卒論関連

卒業論文のためのメモ(ver.2/December 2004)
【スケジュール】
12月 卒論ガイダンス
1-2月 目次と小論文(15枚程度)
3月より卒論ゼミ開催(不定期)
……但し、今年は夜の授業が減ったので、平日に開催可能。
Ex. 木曜日18時より
10月 題目提出
12月 卒業論文提出
昨年までよりもスケジュールを早めている。
なぜなら、
3月あたりに小論文を提出してもらおうとしても、
就職活動に追われて出来ない可能性が高いから。
ともかく、
このテーマで書けるかどうかを試す意味でも、
これはかならず書いてもらう。
これによって、自分でやっていけるかどうかを試してほしい。
【まず大切なこと】
・「論文」ってこんなものなんじゃない?と思うのは危険。
ともかく、実際に「論文」といわれているものを読んでみる、
「論文の書き方」で記されていることを理解する――ことが必要。
・自分が最終的に何を言いたいのか、にまで、還元する作業。
【枚数】
原稿用紙400字づめにして80-100枚(32,000-40,000字)をメドとする。6
但し、多い分にはかまわない。註や文献は字数には含めないものとする。
基本的にA4の用紙を用い、パソコンで作成し、製本。
【参考書】
何でもいいけれど、まず勧めるのはこの3冊。ともかく一読はしておくこと。
・戸田山和久『論文の教室 レポートから卒論まで』(NHKブックス)
・小笠原喜康『大学生のためのレポート・論文術』(講談社現代新書)
・山内志朗『ぎりぎり合格への論文マニュアル』(平凡社新書)
【メモのとり方】(一例)
[手書きのメモ(断片でいい)
→パソコンにインプット
→ある程度の量がたまったらプリントアウト
→プリントアウトした断片を近いテーマでグルーピング
→パソコン上で並べ替える]
以上の作業を繰りかえし、徐々に思考している断片を整理し、まとめてゆく。
【ロジックの組み立て】(ひとつのやり方として)
●接続詞
順接なのか逆説なのか 言い換えなのか 例示なのか おなじ接続詞がつづいていないか
●定義
自分の思い込みで使ってはいないか ちゃんとした定義が必要でないか
わかりやすいものほど注意 いろいろな説のなかで自分がどれを採用するか
●根拠
あるか/ないか どこから持ってくるか インターネット・サイトは確実か
【[5W1H]+α】
誰がwho, 何をwhat, いつwhen, どこでwhere, なぜ(どんな目的で)why, どうやってhow
→ そして、どうなったか。
(ちなみにビジネスの場合は、5W2Hが役立つといい、how muchが追加される)
【方法論】
扱う対象によってアプローチする方法は変わってくるが、
情報の処理にせよ、切り口にせよ、何らかの「方法」的意識は持っていたほうがいい(だろう)。
Ex. カルチュラル・スタディーズ、記号論、その他。
【大切なポイント幾つか】
・「確かに言えること」が論文としては重要である。
・「具体的なもの」を目指す。
語れるところへ持ってくること。
大きすぎるテーマは考え直すこと。具体的に言えることへとしぼること。
そして早めに気づくこと。
行き詰まったら、「何が言いたいのか」を自問する。
・「言葉に表すのが苦手だ」などというのは逃げ口上である。
・「言葉に表せないこと」をどうやったら表せるかと考えること。・
何かの事象・現象があったら、その背後、あるいは前後左右における力学を考えること。
自分自身で、自分の書いたことについて「つっこみ」を入れること
答えがでるもの/でないもの、自分のやるものがどちらなのか。問題提起で終わるのか否か。
・アンケート/(実地)調査/インタヴューが必要なものは、それだけ早く準備する必要がある。
【ポイント】
・「問い」があって、「答え」がある。
それが論文の基本的な考え方である。
だから、例えば、「1960年代の社会と音楽」といった題目があったとしたら、
これに「問い」と「答え」が見出せるだろうか?
1960年代はとても幅広く、社会問題は数限りなくあり、音楽も多様である。
そうしたなかで何が言えるのか?
・「答え」は一体、どういうものになるのか?
何はともあれ、具体的に何が言えるか、絞り込む作業が必要である。
どうしてもこの題目にこだわりたいのなら、「
副題」で、何とか絞り込んだものとする。
「1960年代の社会と音楽――ビートルズの『サージェント・ペパーズ』を中心に」
といったように。
じつは、こういうことをやりたい、という段階では、
すでに漠然とでも、考えや答えが見えているはず、である。
いまから調べます、というのは、
その漠然としたものにかたちを与えるくらいのほうが望ましい。
・ともかく、書き始めること。
大抵のひとは、書くことに慣れていない。
アタマのなかに何か考えがまとまってくれば、それを書けばいい、
と思っていることが多い。
だが、実際には、書き始めてみると、アタマで組み立てたとおりにはいかない。
なぜなら、アタマのなかにあるのは、1文1文を積み上げたものではないから。
目の前に現れた文字を見て、或る程度でも客観的にロジックがたどれるようになって、
何かおかしい、考えているとおりに書けていない、と思ったりすることはざらである。
そして、さらには書いているうちに別のところに向かっていく場合がある。
だからこそ、ともかく書くこと。
いくら書きなおしてもいいのだから、書き始めるのは先でいい、とは考えないこと。
・ストーリー?
