障害学会第10回大会(2013年度)報告要旨

今野 稔久 (こんの なるひさ)   北海道七飯養護学校

■報告題目

「インクルーシブ教育への一視角 −特別支援学校・訪問教育の場を起点にして」

■キーワード

インクルーシブ教育、訪問教育、裂け目

■発表要旨

 かつて最首悟は、「障害児を普通学校へ・全国連絡会」の運動に携わる人たちに向けて書いたものの中で、障害当事者である母親から、「『同じような境遇の人と知り合いになり、いろいろ話をきかせて頂いて私なりに強くなりたい』と入会したけれど、皆さん親は健常者だとわかり、皆さん普通学校にこだわりすぎていて、それは自分が "普通"だからじゃないか、養護学校出身者とは根本的に考えがちがうので退会する」(最首,1998,p115)という趣旨の手紙をもらい、「うん、やっぱりそう思っておいででしたかという共感と、でも、やっぱりそう決めてしまってはという残念な気持」(最首,1998,p115)をもったと述べている。ここで、最首が用いた喩えは、器と中身とについてであった。それは、養護学校(特別支援学校)という器は、「明白に差別的見地によって建てられて」(最首,1998,p.116)いる、その一方で、教育の中身については、地域の学校にくらべると、「平和ですし、子どものことを思った教育もできる」(最首,1998,p.117)ということだった。ただし、中身が「はるかに教育の場にふさわしい」(最首,1998,p.116)のは、隔離追放された子どもたちを対象にした学校だからである。また、養護学校(特別支援学校)の中身を良いとする立場がそもそも、大人の側からの教育観であるとも述べており、「教育とはそのほとんどが子ども同士で行われる」(最首,1998,p.117)という、もう一つの教育観に照らしたときには、さまざまな子どもが居なければならいことや、大人の目が届かないという必要があり、その点では、養護学校の美点となる、ほぼマンツーマンに等しい少人数教育が欠点になると記している。そのうえで彼は「障害児を普通学校へ」というスローガンを大きく受け止めてほしい、そして会員を続け「意見を言ったり、愚痴をこぼしたりしてください」(最首,1998,pp.119-120)と伝えた。
 分離された場で、大人の側からの教育観をベースにして、その中で実現しようとしている、「子どものことを思った教育」。そのあり方は、最首がこれを記した1988年から25年が経っても、根本的には変わっていない。なぜ変わらないのか。それを丁寧に紐解いていくことは、障害学の重要な主題である。その主題の一端に、特別支援教育・特別支援学校の場から、内在的な批判を試みることも位置づく。批判の先に見据えるのは、分離しない場での、大人の側からの教育観と、子どもの側からの教育観とがせめぎあう、その中で、子どもも、そして大人もそれぞれが生き生きと何事かをする教育、すなわちインクルーシブ教育の姿である。今回の報告では、「インクルーシブ教育」を主題にする。特別支援教育の「差別のまなざし」と、その中で、子どもも、教員も、ここで頑張っても「高がしれている」という虚しさに陥らず、あるいは、差別の問題など無いかのように、考えない、ということもせず、どのようにしたら生きのびていけるのか、といったことが問われるだろう。その際、問いと考察の源になるのは、やはり、日々の、子どもと<わたし>とのやり取りである。
 いま、在宅での訪問教育を担当している。訪問教育は、重度の障害ゆえに学校へ通うことが難しい子どものところに出向いて授業を行う。Yくんという、小学部2年生の子を担当している。Yくんの大きな存在感と、<わたし>の、それに及ばないあり方、そこに生じる「裂け目」。しかし、その裂け目があるゆえに見出すことのできる、特別支援教育の、「外部」とのつながり。こうした問いについても、ひとつ明らかになり、更なる問いを見出すことができるだろう。
 
 主な項立ては次の予定である。
・ 訪問教育の授業はこんなふうに(あらまし)
・ 子どもの<リアリティ>と、それに及ばない教員と、そこに生まれる「裂け目」
・ 教員の危うさ、<わたし>の危うさ−まなざさす存在・なまざされる存在
・ 「裂け目」に見る可能性
 :授業の中身のとぼしさから
 :授業のままならないもどかしさ、から
 :授業の、働きかけ、くみ取ろうとすることのつたなさから
・ インクルーシブ教育への「動態」の中で
 :素朴に、学校とは何か ー 大人の側、子どもの側
 :子どもの<わからなさ>から、<わからなさ>へ 



引用・参照文献
最首悟,1998,『星子が居る 言葉なく語りかける重複障害の娘との20年』,世織書房