかかわらず、そして、12月1日の学術院長会での協議と付議の決定を経ることなく、「修正案」について12月1日までに各学術院で意見を集約せよというのは筋違いだとの声は一切出なかったのか? 出なかったからこそ、学術院で翌日には「修正案」が配布されたわけでしょう。これは、とんでもないことです。

 ところで、原案である「内部通報等処理規程(案)」についてこの時点までに審議の済んでいた学術院は、11月15日の商学学術院と21日の文学学術院だけです。そうであるにもかかわらず、教務主任会で出された書類には、前書として、「教職員対象の説明会で出された意見、各学術院から出された意見および内部通報制度検討委員会で検討した結果等を踏まえ、[原案を]以下の通り、変更することにする」と、奇妙なことがこれまた大書してあります。奇妙なのは、「各」学術院からの意見とは断じて言えず、また、学術院での審議の結果は12月1日の学術院長会ではじめて正式に表明されるはずのことだからで、学術院長なり事務長なりがそれを非公式に本部に伝えていたとしても、非公式な伝達を「学術院から出された意見」として本部の正式な役職者会議で取沙汰することは、理解に苦します。まして、修辞を省いていってしまえば、商学学術院は院長の発言で両案の制定に(両案の個々の条項にではなく)反対の意向を確認し、文学学術院では挙手による決まで取って両案の制定に(両案の個々の条項にではなく)反対の意思を確認したのですから、教務主任会のありようは理解を絶します。教務担当理事は何を考えているのか? 何も考えていないか、考えているとしても、別の思惑があるのでしょう。

奇妙と言えばさらに、文学学術院での「修正案」配布の際の11月25日の添書と27日の「訂正ならびにお詫び」の文書には、「修正案」が提示された11月24日の教務主任会で、「11月10日の学術院長会、11月13日の学内説明会で出された意見を反映して規程案を修正したので、各学術院に持ち帰りのうえ」と意見の集約を求めている直接引用文があります。教務主任会で出された書類の前書とこの引用文の違いはあまりにも奇妙で決定的です。
 もっと奇妙なことがあります。政治経済学術院で、11月24日開催の全学教務担当教務主任会の2日前、つまり22日に、あろうことか、教授会の開催案内とともに問題の「修正案」が全員にメールで配信されました。どうしたらこういうことが起こりうるのか? 教務主任会の機能不全ばかりでなく、学術院教務の不能をも言挙げしなくてはならないのか? それとも、本部がらみの悪意に満ちた思惑を想定するべきなのか?

ニ)手続きにかかわることですから、「意見の集約」なるものについても一言しておきます。この問題に関して、教授会の審議を軽視あるいは無視して、構成員個人に意見を個別に教務に出させるやり方は、前もって教授会での審議を経ていないかぎり、是非とも止めるべき愚策です。「訂正とお詫び」の文面によれば、幸い、「11月24日の教務主任会では、12月1日の学術院長会までは集約のための時間がとれないという意見が強」かったようですが、しかしこの文言には、時間がとれればそれでもよろしいとの考え方が透けて見えます。本部なり理事会なりが、あるいは学術院長がアトム化した個人の個別的意見の集約で教授会全体の意思を判断できると考えているとするならば、そこにあるのはそう判断する側のご都合主義以外の何ものでもなく、教授会の審議と審議能力をオチョクル考え方です。それとも、本部・理事会や学術院長は討論・討議の力を、自分たちの独善的な都合の通りにことが運ばないからという理由で、恐れているのか? 討論・討議に相応しい事案を相応しい形で提案する方がどれほど健全で実りがあるかということを、一度本気で考えてもらいたい。

ホ)沢山の言葉を費やしましたが、核心は、本部・理事会、あるいは学術院長の審議ルールを軽視・無視した何重もの違反・違法の行為に抗議し、その謝罪を求めるとともに、ことを正しい出発点に戻し、以後このようなことを断じておこなわないよう厳重に己を律することを要求する、ということにあります。

この先まだ両規程(案)の審議を控えている箇所があるわけですから、箇所の自由裁量権を認めなければならないとしても、この場合には、本部・理事会は責任を自覚して、まだ審議の済んでいない学術院が間違っても「修正案」によって構成員の意見を徴することがないようにすることを要求します。そして、なりふりかまわずに(と言ってよいと思います)正規の手続きを飛び越えてでも早急に両規程の制定を図る本部・理事会の言動をつぶさに観察するに、ひょっとして白井総長はこの問題で文部科学省に勝手に、あるいは独断で何かとんでもないことを約束していて、それを果たさないと、これまたとんでもない不都合が生ずるといったようなことがあるのでは、と疑います。このような疑念をきれいさっぱり、公明正大なやり方で晴らしてくださることを、とくに総長に切望します。

Ⅱ:原案についての問題点の指摘と意見

A.「内部通報等処理規程(案)」について

この文章を書いている立場からして当然ですが、私は以下において「修正案」に言及することはしません。ただし、折角配布された文書ですから精読しましたので、次のことだけは明言しておきます。「意見等を反映して」と称しながら、どういう意見の何を反映し、あるいは何を反映しなかったのか、何故反映したのか、あるいは何故反映しなかったのかが、私には皆目理解できなかったこと、つまりその説明が一切ないこと、そして、基本的には一見改善されたように見える条項でも、他の条項や「教員の服務規程」などと照合してみると、実はそうではないこと、です。

