Welcome to
KAMINUMA@LONDON
Always, now under Construction.

早稲田大学の私の個人ページへ ゼミ生のページへ
早稲田大学のホームページへ to: Birkbeck College HP

2000年3月31日(更新中)
 
2000年2月29日
 地球温暖化のせいだろう、ロンドンでも春の訪れを告げる草木の開花が早い。クロッカス@ゴールダーズグリーン火葬場クロッカスや水仙の色は芝生の緑に映える、特に以前書いた近くの火葬場の庭園は一面クロッカスで覆われて壮観だ。ここで荼毘にふされた、ヴィクトリア女王の孫や侍医、N・チェンバレンやR・マクドナルド首相、国会議員や実業家、芸術家、G・B・ショー、S・フロイト、T・S・エリオット、H・G・ウェルズ、A・J・P・テイラー、ピーター・セラーズ等の学者や俳優、近くの田園都市ハムステッド・ガーデン・サバーブ(HGS)を作ったヘンリエッタ・バーネット、そして無名の人々は幸せだ(写真中央の尖塔はHGSのSt.Jude教会)。荒涼たるムーアでは夏に咲くフェザーも公園や庭に栽培され既に紫に咲いている。枝ばかりとなって見通しが効く寒々とした木立の中でアーモンドチェリーやワイルド・プラムの白やピンクが一際目を引く。アーモンド・チェリー@フラット近くそこ彼処に咲く桜は種類が多く、日本と違って直ぐ散らずに長く楽しませてくれる。そう言えば先週、伸びきった近くの街路樹街路樹剪定車の枝が丁度、剪定されるのに出くわした。落された枝は筒状の粉砕機に押し込まれてチップとなり吹き飛ばされ前の荷台に積まれた(後日、ハムステッド・ヒース・エクステンションの乗馬コースにチップを撒き足す車両に出会ったが、再利用か)。春を迎える準備が進む。安全な雑木林の枝にウッドピジョンの巣を幾つも見つける。緑で覆われる夏には見えないものが、こうして目木屑撒布車に入る。そう、辺り一面に高く透き通る小鳥達の囀りも聞こえ姿も見える。日曜日に近くのケンウッドハウスの周囲を、管理するヘリテージ財団のレンジャーのガイド付きウォーキングに加わり、造園家・建築家達の隠された工夫(池を掘って偽物の白い橋を架けまるで川が流れているかのようにし、また木を並べて奥行き感を出す等)や歴史的変遷、植物の生き残り戦略、将来の改造計画などを、ゲイルと呼ぶ強風が吹く寒空に集まった人々と聞いた。寒かろうと休日は一人で、あるいは犬と散歩し、専用の大きな3輪の乳母車を押しながらでもジョギングし、老いも若きも公園に集まる。寒い日にはここからロンドン・アイやビック・ベン、BTタワーなど市内の建物が見渡せる。一段と日が長くなって、日出は6時47分、日没は5時40分。
 上の古い領主館は無論、庶民の住む街並みも馬車と地下鉄に合わせて設計され、現代の車社会は居鉱泉記念碑@WellWalk心地が悪そうだ。ハムステッド・ヒースは、北ロンドンに小高い丘状に広がるヘザーや潅木の原野で今はコーポレイト・オブ・ロンドンが管理しているが、18世紀初期より、砂地と粘土質の地質から涌出る鉄泉(Chalybeate、写真左はWellWalk通りにある水源碑。17世紀末年に領主母子がこの地の貧民の健康にと水源を含む6エーカーの土地を寄贈したとある。)が万病に効くと喧伝されて人気のリゾート地となり、多くの人々を集めた(ChalkFarm駅近くのMaitlandParkRdに移り住んだK・マルクス一家もピクニックを楽しんだ)。やがて宅地需要を当込んだ当時のHampsteadRailway(CCEHR)社がGoldersGreen駅を1907年に開通させたが、南隣りのHampstead駅へ通じるNorthEnd道路の途中に、旧馬車道@HampsteadHeath17世紀半ばに遡れる、記録上では1721年から酒販売許可を得たFarmhouseがある。それが後にヒース界隈を題材にしたホガースやゲインズボロ等の画家、あるいは病気療養を求めて暫し滞在した政治家・首相W・ピット、かのディケンズといった面々も通った”Down at the old Bush and Bull”の歌で有名なパブとなった。このBush&Bullの裏手のヒースには両側にはハート形の葉が繁るライム旧ピットハウス門の大木が連なる旧馬車道(写真右)がそこかしこに形跡を留め、ヒースの北端を意味するNorthEnd界隈にはCedarLodge、HogarthHouse、PittHouseとその門構えの一部(写真左)、HGS設計者ジョージ・アンウィンの住居を示すプラークが固まってある。