→ ながれ、論述、何でもいいのだが、ひとを説得させるような順序、か。
何をやるのかを「序章」で提示、3-4章程度でストーリーを展開させる。そして結論。
それが目次となる。
・なぜ「目次」なのか?
→ 目次を作ることによって、論旨がどのように進められるかが決まってくる。
序章から、おおよそ、第1、第2、第3、第4章くらいまでいって、結論。
それから註と参考文献がつく。註はもちろん脚注でかまわない。
・「目次」の細分化
→ 第1章で、何らかのテーマを扱う。それを、さらにどうやって見ていくか。
それをやっていけば、自ずと何を調べなければならないか、何が足りないかが見えてくる。
・結論?
→ 調べていくうちに結論は見えてくるだろう、というのは間違い。
むしろ、結論はアタマのなかに既にあり、それを確証するために、本文がある、といえる。
だから、あくまでも「あたり」とはいえ、結論は握っておくべきである。
それはもちろん作業中に変わってくる可能性は多々ある。
だからこそ、途中でやりなおしが少しでもきくように、早めに始めなければならない。
・なぜ「註」がいるのか?
→ ほんとうのことなのかどうか、あたることができる。
こんなふうに誰々は言っている、とあったら、
それは誰々がどこで言っているのか、それがすぐに調べられるということ。
論文は「自分」のために書く、というのも確かだが、
文章・言葉というのは、他者に宛てられ、他者が読むべきものである、ということを忘れずに。
・「題目」と「副題」?
→ 題目は或る程度漠然としてもかまわない。それを絞り込んで副題とする。
実際には、締め切りの数ヵ月前にやっと絞り込める状態になるひとがいる。
10月には「題目提出」があるが、この段階では副題は必要ない。
・レイアウト?
→ 序章があって第1章があって、第1章には第1節と第2節がある……
そんなふうに実際は分かれていくわけだが、どこで改行し、どこで改ページするか、
引用は中央に寄せるのか、といったことは、かならずしも「マニュアル」を見なくても、
本をたくさん眺めていれば自然にわかること。その学生が本に親しんでいるかどうかも、
こうしたところでわかったりするので、注意。
・参考書?
→ まずは自分で探すこと。ひとをアテにしないこと。
これだ!と思うような1冊がもしみつかれば、その本にある参考文献をあたっていけばいい。
早稲田大学図書館のWINEや国立国会図書館、大宅壮一文庫などのHPで検索すると、
かなりのことがわかる。
もうひとつ、図書館の「レファレンス・コーナー」は積極的に使うこと。
レファレンス・コーナーについては、図書館のHPで見ることができる。
・まだ先の話だが……提出のとき、なぜ「主査/指導教官」の名が、表紙に必要になるのか?
→ おなじ専修で卒論を提出する数十名について、担当教官に仕分けする作業は大変だから。
【指針】
大学で「これをやった」といえるようなもの、にしてほしい。
就職するのか、大学院に進むのか、
によって、少し指導方法も異なってくる(かもしれない)ので、
そのあたりは早めに相談してほしい。
就職につながるようなテーマをやるのも、ひとつのテである。
パッションは、できることなら持ってほしい。
但し、passionとは「情熱」であり「受苦」でもある。
【その他注意】
・3年生の12月あたりに手をつけはじめるのが有効である。
なぜなら、もっとも余裕があり、ものを考える時間があるから。
多くのひとは、夏休みを過ぎ、正式な卒論題目を提出するあたりで真剣に焦りはじめ、
1にはいったくらいに、しきりに相談しに来る。
そうした頃には実質的に教員も多忙を極めているので、
時間がとれなかったり、対応が邪険になったりする可能性もある。
だからこそ、もっと早くにできることはやっておかなければならない。
・一応「卒論ゼミ」らしきものはおこなうが、参加は強制ではない。
但し、1度も相談に来ないで「題目提出」の印鑑だけもらいにきても、
単位の保証はしない(何のアドヴァイスをしなくても、内容が良ければもちろん問題ないのだが)。
・各人のテーマは多様であるので、
「卒論ゼミ」でおこなわれる他学生の発表は、かならずしも自分の興味の対象ではないかもしれない。
だが、そこで必要になるのは、他者の声を聴き、ロジックをたどることであり、
そこで示唆されることで、自らの想像性を豊かにすることである。
要は「聴く」能力である。