アルデンテ(1)

上沼 正明
97.2.27
ゼミ論文集に寄せて

一度目は悲劇として、二度目は笑劇として(2) 
恋は遠い日の花火ではない、というコマーシャルがある。無論、日常が単調だから、恋とは縁遠い日々だからこそ、心を動かされるのだが、問題は、恋ではなくて、ふと舞い戻る時間の方なのだと思う。時間が戻ってくる。もう終わったと思ったことが、「はず」でしかなかった、ということが。
 恋とは違い、現実は「賽の河原」や「シーシュポスの神話」だ、とゼミの新旧交代を指して表現した時、お寺を継ぐという今時奇特なO君だったかに、妙に関心され、それほど夢のない話でもないのにと、逆に少し困惑した覚えがある。釈尊の手の平の孫悟空の飛翔と、控えめに表現すべきだったのか。それとも、ポジティブに、「初めに向かって完成する」と。あるいは、終わってはいないこと、同じことを少しずつ変えながら繰り返す、「反復とずれ」だと。
 なぜ、こういう感慨をいだくのか。今年から就職協定が廃止され早まる活動に対応して、従来の3月末を一ヶ月繰り上げて、新年度の合宿を本庄セミナーハウスで実施した「早すぎた春」直後に特有の落ち着かぬ心理状態、というだけではあるまい。根本では、恐らく、成長主義と官僚支配の終焉、と言わないまでもそれらからの転換の道筋が見えだしたからであろうが、その前に幾つか個人的な契機を思いつくままに書き連ねることにしよう。“Parting is such sweet sorrow.”とうのだから(3)

反復、だが何の? ところで、反復といえば、昨年のこの欄で「ニュー・シネマ・パラダイス」をとりあげたが、トルナトーレ監督は最近作「記憶の扉」でも相変わらず最後に余計な説明を付けると某評者が書いていた。嵐の晩に起きた拳銃による殺人事件の謎が、これ以上書けなくなった大作家の不条理な、ジョナサン・キャロル風の生と死のカフカ的審判によって、夜明けの天候の回復とともに“解消”されるのだが、最後に(先の某評者が蛇足だと言う)審判を待つ別の殺人事件の被疑者が登場する。
 アルデンテ的文体を好み、人生にア・プリオリな意味も秩序も認めない(ことになっている)私には、余計な説明や蛇足で文体が破綻してまでも意味や完成を目指す精神が羨ましくもあるのだが、その「ニュー・シネマ・パラダイス」でカットされていた(4)30年の再会のシーンでのトトとエレナが、昨年末からのBS放送の連続ドラマ「プロバンスの誘惑」に現れたので、驚いた。
 都市で骨董屋を共同経営する女主人公(ブリジット・フォセー)は、愛人と別れ父祖からの土地の古いが、すばらしい自然の中に佇む生まれ育った屋敷に戻って、ここで家族との生活をやり直そうとする。しかし、この館には、ある謎めいた忌まわしい過去があった。昔、父が経営する葡萄園の管理人が、製品の葡萄酒に毒物を混ぜたうえ自身の男児を除く家族を殺害して自殺する。葡萄園は閉鎖され、館も没落する。難を逃れた管理人の息子(ジャック・ペラン)は、他所で養父母に育てられ、やがて実業家として成功し名前を変え、父と家族を滅ぼした館を水没させる一大レジャーランド建設計画を携えて、この地に舞い戻る。だが、当事者の生前の懺悔で神父しか知らないのだが、実は、この息子は女主人公の異母兄妹だった、というのがこれまでのあらすじ。自然、家族、男と女、病、過去と未来、金儲けと葡萄酒、それに南仏プロバンスと大盛りの陳腐な脚本に辟易しつつ、なぜか観続ける。テーマ音楽をくちずさんでいる。
 ヨーロッパでは各地で放送されて大人気だったという。人々の生活を映す、新しいが普遍的な要素を表現しているからか。私を含め大衆のゴシップ好きのせいか。それとも、トトとエレナの反復のせいか。ともに父親に死なれ、あるいはその不在に、故郷を捨てることになる(トトの父親が生きていたら、映画館で働いただろうか)。成功して戻って来て、あるいは戻らぬことで復讐しようとするが、結局、手痛い真実を知ることになる。勿論、最後に救いの涙を流しても。
 そういえば、昨年話題になった映画「アンダーグラウンド」の監督エミール・クストリッツァの旧作「ジプシーの時」の一家にも父親がいない。霊力のある母親、息子、脚の悪い娘、復員して無職の叔父、の一家。物語は、ツキに見放された叔父が、サイコロ博打に負け続ける場面から始まる。「今度勝たせてくれたら、神様、あなたを信じます」。だが、負けてしまう。一方、息子は、近くにすむ少女に恋をし結ばれる。それを象徴するかの、川に入ってキリスト像を運ぶ精霊流しの様なジプシーの祭りの場面は、ゴラン・ブレゴヴィッチの音楽とともに余りにも美しい。しかし、息子には持参金がない。そこへ、都市で一旗あげた男の子供の奇病を母親が助けた縁で、息子は、持参金稼ぎと妹の脚の治療のため男と都市へ出る。だが、実は、男の“事業”とは、ジプシー仲間の子供たちを金でリクルートしては街で物乞いや泥棒や売春をさせてピンハネする稼業で、騙された息子は遂に復讐するが、男の情婦に撃ち殺されてしまう。家に戻った遺体の両眼にはジプシーの習慣か金貨が置かれるのだが、死んだ少女が遺した男の子は、無邪気にその金貨を盗む。そのわが甥(もしくは息子)の行為に気付いた叔父は、冒頭の約束通り神様に感謝するため教会へと丘を駆け上るところで物語は終わる。
 ユーゴスラビアの成立と崩壊の歴史を描いた「アンダーグラウンド」もまた、革命や国家や民族などの観念の欺瞞性と崩壊を露にしたという意味で、「父親の不在」の反復とも言えよう。とりわけ、シャガール好みの監督が「ジプシーの時」と同様に花嫁を飛翔させ、劇中劇を、一回目はまだ戦争中と思わせる地下室で、二回目は、チトー政権成立後にパルチザンの記録映画を撮影する屋外で、繰り返して寓意性を高め、登場人物たちが死んだと思ったら現在の内戦に現れて、反復が強く意識されてしまう。