 ロンドンに着いた当初の驚きと戸惑いは前に書いたが、中でも料理と飲料用の重い水と牛乳を週に何遍も駅前のスーパーからフラットまでNorthEnd道路の坂道を運ぶのが気分を、夕方の横断歩道今ではお笑い種だが、大層惨めにした。両手、リュックとまるで買出し部隊が「ホルムヘッドの謎」でお馴染みの信号機無し、道路中央に「島」の横断歩道を急いで渡る。車の流れを制御するらしい信号機は増えたが、歩行者用信号機は「無い事は無い」程度。信号はあくまでも車用で、しかもその都度の都合で設置するから、結果は渋滞とクラクション(イラつく冬に多いというのは本当)。車が来ないか止まってたら、渡る(伊よりマシと思うのは転倒した考え)。当時の心のバランスを回復してくれたのが、上記のヒースやヒースエクステンション、HGS界隈などのローカル・ヒストリーに関する本を次々と買っては確かめつつ散歩する事だったが、殊、買出しの惨めさを救ったのは、値段ばかりは新車並みの中古自動車の購入であったのは可笑しな話。行動範囲が各段に広がり、歩行者や他車に「紳士的」に振舞う事が出来る転倒した優越感を抱いた程に、バランスを崩していたのか。車に夢中になるのはどこか子供じみている。
 例えば、前出のJudeChurch&HeathE田園都市HGSは下層平民にも住宅と教育を与えようと今世紀初年に完成したが、その建設資金源となったのはトリニティ・カレッジ所領の農場(現在のヒースエクステンション、写真手前、奥は教会を核に広がるHGS)を買い取って周りの宅地を資産家に高く売った上がりだった。その邸宅街では前庭に車寄せや車庫が珍しくないが、HGSの中の庶民街界隈や駅周辺の住宅・商店街には、つまり一般には車庫など無く、車は路上駐車するしかない。居住者は年間£20程の支払いでResidentPermitOnlyの標識ResidentPermitHoldersOnlyが立つ道路の所定の範囲に停車出来るが、Permitのない車は罰金£60。一般車は、僅かしかないPayHere&Displayの標識がある範囲に駐車券売機でTariff(GG駅周辺で30分20p、1時間50p、4時間£1だが、ハムステッド駅周辺は一律10分毎に20p。夜7時から朝8時迄及びバンクホリデイは無料)を支払うか、違反承知で停車して用を足す。違反すれば£4〜50。摘発人ParkingAttendantは警官ではなく区の委託業者社員で、Permit,Tariff,罰金は区の大きな収入となる。駐車規制区域でも二重駐車も何のその、反対方向だろうが両側駐車で道路が狭くなろうが、対向車や後続車の進行を妨害しようが、関心させら道路の両側駐車れる度胸と縦列駐車術で前後の車が出られぬ程の間隔で駐車する。規制の緩やかな、あるいは無い住宅街道路はこれ幸いと両側一杯の駐車で、一台しか通行出来ない。無法状態かと言えば、さにあらず。車庫前には絶対駐車しない。お蔭でその部分で対向車とすれ違う事が出来るのだが、対向車に待避させるよう猛ダッシュでやって来る様は、園児の「ドン、でジャンケンポン」の世界。しかも、駐車車両からは老人達が後方確認などせず、急に目一杯ドアを開けてよいこらしょっと降りる。
2000年1月31日
 先週は寒さのピークで一日の最高気温も5度前後。週末から比較的暖かい風が吹き始め随分と過ごし易くなる。今朝は曇り空だがいつもの霜もない。日出7時42分、日没4時47分と徐々に日が長くなりなるのを実感。
 6月10日にロンドン日本人学校のある南西のEaling地区でのゴミ処理を書いたが、補足情報を見つけたので少し。まず、ロンドンの中心地シティの隣りのウェストミンスター区のゴミ処理(年間21万トン)を取材した日系情報誌によれば、繁華街のゴミは清掃車が収集してパディントン、そしてビクトリアの「ゴミ移送センター」に運ばれ、ベルトコンベアーで裏手の水路に浮かぶバージ(平底)船に移され(約150トン@1隻)、一度に3〜4隻で週に5〜6回、満潮時にテムズ河へ押し出され専用タグボートに引っ張られてロンドン・ブリッジから約28キロ下流のレイナム(Rainham)埋立地へと向かう。ゴミは圧縮機付きコンテナに押し込まれ、一杯になるとトラックで現場へ運ばれ埋められて土で覆われる。同埋立地は約90年前から使われ始めたが、まだ20年余りは対応可能な上、燃やすにはEUの排煙成分規制を満たす高額の設備改善が必要とあって、同埋立地が限界になれば他の埋立地で対応すれば良い、と考えられているという(「月刊ジャーニー」2000年1月号「英国なぜなに不思議図鑑」p.5)。以前グリニッジへ向かう遊覧船から再開発地帯とドームを眺望したが、更に下流には下水汚水処理場や発電所、自動車工業団地がテムズ河の両岸に広がっているのを、地図で上の埋立地を探して気付くとは迂闊でした。テムズをテーマにしたBBCの特集と本があったが、多分扱ってはいないだろう。
 次の補足は、大型ゴミ収集用の鉄製お椀「スキップ」何でのありのスキップ中身の中味を昨秋に近くのノースエンドロード沿いの住宅改築現場前で撮影した。板、古着、椅子、ベッドマット…要するに「何でもあり!」。この他にレンガ、コンクリなどで一杯なのも見かける。もう一つ、ゴミから儲ける一家のルポをBBC2「ModernTimes」シリーズが昨年11月10日に取り上げていた。サウスエンド地区の住民が平均14回ゴミ捨て場(tip)へ車で廃物を運ぶと81,000トンのゴミの山が出来るが、その内86%が埋立地(landfill site)へ行き、残る廃品(冷蔵庫や衣服・靴など)を廃品業者アダムズ一家の仕事仲間スティ-ヴがガーナの従兄弟に売り、現地で中古品として販売し儲ける。この商売で現地では二百名が職を得ているという。さて、何が「持続」されているのか?
