2007年10月25日
早稲田大学総長 白井克彦殿
早稲田大学理事会 御中
「公益通報者等の保護等に関する規程案」に関する意見書
【Ⅰ】昨年11月に提案された「早稲田大学における内部通報等の処理等に関する規程(案)」(以下、「内部通報規程案」という。)に対しては、多くの教授会から反対決議が挙げられました。私たちもまた、繰り返し、反対の意思を表明してきました。
私たちがこれに反対してきた論点は多岐にわたりますが、とりわけ
①事実上の密告奨励規程であり、大学構成員のプライバシー侵害の可能性など、人権保障上重大な問題があることと、
②箇所の独立性を基盤とした早稲田大学のこれまでの合意形成プロセスを根底から崩壊させる可能性があり、「悪しきユニバーシティー・ガバナンス」を本学にもたらす恐れがあること
は、内部通報規程案の看過できない重大な欠陥であり、いったんこの案を撤回した上で、新たな設計思想に基づいて根本から練り直した規程案を、再度提案するよう理事会に求めておりました。
こうした反対を受けて、このたび、理事会は内部通報規程案を抜本的に見直し、国が制定した「公益通報者保護法」の線に沿った形で、「公益通報者等の保護等に関する規程案」(以下、「公益通報者保護規程案」という。)を提案されました。
これは、内部通報規程案の事実上の撤回を意味しているものと受け取れます。私たちは、総長・理事会のこの決断を、大いに多としたいと思います。
しかしながら、新規に提案された公益通報者保護規程案にも、まったく問題点がないわけではなく、いくつかの問題点が散見されます。以下、その問題点を指摘します。
【Ⅱ】公益通報者保護規程案の問題点の指摘および改善すべき点についての要望
1.学生および生徒が依然として通報者に含まれている問題
公益通報者保護法が対象とする通報者は「労働者」に限定されております。学生や生徒は明らかに労働者ではありません。また、この法律は、公益通報を行った労働者に対して解雇や降格等の不利益処分を行うことを禁じておりますが、雇い主が労働者に対して行う「処分」と、大学が学生・生徒に対して行う「処分」とを同一視することはできません。
前者はあくまでも雇い主(企業等)の私的利益の確保のために行われるものです。したがって、「公益」のために通報した者は、企業等の私的利益に背馳したがゆえに不利益処分を受ける危険性に晒されています。公益通報者保護法が、不利益処分を禁じているのは、このような企業等の私的利益の追求を排して、公益を増進させるためです。
それに対して、後者――すなわち、学生や生徒への処分――は、あくまでも教育的配慮に基づいて行われるものです。したがって、学生や生徒をも公益通報者保護規程で保護することは、教育上の混乱を引き起こす恐れがあります。
さらに、大学で生じる可能性のある不正で、学生等(とりわけ大学院生)による情報提供が有効である可能性の高いものとしては、研究および研究費に関する不正をあげることができますが、これについてはすでに学術研究倫理規程等の制度整備がなされております。また、教職員等の行為によって学生の権利が侵害される可能性のある各種のハラスメントについては、すでにハラスメント規程が確立しております。
このように、本学では、教職員の職務上の行為等に由来する不正や人権侵害等で、学生や生徒に影響が及びうる事柄について対処するための制度は整備されておりますので、公益通報者保護規程の通報者に学生や生徒を含める理由はありません。その一方で、通報者に学生と生徒を含めることの教育上の弊害は甚大です。したがって、私たちは通報者から学生と生徒を除くよう求めます。
2.通報窓口および対応委員会に関する問題
まず、通報窓口についてですが、監査室が通報窓口になるのは、人権保障上あるいは機密保持上大きな問題があります。
実務において、通報窓口に届いたすべての通報が自動的に対応委員会に送付されるわけではなく、通報窓口において対応委員会に伝えるべき通報とそうでない通報との振り分けが行われるものと思われます。今回提案された公益通報者保護規程案には、振り分け等の恣意性を防止するための仕組みが一切ありません。
さらに、第14条と第15条で、一般的に機密保持や個人情報の保護を謳っても、それを実行可能にするための制度構築は一切提案されておりませんし、通報窓口の構成員と仕事の範囲等も明確化されておりません。(たとえば、監査室の一般的業務と通報窓口に関する業務の間に利害の衝突が生じる恐れの有無などまで、精密に検討されているのでしょうか?)