「おやじの背中」 そういえば、「記憶の扉」の大作家も孤児であったことが判明し、そして、わが寅さんにも父親がいない。確か、小林秀雄だったか、父親が死んだ夜にいま初めて自分を保護する者がいなくなり、独りで世界と向かい合わなくてはならぬことに気付いて泣けた、と書いていた。また、小栗康平は、小さな文具店を営む父が仕入れ品を上野から担いできては、10円を惜しんで子供達に駅まで迎えに来させた思い出を書いている。空っ風の風土でグレた息子がタバコを二階の部屋で吸っていたある夜、階段を上る足音がして「吸いすぎるなよ」と父親の声が聞こえてきた。「その父は指先がまっ黄色になるほど煙草を吸いづめにして、六十の手前であっけなく癌でしんだ。父はあのとき、煙草がきれていたのだろうか。私は当時、父とまったく会話を絶っていた。」(5)と。
解剖学者の養老孟司は、ある新聞の「おやじの背中」というコラムで、自身が4歳の時に34歳で結核で亡くなった父親の影響のことを書いている。父親の死後、彼は、中学、高校時代、外で知り合いと会っても挨拶ができなくなる。考えてもずっと原因が判らない。ある時、臨終の父親の枕元で「さよならと言いなさい」と促された時に何も言えなかった、「それが影響して、他人にも言えなくなったんだ、と気づいた。それは私が四十歳のころだった。走る地下鉄の中で考え、そう分かった瞬間、なぜか涙が出ました。私にとって、その時に父親は本当に死んだんです。」(6)と。
 会社人間と言われ、「亭主元気で留守がいい」とされる例を持ち出すまでもなく、「父親の不在」は、全共闘時代からの「食卓のない家」で明らかだし、前述のような作品に「父親の不在」を見つけるのは凡庸である。しかし、「父親の不在」や「父殺し」を反復するしかないようなのだ。