 ところで、昨年末も押迫った頃に漸く英国運転免許証への切り替えにWaterloo駅からSouthWestTrainsでWimbledonへ出掛けた。Waterloo駅の大きな電子掲示板ならぬスロットマシーン?型の全部の情報が出そろう迄やきもきし、その上、発車時間を過ぎているのに出ているのはまだ発車していないのだという発着情報板で、CallOn(途中停車)欄を確認し、更に乗車してから周りの人に目的駅を確認する。そして車内放送で安心する。英国人も同様。
 1年以内の滞在ならば、日本の都道府県公安委員会発行の国際運転免許証で済む。大宮ソニックシティビルで帰国後の更新が厄介にならぬようその場で検眼とビデオ学習と更新料、写真にて更新してから、パスポートと写真と料金で国際免許証を発行してもらった。有効期間が発行後1年間のみなので、それを越えて運転するには英国運転免許証が要る。以前は、ロンドンの場合、日本の運転免許証(プラスティック)と翻訳証明書交付申請書・英文Form(申請書)を総領事館に出して1週間後に手数料£22で英文「運転免許証の翻訳証明」を得て(免許証は返却)、この証明書と免許証と英国側運転免許証申請書に手数料の小切手を併せてSwanseaの運輸省Driver&VehicleLeicesingAgency(DVLA)に郵送申請する方式だった。それが、昨年7月1日より規則改正が行われ従来の紙様式でずっと70歳の前日まで有効な免許証に代わり、有効期限(私の場合、2024年誕生日前日まで)のある顔写真入りのカード型免許証を申請するよう義務付けられた(早晩、紙様式の免許証は無効になるだろう)。
 この変更により、英国運転免許証への切り替え申請必要書類として、先の翻訳証明書と運転免許証の他に、DVLAへの申請書として様式D1とD750、総領事館発行の英文出生証明書(BirthCertificate)、認証済みのカラー写真1枚、手数料£23.50が必要になった。D1でApplication for a driving licenceで外国免許証からの切り替えを申請し、D750はApplication for a Photocard Driving Licenceで、生命保険並みに健康状態と聴力・視力(離れてプレートが読めるか)を自分でYes/No式にチェックを入れ、出生証明書など添付書類、写真の認証、サイン、手数料支払方法などを記入するもので、共に郵便局窓口で様式を取得する。大使館での「英文出生証明書」を得るには面倒な事に申請書英国運転免許証に6ヶ月以内発行の「戸籍抄本」を添付し、£6の手数料にて1週間後に郵送される(「返信用書留封筒」とは住所氏名を書いた封筒に普通料金プラス60ペンスの切手を貼るだけ)。最後の「認証済みの写真」の認証とは「本人を2年以上知っている、申請書に明記してある職業に就いている者による、本人の写真であるという証明」の事だが、Wimbledon駅から徒歩5分のAlexandraRoad沿いにある陸運局の窓口で係官がスピード写真の裏にサインしてOK。DVLAへの申請書類一式も受理してくれ、1,2週間でカード型免許証とD740のCounterpart Driving Licence(写真)が郵送された。政府は携行を検討中だが、当分は従来通り保管という不思議さ。何事も経験主義か?嗚呼!
 気分を変えて、Waterlooからの街並みはくすんだレンガの住宅が密集しているが、Wimbledonは線路を挟んで登り坂側に豪奢な住宅街が広がって日本人も多く住み、登り切った高台には歴史を偲ばせる旧市街がある。更に右方向に進むとテニスコートへ、左方向には嘗ての共有地のコモンが広がり、池に雑木林に移動遊園地、馬の運動コースに糞、旧館のホテル、とあるがその先はずっと公園で更に先にリッチモンド公園へと続くただもう意味なく言葉もなく嫌になるほどの敷地。ここには剣持一巳「イギリス産業革命史の旅」の第1章に登場する風車が保存されているという。街なかのあっと驚く車社会事情は次回に書こう。
1999年12月24日
  一日の間は無論の事、数日で天気が変わる英国には珍しいのか、ここ1,2週間は寒い日々がずっと続き、朝晩は零度近くまで下がって霜や雪が芝生や小枝、路上駐車車両に薄く降り、出勤前の霜取りに懸命になる姿が目にされ街路も水溜りに氷が張る程に滑りそうになる。長年住む駐在員によればここ3年で最も寒いと言う。今朝のロンドンは10度と少し暖かで、未明に雨が降って清々しい空気。咳が長引く風邪が流行っているのでホット一息つく。日出は8時5分、日没は3時55分。そう言えば、22日の朝、新聞を買いに駅前のスタンドへの行き帰りにセミディタッチ・ハウスの屋根際のそう高くはない位置にとても大きな満月がシェールの映画の場面の様に浮かんでいた。
 今日はクリスマス・イヴ。ニュース・スタンドでも、朝配達のポストマンもメリー・クリスマス。予定通り、シティのセント・ポール大聖堂でセント・ポール大聖堂でのイヴ午後1時から始るクリスマス・イヴのファミリー・キャロルのサービスを見学に家族で出掛けた。夜11時半からの正餐式(Eucharist)には子供達は出られないし、本来は教区の教会へ出掛ける人もキャロルを歌うのがCDも出す近年有名な合唱隊(CantateとCambridgeChorale)とあって家族連れ以外も多く盛況だった。入り口近くには馬小屋でのイエスの誕生を物語る彫像が置かれ、普段の見学では味わえぬサービスに参加する。子供達に良く見える席をと赤と黒の礼服姿の案内人に勧められて舞台脇の席に着き、祈りとルカ伝の朗読と賛美歌の斉唱の約1時間余を八百万の神を信じる異国の家族が見守る(写真は撮影禁止だが神様にお許し頂き、サービス終了後他の不心得者に混じってパチ。)。雨の中帰宅後、テレビクリスマスの鳥ロビンではBBCがキングスカレッジでの同様のサービスを放送していた。夜半には雨交じりの風がヒューヒューと音をたて窓ガラスを打ち、サンタさんは大丈夫かと子供達が心配しながら、手紙とクッキーを用意していた。左の写真は胸が赤いせいか、クリスマスカードに使われる鳥、ロビンをこの夏撮影したものだが、人懐っこく逃げない。
 Best Wishes for Christmas and the New Year 2000 !