いずれにせよ、通報窓口が扱う情報には大学の運営や教職員の人権等に大きくかかわる重要な情報が含まれているはずです。したがって、通報窓口の業務は、きわめて重要であるとともに、高度の機密性を要するものと思われます。このような重要性、機密性に鑑みるとき、監査室という職員組織を通報窓口とするのには問題があるように思います。たとえば、外部の弁護士事務所を窓口にするとか、対応委員会に事務局を設ける等の工夫等も検討に値するのではないでしょうか。
次に、対応委員会について、とりわけその委員構成について意見を申し述べたいと存じます。総長指名の専任教職員以外の者2名および担当常任理事が含まれています。専任教職員以外の者2人については、恐らく外部の弁護士等を選任することが想定されているものと思われますが、公正中立性を担保するためにも具体的な選任の手続きを明示するべきです。また、「専任教職員以外の者」などという一般的な表現ではなくて、たとえば「弁護士」と明示する等して、選任の恣意性が生じる可能性を極力排除すべきです。
総長、理事および監事も通報される可能性がある以上、担当常任理事を委員に含めるのは不適切です。そもそも担当常任理事は事務局サイドの人間なのですから、それが司法的機能を持ちうる対応委員会の正式メンバーになるのは、公正性を確保し、権限の集中を防止するという観点からも不適切です。
3.第18条(「公益通報以外の通報の対応」)に関する問題
これは恣意的な拡大解釈が可能な条項であり、削除すべきです。
昨年の内部通報規程案に関して、私たちは、たとえば「服務規程」等との連動により、教職員のプライバシー等の侵害を含めた、大幅な人権侵害が学内で発生する可能性を指摘しました。
そのときの議論でも何度も指摘したように、その種の人権侵害やプライバシー侵害等は、規約違反等の外観を伴って行われるため、たとえ規程で抽象的一般的に「プライバシーの尊重」を謳っても、具体的・個別的な人権侵害の防止にはつながりません。
今回の公益通報者保護規程案においても、いくら第17条で、虚偽通報、誹謗中傷、プライバシー侵害等の禁止を抽象的一般的に謳っても、第18条が存在する以上、「合法性を装った誹謗中傷や人権侵害等」を阻止することは難しいでしょう。
それに加えて、第18条には「公益通報者を保護する」という公益通報者保護規程案の「立法目的」にも背馳する可能性があります。公益通報は、「公益」、つまり社会全体の利益を増進することを目的になされるものです。公益通報者保護法は、そのような公益の確保が、企業等の「私益」によってゆがめられないようにするために作られた法律です。
それに対して、「本学の規約等」は、あくまでも学校法人早稲田大学という組織の「私益」を図るために作成されたものです。もちろんその規約等の中身を一つ一つ検討すれば、その中に公益の増進につながるものが無いとはいえませんが、規約等を全体としてみれば私益の増進のために存在しているといわざるを得ないはずです。
したがって、学内規約等に違反する行為等についての通報は、公益通報ではなくて「私益通報」です。私益と公益には当然に対立するものがある以上、公益通報者を保護するルールで私益通報者を保護することは、それ自体が矛盾をはらんでおります。
さらに、私益通報と公益通報の並存は、将来具体的な問題を処理するに際して、大学が社会的な非難を受ける原因にもなりかねない危険性を孕んでおります。たとえば、保護した「私益通報」の具体的内容によっては、「大学は不正を行った者をかばった」、「大学は悪事を隠蔽した」、等々の批判を受けるかもしれません。
このように、第18条は、人権保障の観点からも、また「立法の目的」の観点からも不適切であり、削除すべきものであると考えます。
4.第9条(「調査」)に関する問題
第9条3項では、対応委員会等の調査に際して、被通報者に対して、公正な聴聞、あるいは反論や弁明の機会などを与えることを、一般的には謳っておりますが、それについての制度的保証は一切なされておりません。とりわけ、被通報者が受けることのできる具体的な権利の内容(たとえば、弁護士の選任権など)について記述が無いのは問題です。