「構造化されたパターナリズム」 では、「父親の不在」を生きるしかないとしたら、どうしたらよいのか。この点で、前出の養老孟司や米本昌平の議論が示唆に富む。
 米本昌平は、ある総合雑誌で、これまでの日本の広義の政治体制を「構造化されたパターナリズム」と解釈し、次に来るべき権力構造のあり方を提言している(7)。  米本は、「圧倒的な知識や情報量をもつ専門家の側が相手のことを慮って対応策を決め、クライアントの側がこれを受け入れるような事態」をパターナリズム(父権主義的決定)と呼び、「この関係が強靭な政治イデオロギーとしてすべてを覆いつくし構造化されているのが日本の政治風土である」と主張する。「この日本では、主要な政策立案の業務は異様なほど霞ヶ関に集中しており、実質上ここを離れては政策立案作業は存在しない」。
 実際、日本の権力機構は三権分立などではなく、立法府である国会と行政府である内閣の二つの権力が、議院内閣制を口実に濃厚な補完関係を作り上げ、辛うじて裁判所制度が別建てという意味で、日本の統治構造は「半権分立」の状態にある、という。つまり、「この政策立案の作業を実際に担っているのは、各省庁の課長補佐クラスであり、・・・・利害関係者は、直接要望をここに申し入れるか、国会議員を介してここに圧力をかけるのだが、優秀な人間が中央省庁の担当部署に集まっているという神話を皆が信じ、ここに要望と権限を集中させて一切の決定を託すこの体制こそが、日本の中央集権的な権力構造の核心」なのである。かくして、「政策形成の過程が、本質的に要望を集積させ編集することにあるため、決定の根拠や手順が外からはひどくみえにくくなる。・・・・しかも政策と言っても、政策大綱しか書かれない場合が多く、その実施細目の決定や運用はこれまた担当部局に一任されることになる」。そして、ここから、行政の裁量権と行政への依頼心の構造化、「無責任の体制」(丸山真男)、「国会の審議会化」、大蔵省が必ず東大法学部の成績一番の者を採り続ける慣行、「行政の無謬性神話」、国会の「儀式的対立」などが帰結する。
 しかも、マルクス主義の影響を受けた日本の知識人は、このような権力機構を実証的に分析して肉薄することなく、「遠回しに眺め、茫洋と‘体制’と呼び、批判的言辞を投げつけていただけ」という意味で、前述の統治イデオロギーを補強してさえきた。さらに、米本によれば、日本のジャーナリズムは「口うるさい叔父」の位置にあり、「権限や責任はないのだがそれなりに学や知識がある者の立場から、家父長的な中央の決定を批判したり、事後的に解説してみたりしてきた」に止まらず、記者クラブ制度を通じて霞ヶ関情報が一方的に流され、マスコミが問題と考えることのみが社会的課題となって「偽りのリアリティー」を固定化する。そこで、「霞ヶ関の側は、記者クラブを通して、巨大マスコミの問題提示能力を利用し、ある程度は当面の政治課題の形とスケジュールを操作することが可能になる」。
 かくして、先進国では珍しく日本の市民は、「実質上政治的に去勢された高関心・低行動という心理状態のままにあった」。要するに、93年まで続いた55年体制は、発展途上国でみられる開発独裁型国家に近いもので、「公的資金の配分を利権とみなし、公共投資の地元誘導を働きかける族議員と、権限と情報を独占する財政金融テクノクラートによってほとんどのことが決められてきた」。
 

政策研究の必然と快楽 そこで、米本は、こうした国家観を転換し、「権威の再分配」を実行することを、それには、「一見迂遠のようだが、個々人がそれぞれの問題意識と関心にそって、ともかく調査や研究を始めてしまう」ことを提唱する。そして、市民と同じく長いこと政治的去勢状態に置かれ続けてきたが、調査・研究能力の高い大学を発展的に解体し、医療・福祉・環境などこれからの我々の諸課題の在処である地方自治体の行政と融合させ、橋や道路でなくこれに公的資金を投入するという道筋をしめす。それは、単に、必然であるばかりでなく、一つに「成熟した民主主義社会では、社会的合意の手法として、個々人が自らの手で調査や研究を行える道を確保しておくことは、死活的に重要だからである。二つめは、われわれが充実した余暇活動を獲得するためである。少なからぬ人が、生涯教育と称してガラクタを詰め込まれるより、重要な課題について研究することの面白さと難しさを楽しみたいと思っているはず」だからである。
 ところで、昨年の夏の新聞報道によれば、「文部省は、様々な政策課題の解決方法を科学的、合理的に追求する‘政策研究大学院大学’(仮称)を、2000年開校をめざし、神奈川県内に来年度新設する方針を決めた。‘政策科学’とも呼ばれる比較的新しい学問分野の拠点とする計画で、現実の政治や行政の場で政策決定に携わる人材の育成も狙う。」(8)のだという。た、民主党の菅代表による「日本版GAO」、行政監視院の提唱や最近の公共事業批判の世論に対応して、今年の1月に相次いで建設省と農水省が、公共事業の効果を検証・推計する手法の調査に乗り出すと聞発表した(9)
 しかし、こうした省庁の動きとは対照的に、豪雪地の長野県栄村では、農業の基盤整備をするのに国の補助金をもらわず、しかも格安に仕上げていると伝えられる(10)の補助金をもらうには、例えば道路は決まった幅で真っ直ぐでなくてはならないとか、国の設計基準に合わせなければならないが、もともと水田の面積を広げるための基準なので、栄村のように地形の悪い場所で基準にあわせようとすると工事費が高くつくうえ、工事原価のほかに現場管理費や一般管理費などが無条件に一定割合で上乗せされる仕組みでさらに高くなるそうだ。そこで、栄村では、土木工事の経験がある農民5人と村職員1名で「建設作業班」を作り、村の直営事業として、設計図を作らずその場で農家と相談して進めているという。
 省庁と栄村の両者の違いは、もはや説明不要であろう。
 