1999年11月15日
 10月31日未明2時、夏時間が終わり時計の針を1時間戻す(写真はテムズを船で下ってグリニッジに行き、ずっと後方のミレニアムドームへと続く子午線を跨いだところ)。グリニッジ子午線を跨ぐ前日30日の日出は7時50分(日没は5時38分)。未だ夜が開けきらぬ暗い道を子供達と街路灯のハロゲンランプの橙色に照らされ月を仰ぎつつ歩いたのに、当然だがこの日の日出は6時51分(日没4時36分)と1時間早く、すっかり明るくなった朝を迎え久し振りに爽快な気分だ。しかし、この空気の冷たく澄んだ意外と晴れの続く晩秋も束の間、着実に日が短くなり今朝の日出は7時18分、日没は4時12分。一日の経過を何と早く感じることか。
 夏に大きな南天に似た赤・黄色の実をたわわにつけたナナカマド(’Rowan’Atkinson!)を幾つも目にしたが、鮮やかに紅葉して暫し楽しませてくれた後、今は寒そうな木だけの姿になってしまった。木々が多い分、落ち葉が街路に溜まり雨の後は滑って危険だが、家の前だからと掃除する住民は殆どなく、時に雇われた人達が「リーフバスター」(三谷康之「イギリス観察学入門」p.73)で吹き集めて始末する。枯れ落ちるものもあれば新たな生が準備されもする。先月例の火葬場を訪れてチャペル内のH・トンプソンの胸像や彼等の遺灰安置所等を案内してもらい、庭園を巡る小道沿いに咲く無数のバラの根元に散灰者のプレートを見ていると、庭師達がクロッカスの苗場を準備しているのに出くわした。また、前回紹介したピンクや紫のへダーの花が一世紀近くの不在を経て戻ったのを祝いHeathHandというボランティア団体が、先週ハムステッド・ヒース公園のSpaniardsRoad近くに二千本を植えたという(「Ham&High」11月12日付)。しかし、枯葉の季節というのに公園や庭先で花が未だ咲いているのに驚かされるが、きっと寒冷で乾燥した気候のせいかも知れない。序に、犬や騎馬が落とす糞に無頓着でいられるのも、肌荒れ(eczema)でGPに通いBootsでEumovate ointmentを£5.50で買う羽目になるのも、この乾燥のせいか!
 日一日と短くなり早まる時間とイライラ感に急かされる前に、過ぎ去りし夏の私的な出来事を幾つか付け加えて置きたい。8月11日の皆既日食はサマースクールに行く子供達には絶対見上げるなと注意したのに空軍機からのBBC生中継が始るやハムステッド・ヒースのParliamentHill目指して飛び出していた。ペスト流行での死者を埋葬したというロンドン市内を眺望出来る丘が、立錐の余地がないほど見物人で埋まった絵の方が面白かったが。8月15日の日曜日午後にはRoyalAlbertHall、あの映画BrassedOffでお馴染みのRoyalAlbertHall(左図)でのプロム演奏に出掛け、国連親善大使でもあるバイオリニストが何度も床を鳴らしてアンコールを迫る観客に応える場面に興奮した。そして前回書いたムーアへの家族旅行の帰途に、会員となったナショナルトラストの建物KnighshayesCourtに寄る。居間から遠く先に煙突の見えるレース編機工場のお陰で財を成した貴族が所有していた古い建物だったが、犬が家紋に使われていた。館の庭園で日本人の庭師を見かけビックリ。レースで思い出したが、フラット近くのハムステッド・ガーデン・サバーブには地域住民の市民講座を主催するインスティテュートがあり秋期からの生徒募集を兼ねた公開日(右図)を開催。成人学校の公開日@HGS家内はボビン・レースとウォーキングに登録。後者の授業料は年間£162。また、8月末にはナショナル・ギャラリーでのレンブラント自画像特別展に出掛けたが、中でもフラッケンウッド・ハウスト近くのケンウッドハウス(左下図)から貸出されていた老人期の作品が最高で、改めてフラットを紹介してくれたM先生に感謝。9月12日には、ロンドンから北西へ約100Km、オックスフォードの先に広がる田園地帯、コッツウォルズに日帰りで行く。Burton−on−the−waterはベニスというより倉敷みたいで日本からの団体客に出会う。中世に毛織物やチーズ等の取引で栄えたChippingCampdenではナショナルトラスト保存のMarketHall(右下)や教会横の館跡が見物マーケット・ホール。Biburyでは羊毛納屋や織屋だったというコッテージ群のArlingtonRow(下図)や鱒が泳ぐ小川に掛かる水車に当時を偲んだ。ArlingtonRowだが、どこも観光地化されて「田舎」は無かった。そう言えば、ガーディアン紙G2が、隣りのWiltshire県に在るUrchfont村では、農家が廃業の危機にあり店は閉店され、賃金は低く、特に、都市のスプロール化から逃げて来た町の住民が住宅価格を暴騰させている、と「村の声」をルポしていた(10月18日付)。9月18−19日はロンドン(地方は11−12日)の建築物の公開日「OpenHouse」で、官庁や銀行、産業界から公共物や建築家の家まで普段は公開しない部分まで無料でガイド付で案内してくれる。EuropeanHeritageDaysの一環でもある。市内はCivicTrustとガーディアン紙刊行の案内冊子を持って足早に目的の建物に向かう人々で溢れ有名所は長蛇の列。