また、この点に関して、昨年来の理工学術院等におけるいくつかの事件の教訓がまったく生かされていないのも問題です。たとえば、それらの事件では、理事会が設置した調査委員会の調査能力不足などにより調査期間が不当に長期化し、それが調査対象者の人権を大きく侵害したという現実がありますが、今回の公益通報者保護規程案には調査期間の短縮化についての記載はいっさいありません。その他、昨年来の諸問題の教訓を考慮して、規程を作成すべきです。
また、第9条を含めて、この公益通報者保護規程案には、被通報者が「無実」だった場合の名誉回復措置についての記載がないことも問題です。「無実」が判明した場合には、大学は全力を挙げて被通報者の名誉を回復するための努力をなすべきです。
最後に、第9条5項は人権保障上望ましくないので、削除するか、せいぜい努力目標程度としてはいかがでしょうか。
5.公益通報者保護規程案の文章や表現に関する問題
規程案の文章全体に、定義の不正確さや意味不明あるいは判読不明な表現等が散見されます。一例をあげれば、第2条1項と第16条1項で、「教職員等」の定義に不整合性が生じております。
それに加えて、この文章は全体として格調を欠くものであり、本学の公文書として多くの人の目に触れても恥ずかしくないものにするためには、相当の修文が必要と思われます。
【Ⅲ】今後の手続きの進め方についての要望
1.今回の公益通報者保護規定案は、本年10月5日の学術院長会で初めて提案されたものであり、学内各箇所での議論は未だなされておりません。また、上記【Ⅱ】で指摘したようなさまざまな問題点がありますので、十分な議論を尽くして完成度の高い規程案とすべきです。したがって、私たちは、11月に開催される学術院長会でこれを議決することには強く反対します。
2.理事会は、今回の公益通報者保護規程案についての説明会を開き、教職員の意見を十分に聴取し、審議を尽くすべきものと考えます。なお、説明会は、多数の教職員が参加しやすい場所と時間を選んで、必要なだけ何度でも開催するようお願いいたします。
【補足】今回の公益通報者保護規程案の提案にあたって理事会が作成した「公益通報者等の保護等に関する規程制定の件」と題する文書の「1.提案の趣旨」で、理事会は、規程の「11月末までの制定」があたかも文科省との約束であるかのような書き方((1)と(3))をしています。しかし、この主張には疑問があります。
まず、(1)で、「2007年6月に実施された文部科学省による、同第一次及び第二次行動計画の進捗等の視察において、11月末までに規約制定を求められている」とありますが、本学はすでに学術研究倫理規程等を策定して、行動計画におけるこの点についての約束はすでに果たしているはずですから、(1)の主張には疑問を感ぜざるを得ません。
次に(3)で述べられている平成19年5月31日付けの文科省の通知ですが、たしかに11月までに通報窓口の設置は求められておりますが、本学の場合、すでに通報窓口としての「調査受付デスク」があるわけですから、この通知の要求は満たされていると解すべきです。
以上の理由により、「2007年11月末まで」に公益通報者保護規程を制定しなければならない理由はありませんから、理事会は拙速を避けて、十分な議論を行うべきです。
【Ⅳ】以上、「公益通報者等の保護等に関する規程案」における問題点を指摘しましたが、それは、理事会の今回の提案を一層良きものにしたいという思いから出たものであります。
総長・理事会におかれましては、「公益通報者等の保護等に関する規程案」を一層良きものにすべく、私たちの意をお汲み取りいただき、更なるご検討をよろしくお願い申し上げます。
足立恒雄(理工学術院)
石川正興(法務研究科・法学学術院)
稲葉敏夫(教育・総合科学学術院)
浦川道太郎(法務研究科)
逢坂哲彌(理工学術院)
大内宏一(文学学術院)
大久保進(文学学術院)
佐々木宏夫(商学学術院)
棚村政行(法務研究科・法学学術院)
濱義昌(理工学術院)
樋口清秀(国際教養学術院)
眞柄秀子(政治経済学術院)
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