脱「脳化社会」 養老孟司は、現代とは、否、正確には近世の江戸時代から、「脳の時代」だと特徴づける(11)。「情報化社会とは、すなわち、社会がほとんど脳そのものになったことを意味している。脳は、典型的な情報器官だからである。 都会とは、要するに脳の産物である。あらゆる人工物は、脳機能の表出、つまり、脳の産物に他ならない。都会では、人工物以外のものを見かけることは困難である。そこでは、自然、すなわち、植物や地面ですら人為的に、すなわち、脳によって、配置される。」のだと。だから、我々の遠い祖先が「自然の中に」住んでいたのにたいし、現代人は、いわば、「脳の中に」住む。しかも、「伝統や文化、社会制度、言語もまた脳の産物である。従って、我々は、ハード面でもソフト面でも最早脳のなかに閉じこめられたといっていい」のだ。
 しかし、この「自然の世界」に対する「脳の世界」の浸潤の歴史を、我々は、「進歩」と呼んだのだ、そう、養老は批判する。
 そうなのだ、我々は、成長主義や官僚支配の時代を終わらせようとするなら、「父親の不在」の時代にその不在を埋めようとする、脳が産み出す善意や観念と飽かずに闘わなければならない。「脳は脳のことしかしらない」からだ。養老は、前出のコラムで、最後にこう結んでいる。「父親というと、私はこうしたことが浮かびます。子の教育を考える時、世の中では父親がいて当たり前と考えられています。このコラムもそうです。でも、教育は父親がいなくてもできます。お手本はない方がいい。人間は色々で、色々いるのがいいんです」と。 だから、我々は、まず、「脳は脳のことしかしらない」ことから知らなければならない。
 さて、わがゼミは、どうだったのだろう?「父親の不在」はともかく、「脳化社会」でなかったのは確かであろう!?その判定は、田中編集長を初めとする編集委員が制作した本論文集の内容に待つしかない。少なくとも私は、父親ではなく二階にあがったら不用となる梯子を心掛けたつもりだが。
 そう言った先から、今年も、わが娘の作品を最後に載せることにしよう。

(1) イタリアのパスタ料理で「こしのある硬さ」のこと。硬めに煮て、スパゲッティ自体の余熱で仕上げる。[戻る]
(2) 勿論、言わずと知れた、マルクスの「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」の冒頭から。[戻る]
(3) 「別れとは、なんて甘い悲しみなの。」ロミオとジュリエットより。[戻る]
(4) 最近、ノー・カット版を劇場で観てF君は、自分はまだ若く判らないのかもしれないが、泣けました、と言った。「テメエ、さしずめインテリだな」等の名台詞で記憶される寅さん亡き後の第1作で山田洋次監督も反復した、というエピソードが加わった。[戻る]
(5) 小栗康平「見ること、在ること」平凡社、1996年、p.17。[戻る]
(6) 養老孟司「朝日新聞」、1997年、2月17日付け、8面。[戻る]
(7) 米本昌平「研究と政治の結びつく先進国をめざせ」「中央公論」1996年12月号、pp.94ー103。以下の引用は、断らない限り、ここからのものである。[戻る]
(8) 「朝日新聞」1996年8月27日付け、3面。[戻る]
(9) 「朝日新聞」1997年1月13日付け、2面及び1月29日付け、1面。[戻る]
(10) 以下の栄村の記述は、「朝日新聞」1997年1月25日付け、夕刊7面より。[戻る]
(11) 養老孟司「唯脳論」青土社、1989年。[戻る]