初めこそ嫌がった家族を急き立ててシティのイングランド銀行と隣りのNatWestグループの本部棟を、翌日はウェストミンスター・ホールとForeign&CommonwealthOffice(入り口に建つグルカ兵の像に産経新聞の高山記者の記事を想い、騙し絵の様な見事な回廊に仰天し、大応接間の日本のマークや英連邦の一員に芸者姿で加えられた近年の壁画に戸惑う)を見学しこの催しに大満足。そして改めて持つ者と持たざる者の格差を実感。10月3日は、子供達の学校で文化祭。小6の娘の学年は6月に行ったスコットランドへの修学旅行を軸に劇や作品発表をし、小3の息子の学年も劇と図工・書道・社会科の発表。4年生はゴミ問題をテーマに学校が所在するイーリング区へのプラスチック回収制度化請願署名運動を展開。そして復活した持久走大会。親の都合で日本の友達と離れ内心我慢している子供達を行事を通じて励まそうとの教育方針が感じられ、父母も協力。10月末から11月5日のGuyHawkes記念日(1605年事件は失敗したが、世襲議員の大半が去る上院改革と重なったのは偶然か)へと深夜に各地で花火が上がり何事かと驚く。花火は夜明るい夏の風物詩ではないのだと気付く。

 そして、いまミレニアムの年に居合わせる事の偶然をしみじみ幸運に思う。荘厳や華麗やの行事や、新奇なロンドン・アイ(ウェストミンスター・ピアの向いに建つ大観覧車)やミレニアム・ドームの事では無論なく、この千年を、百年を振り返る新聞やテレビの特集や出版物の事である(序に言えば、記念切手やラグビーのワールドカップ、サッカー「ユーロ2000」の予選、モンティ・パイソン30周年も)。例えばガーディアン紙は土曜日に今世紀の出来事を報じた当時の新聞を採録した特別付録を付け、日替わりテーマ別特集綴込みG2も例えば「PlanetUSA」などを組んで読ませる。ジョン・ピルガー、ニック・コーエン、フランシス・ウィーンなどの記事は面白い(来英当初の新聞評を一部訂正しなければ)。BBCの産業革命の遺跡を探訪する「インダストリアル・エイジ」や、最近では10月5日のパディントン大惨事を以前から指摘されたトラック設計上の危険を生存者の証言を織り交ぜて分析した特集番組「パノラマ」、様々な社会問題を論じる「モダン・タイムズ」などのシリーズの他に、c4のボウラーズ一家が当時そのままに3ヶ月暮らす「1900年の家」、今世紀初頭に及んでの農村部の悲惨な生活を描いた「Green and Pleasant Land」シリーズなどが秀逸(子供達は人気を博した「Walking with Dinosaurs」や風刺漫画の「The Simpsons」に夢中)。特に今日でこそ憧れる農村部での生活MiniaturePonyStud&Field@Dartmoorが今世紀半ばまでビクトリア時代と変わらず如何に貧しく過酷であったか、とりわけ当時の子供達は親の手伝いで学校も休み勝ちで、ウサギをパチンコで捕るのも役目で、働いていて怪我をしても医者にもかかれず、バレンタインデーで貰うチョコが何よりの楽しみだった、徒弟に出されても殆どタダ働きでモノ同然だった、といま老人となって証言していた。それを観ていて、夏のムーアの旅で偶然泊まった農家の引退した主人で、前記の三谷氏の本にも名前が見える(p.141)ウィッドカム村の秋祭りでの村民劇でアンクル・トム・コブリー役を長年務めた、PeterHicksさんの自伝UncleTomCobleyWidecombeInTheMoorを思った(上の写真はHickさんに薦められて遊んだ近くのMiniaturePonyStud&Fieldで)。
1999年9月30日
 今日はお隣りの引越です。夫婦共稼ぎで朝6時過ぎには車で出掛け(夏、例えば6月30日の日出0447日没2121、7月30日0521、2053とは一変し、本日の日出0659、日没1842!。渋滞を避けての早い出勤だろうか、こちらの人は朝早くから行動する)、夜7時過ぎに帰宅し日課のごとく宅配ピザを呼び、掃除は人を雇い、週末は友人が訪ねてきて賑やかでした。全国の共稼ぎ夫婦からの7千人を対象にしたAbbey National社のNOP委託調査によれば、75%が「時間の罠」に嵌って忙しく、買物・アイロン掛け・掃除といった家事を他人を雇ってやってもらい、72%が料理する時間が無く毎日テイカウェイを買い、56%がスーパーで買えずに£20も余計に支出し、37%が家族の誕生日や結婚記念日を忘れ、49%が子供と過ごす時間が無いという(「メトロ」7月27日付、「英国ニュースダイジェスト」8月5日付)。更に引けば、8月15日に明らかになったEUの世論調査結果が一面(のみだが)を伝えて興味深い。1週間の休暇を持つ余裕のない家族の比率で英国は36%と独、仏、オランダ゙の12%の2倍。英国の家族の26%が貧困線(国民平均所得の60%未満の収入)以下で暮らすが、ギリシャではたった20%。週平均フルタイム労働時間では伊38.5、ベルギー38.6、デンマーク38.7、仏39.7、ポルトガル41に対し英国44、ロンドンでは50時間。離婚率では英国千人当り3で仏、独の2を上回る。千人当りの家宅侵入窃盗犯数では独、ポルトガル、スペインの2、仏、伊の4に対し英国は10。車での通勤時間(分)でチューリッヒ40、ミラノ41.68、アムステルダム42.25、ダブリン50.5、パリ55.5に比しロンドン82分(以上「メトロ」16日付)。