以下、「原案」について意見を述べます。ただし、私は提示されている両規程(案)に基本的に反対ですので、細部に立ち入って、例えば逐条的に、あるいは字句・文言上のレベルで意見を述べるのではなく、全体としての問題点を指摘するに留めます。

イ)内部通報にかかわる「通報対象事項」と「通報者」および「被通報者」の規定範囲が異常に包括的であること:「通報者」と「被通報者」とされる人たちの範囲があまりにも広すぎるということ、そして、国のすべての法令および学内のすべての規程・規約に関してすべての違反を取り上げることになっているということだけが問題なのではない。重大な危険を孕んでいると私が考えているのは、「内部通報等」を規程(案)第2条第4項が「通報対象事実が生じ、またはまさに生じようとしている旨を…通報等すること」と定義しているからです。「通報対象事実」が「まさに生じようとしている」場合にも、「通報等」がおこなわれるべきであるとすることは、私にはほとんど保護・予防の名を騙るかつての保安処分の発想によるとしか思えません。

ロ)「内部通報処理委員会」が極端に中央集権的であること:委員の全員が総長指名であり、この委員会へ情報を集中化し、この委員会が専一的に情報を管理することが図られています。イ)の問題点とあわせて考えると、私にとってはとんでもなく恐ろしいことです。

ハ)イ)とロ)を前提として言えば、「被通報者」に含まれる「総長、理事」、監事およびその他の「教職員等」の役職者については、その職務上の違反・不正を通報しても、教職員の役職者に関する服務規程が存在していないがゆえに、公正な対応をまったく期待できないこと:経験上、私たちは、すくなくとも私は、このことを知悉しています。

ニ)結果として、知の共同体としての早稲田大学のよき伝統である(今や、であった?)自由な研究・教育と、それを支え促進すべき闊達な議論・討論のありようとに、致命的な影響がもたらされることは必至であること:私たちは、これでは否応なく、常時お上の監視下におかれて、密告社会につきものの疑心暗鬼にさらされることになります。

ホ)個人情報の保護、人権の保護、ハラスメントの防止、あるいは「研究倫理規程(案)」などにかかわる学内の規約・規程の類との照合・磨り合わせが不十分であること

ヘ)「処理委員会」および「調査委員会」の実行性と実効性が大いに疑わしいこと:端的に言って、大学には警察的な意味での捜査権はないのだから。

このような問題点がある以上、私は、提出されている「内部通報等処理規程(案)」を批判し、この規程の制定に断固反対します。


B.「研究倫理規程(案)」について

「内部通報等処理規程(案)」をめぐるこの間の騒ぎにまぎれて「研究倫理規程(案)」が議論なしに制定されるようなことにならないために、全体としての問題点を指摘しておきます。

イ)この規定案が、私がその制定に反対している「内部通報等処理規程(案)」と直接関連する第13条~第16条の規定を含んでいること

ロ)第13条に先立つ第5条~第11条の規定の主要関心事は理工系の分野に属することであって、これを直ちに文系の分野に当てはめることは、かえってその研究を大幅に阻害する惧れが大であること

 したがって私は、「研究倫理規程(案)」についてもこれを批判し、このままでこの規定を制定することに反対します。

Ⅲ:反対提案

 以下、ⅡとⅢで指摘した問題点を踏まえて、反対提案を記します。

イ) 「内部通報等処理規程(案)」を(「修正案」もふくめて)廃案にすること

ロ) そのかわりに、公的資金の使用のみを規制し、その不正を防止するための規程を策定すること:文部科学省その他の公的機関のこの問題に関する規制要求は、当然このレベルに留まるべきものであり、また、このレベルに留まっているはずです。

ハ) 総長、理事、監事、その他の教職員の役職者の職務とその執行を規制するための服務規程とその「賞罰規程」とを、教員の「服務規程」と職員の「就業規則」およびその「賞罰規程」とは別個に、策定すること:役職者に関する透明性を欠いたお手盛りで無責任な処分のやりように、そして、総長・理事会に提出した役職者に関する職務執行上の違反・不当を批判する私の上申書にたいして何の反応も示すことをしない本部・理事会の態度に、私は我慢がなりません。

ニ) 研究倫理を規程の条文によって規制することに深刻な違和感を覚えますので、「研究倫理規程(案)」も廃案にすること:しかし、それは是非とも必要であると考えるのであれば、目的と方法と効果を十二分に考え練り上げた、理系も文系も納得できる案を再提出してください。

以上

* 田島文学学術院長殿

「簡潔に」とのご要求でしたが、Ⅰの部分は、事実関係を明確にするために、どうしてもそういうわけにはいきませんでした。ご容赦ください。もうご存知と思いますが、私も連署している白井総長・理事会宛の『「内部通報処理規程案」審議における理事会の手続き無視に対する抗議および質問書』(2006年11月25日付)と、総長・理事会に加えて内田担当理事宛に理工学術院・足立恒雄教授が提出した『内部通報制度の導入に反対します』(同日付)、さらに法務研究科・浦川道太郎教授の一文『人権と学の独立を侵害する内部通報等処理規程の制定に反対します』(2006年11月19日付、早稲田の再生を目指す会のホームページ「甦れ、早稲田!」に掲載)を参照してくださるよう、とくにお願い申しあげます。

最後に、11月21日の教授会での意思採決が、そして、私の、私のばかりでなく、他の教授会メンバーから提出されたであろう意見書が、12月1日の学術院長会でどのように報告され、あるいは紹介されるのかということに、私は重大な関心をもっていることを申しあげておきます。