 そう、物価?の続きでした。公共?料金について見ると、テレビ゙受信料(TV Licence)は年間£101(白黒は£33.50)を申請書に記入して郵便局で払う。怠ると電波感知器装備車で発見され罰金上限£1、000。数年後には現在の地上波5局からデジタル波への切り換えに際し、課税ベースを広げて増収(BBCはデジタルテレビのある家庭は上記年間受信料に加え更に£35を払うよう提案、2005年までのBBCの増収は年間6億4,000万ポンドになる見込み)を狙っているらしいが、民放各局はデジタルの普及を妨げると批判、国民はと言えばチャンネル増に関心無さそう。3ヶ月に1度のメーター式の電気料金はEastern Electricity社に国内一般体系の1ユニット(1kw1時間消費量)当り£6.53(702ユニットを超えた分は£6.13)の計算で使用ユニット分と3ヶ月分の固定費(quarterly standing charge;配線維持、メーター器取付けと読取り費用、請求書送付と処理費、カスタマーサービス費)の合計に5%のVATを加算して支払う。「国内一般」というのは毎日終日同率の電気代体系で、他にEconomy7(午後10時から翌朝8時迄の内の7時間に自動ヒーター蓄熱・食器洗い器・洗濯機を使う節電型)、Economy10(早朝2時30分からの5時間と午後、晩の各2時間半にヒーター・温水器を安い料金で使う型)、及びLow User(年間使用量が1,000ユニット未満。固定費免除)がある。尚、8月中公共料金請求書旬に政府の電力・ガス業務監督機関(OFGEM)は、電力会社14社に対し配電料金の大幅削減を要請し来年4月から家庭用電力料金を5%(平均世帯で年間約£15相当)値下げするよう勧告した(「英国ニュースダイジェスト」8月19日付)。British Gas社のガス料金も同様のメーター式(ユニット表示だが、kWh換算もあり1.389ペンス@kWh)に固定費(百日間で£13.39)の合計に5%のVAT。早期徴収割引きや前納割引き制あり。しかし、親会社centricaが我がAAを買収(AAが身売り)したのは残念無念!。BTの電話代は3ヶ月分の回線レンタル料前払い(£25.33)と通話料の合計に17.5%のVAT。最近、市場の競争激化とインターネット産業重視の政府の圧力で漸く米国型の基本料を高くし通話料を安くする方針(10月1日から一般家庭の週末市外通話料金を30%下げて1分間2pに、3ヶ月毎に週末市内通話3時間分に当る料金を無料サービスし、他方、回線使用料は1日当り1p値上げして3ヶ月分で£27.77にする水道料金。また、11月1日からBT Togetherという任意加入の更に基本料を高く通話料を引下げた料金体系を売出す)を9月2日に打出したところ。水道料金は家賃に含まれていて詳細が不明だが、「メトロ」7月28日付(左表)によれば、水道の業務監督機関(Ofwat)がイングランド・ウェールズの上下水道会社26社に対し14%の値下げ(10年前の民営化以降初で、今後5年間で平均£40)を勧告した。最大手で最低料金を誇るThames Water社の例では今年度の年間£206が2004年度には£177(イングランド・ウェールズ平均では£249が£211)になる試算。プレスコット副首相は政府の政策の賜物と喜び、消費者団体(National Campaign for Water Justice)はそれは糠喜びでありEUの海岸水質基準指令を達成するコストと鉛管取替え費用で帳消しどころか値上げになると声明。最大手労組(Unison)は人員整理を懸念し、経営者団体(Water UK)も環境GPヘルスセンター対策費を無視した一方的値下げ勧告だと不満を表明した。郵便料金は1st26p、2nd19pと安い上、前者は翌日に英国中に配達されるし、土曜日も午後まで営業、地方では日用品・雑貨屋、案内所を兼ねる。最後に医療費だが5月に近所の地区病院(右写真)で検尿と面接によりGP(一般医)登録をしたが、最近子供が結膜炎で(救急扱いの)診察を受け処方箋により指定薬局で薬を貰ったが全て無料でした。
 スーパー・テスコ日々の買物で最も支出の大きな食料品は、日本の経企庁が指摘した通り、ロンドンは安くその上非課税、Buy one、 get one Freeやポイントカードもお徳。鶏肉・鶏卵は比較的高いが、種類の多いパンや果物(特に種無しブドウ、ネクタリン、リンゴ)、野菜(インゲン、ほうれん草、ミニジャガ)、乳製品 (チーズ)は安く美味しい。ビール、ワインは期待ほどでなく、英国のエール消費量はラガーに抜かれ、安く豊富な紅茶もコーヒーに抜かれたという。スーパーで売られる紙類・日用雑貨はさほど安くないし品質も種類も無い。専門店では高いだけ。タバコが高く1箱£4。靴は高いが、靴文化の社会らしく子供はどの子も良い品を、どこにも居るシューフィッターに長い列を作って相談しながら購入し履いているのが興味深い。製造品・耐久消費財は高く故障したら修理が大変と聞く。戦後の日本人は江戸の遺産を食い潰しているだけだと喝破した先生に倣えば、英国人は帝国の遺産(英連邦諸国内でのクリケット・ワールドカップのFarmhouse@Devon様に連邦諸国内での貿易と、博物館と歴史・語学に集まる旅行者・留学生の貿易外収支)で持っていると、来英当初は思った程である。別な先生は英国は「町」に支配され「野」は無い、あるのは言い訳の「自然」だけだと指摘された。
 その自然を見にこの8月末に西南のデボン県とサマーセット県の国立公園のHeather@moorムーア(荒地)を家族で訪ねた。A406のノースサーキュラーからM4、M5と車で数時間走ったが、ガソリン代(リッター73p)以外に高速料金は無く、当然料金所も渋滞も無かった。農家が補助金を得て改修したB&B(Farmhouse)に一泊大人£20子供£10で泊まり、馬や羊(食肉用)や鴨に囲まれケンウッド・プラム・ラストコンサート、犬と遊び、ムーアの巨岩や一面に紫の絨毯の如く広がるへダーを満喫した。娯楽費といえば、子供達がプール、ゲーム、工作、バスでの市内見学、芸人のショーと毎日通って喜んだサマースクール「サマースクール」は週単位で開催されて1人週£65(左下の写真はサマースクールが開催された近くの小学校校舎)。夏休み最後の楽しみだった近くのハムステッドヒースでのケンウッドハウス・プロム野外ラストコンサートの芝生席が大人£11子供£9でした。
1999年8月31日
 前回末尾で触れたここゴールダーズグリーンの火葬場が「ロンドンでいちばん古い」ものだと後日ある日本人建築家の本の中で知る。忌み嫌われる施設であり遺族の心より効率の方を重視した日本のそれに比し、最後の別れに相応しい「心の通う建築」だと、春満開となるクロッカスの庭園とともにそのチャペルが紹介されている前段に次の説明があった。
イギリスは西欧諸国のなかでも最も火葬率が高い国である。古く石器時代にはすでに火葬が行われた跡をとどめ、ローマ占領時代に皇帝がヨークで客死したとき、火葬に付され、遺骨がローマに届けられたとの記録もある。しかし、四世紀以降、キリスト教の布教により火葬は行われず、土葬中心の埋葬が千五百年以上のあいだ続けられたのである。そして1870年代に火葬論が活発になり、火葬協会が設立された。その初代会長サー・ヘンリー・トンプソンが1902年に設立したのが、ゴールダーズグリーン火葬場なのである。(連健夫「イギリス色の街」技報堂出版)。
 ところで、マルクスの巨大な胸像があるハイゲイト墓地を始め幾つか教会付属の墓地でも「個人」別の墓のせいか荒れた墓が多いのに気付く。朽ちた中に真新しい墓石もあるのは土地の再利用なのか?
 
 話を現世に戻して今回は物価や賃金など。毎朝、バス通学の子供をゴールダーズグリーン駅のバス停まで送る序にスタンドで新聞45p=90円cf.付録は多いが読む所少ない土曜日版は70p、日曜日は£1、どうもインクの匂いとノリ具合が気になるを買い、駅の券売機横に平積みの無料だが部数に限りある新聞「メトロ」をピックする。「メトロ」は各紙からの良いとこ取りの様な編集著作権?に加えて天気予報に為替情報、地下鉄路線での催し情報、テレビ欄、求人情報、スポーツ欄と揃う読み易いタブロイド版で、朝の通勤客は殆どが持って行く。為替相場は8月末で£1=175円台だが銀行のレートは180円(4月末は200円前後!)。変動と計算の便利さからここでは£1=200円で話を進める。その「メトロ」から一部訳した様な記事に日本の半月遅れの情報を載せた邦字週間誌・紙が駅前の日系不動産屋、3駅先の旧ヤオハン等で無料で手に入る。
 これらの情報誌・紙が去る6月に物価について報じた。日系の1つは「東京より高いロンドンの物価水準」と題して日本の経企庁の調査結果を伝えている「日英タイムズ」6月17日付。これって本当かしら?単純に言えば不況下でリストラの日本と好景気の英では為替レートを別にしても上述の調査結果が予想されるのは当然。趣旨は懸案(持って回った表現をすれば、それを軸に政策的言説が巧妙に組織される政策’課題’)の「内外価格差の解消」にある訳でそういう議論がミスリーディングでは?兎も角、日々の買物や新聞等からあれこれ探ってみよう。
 その前に銀行口座開設の苦心談から。「働いていないの?」とか書類不備?とかで2行に門前払いされ、あれほど苦心して入手して来た所得保証額の記載もある英政府発行の「労働許可書」の効能はここでは発揮されず、カレッジからの人物証明状(レファレンス・レター)と住所確認の公式レターBT等からの請求書でやっと3行目で受付。しかし、日本での口座内容を手紙で問合せるから待てと1ヶ月余も待たされ、ではと私が日本の銀行に催促の電話をし、すると返事があったが家内の口座がない無いのが日本式の共同口座だ!、また、家内も使える「共同口座」(joint account)を開くには家内の住所確認手段がない(フラット契約者は私のみでエージェントが役所や電話・電気会社等に事前に届出た住人変更も私の名のみ)と2ヶ月後に私のみ口座開設。粘って共同口座への変更に更に半月。その間既に登校している子供達の入学金に1学期分の授業料・バス代計£2,000余を銀行の建物の外壁のCDから日本の銀行カードで引落として窓口で振込まねばならない。なんとCDからは一回の操作で£300が限度、紙幣は£20£10のみ。周りを警戒し汗を拭きつつ何度も操作し、水溶性?!という紙幣の束を窓口に積上げたのはもう遠い笑い話。NatWestチェック・スイッチカード・ステイトメント2学期分は「小切手」1枚差出して5秒で処理。窓口嬢は嘗て門前払いをした君。レジで£20紙幣を出すと大抵透かしをチェックする、小切手かカード決済の社会だから日本企業の駐在員でもない大学教員如きの口座開設に慎重なのは当然か。しかも一度小切手とカードを持つと決済は極めて簡単。税金や公共?料金は小切手を送るか自動引落とし契約(debit)で割引き、普段の買物も「スイッチカート」゙という銀行のサービスカードで口座引落とし承諾のサインをレシートにすればOK。小銭はパブ、新聞、運賃、入場料、アイス(大人もご老人もまあよく食べること)ぐらい。通帳はないが最新の12件の取引状況を打出した「ミニステイトメント」をCDから何時でも得られ、毎月詳細な「ステイトメント」も送付される(写真右の奥がステイトメントで前側左上が小切手、左下がスイッチカード、右がミニステイトメント)。おまけに、スイッチカードで買物するとスーパーのキャッシャーで’any cashback?’と聞かれ、必要ならその場で現金が引き下ろせる便利さ、ではある。
 さて、税金も公共サービスへの代価だから物価の内に違いない。民間も行政もスローガンは経営学系政策科学よろしくvalue for money servicesだから(後者はBuy one, get one freeとは言わぬが)。所得税や補助金については別に論じるとして、先ずは地方税(council tax)。93年4月1日から導入された居住地域のサービスを賄う税で、資産と成人2名所帯に関連して課税される。地方税居住「資産」は91年4月1日の市場価格に応じて内国歳入庁評価官がA〜Hの8評価区分(band)を設定し、標準のDを基にAはその6/9、Hは18/9つまり2倍の税額が課せられる(不満ならアピール出来る。また、重度精神障害者、非英国籍でビザの条件で定収労働出来ぬ学生やその家族、中等学校やカレッジの卒業予定者・卒業直後者、軍隊、18歳未満、外交官・英国に本部のある国際機関高官、等は免除、更に慈善団体の所有とか大幅な改築中、服役や入院、介護など諸般の事情で空き家の場合にも書面届出により免除。)。「所帯」に関しては税の支払い者を家の居住者か所有者(ケアホーム、宗教団体、従業員宿舎等)に規定し、単身居住、または家族が前記同様条件に該当すれば25%か50%減額される(長期入院家族、学校卒業後に資格取得の教育を受けている者、重度精神障害者、服役囚、修道士、慈善団体や地方当局に雇われた低収入の介護者、看護学生、週給£160未満の見習、25歳未満で青少年訓練計画YTS参加者、身体障害者等)。因みに私の家族は評価区分E(£88,001-£120,000)の成人2名所帯として今年度£929.93(内訳:居住区税£801.58、ロンドン市消防・民間防衛£33.70、ロンドン警視庁£94.65)を課税される。
 ここ2、3ヶ月の話題はロンドンの住宅価格高騰である。6月中旬には、今後5年で収入増と家不足による需要増が住宅価格を約30%引上げるとの専門家の予想が報じられた。高騰するロンドン住宅価格を示す新聞記事から特に南西テムズ南側のリッチモンド区とザシティ−隣りのタワーハムレット区の上昇率が高く、平均価格は2004年には£369,253から£504,399へ(前者)、£180,000から£243,540へ(後者)35%以上高くなるという(「メトロ」16日付、右図の赤部分。黄色は25%、青は30%以上を示す。)。また、昨年の平均価格ではリージェンツパーク隣りのSt. John's Wood(近くのSwiss Cottageと並んで勤務先のシティ−まで歩いても通えるので日本人駐在員家族が多く住む)がMayfair, Chelsea, Kensingtonを抜いて最高値£401,303を記録し、また、上昇率ではロンドンの南サリー県Virginia Waterが92%と1位、2位は南ロンドンTootingの79%(「メトロ」6月22日付)。8月25日発表の土地登記局(Land Registry)報告書では今年第2四半期の(全国)平均住宅価格は、昨年同期比で8%上昇して£90,000になったが、ロンドンは最高の12.3%、最低はイングランド北東部の3.2%(「英国ニュースダイジェスト」9月2日付)、賃金も含め地域格差が拡大している。因みに我がフラットの隣りが地区紙(毎週木曜刊45p)の不動産広告欄に£175,000、約3,500万円!?(Leasehold)で売りに出ていた。尚、9月21日付「メトロ」の記事では、住宅ローン貸付業協会(Council of Mortgate Lenders)の8月貸出し額減少報告を受けて「ブームは去った」と報じてはいる。家賃も推して知るべしか。
1999年7月9日
  前回の続きです。昨日は今年最高気温の27℃。湿気がなく日陰は涼しいロンドンでも、街を行き交家庭用ゴミ箱と小型の紙類ゴミ箱う黒服ばかりの男女の胸を締付ける香水ほどではないが、週1回のゴミ収集日は多少臭う。前回見落とした新聞等用の小型ゴミ箱(右の左隅)を発見。それにしても高さ1m程のゴミ箱で1週間の家庭ゴミが間に合うのか?こちらに永住している日本人の方に聞くと、足りていると言う。包装紙は殆どなく、欧州でも一番よく働く英国人の食事はオーブン等で素早く調理できゴミが出ないのだろうし(そう言えば洗剤の宣伝文句は「油汚れに強い」ではなくAntibacterial)、生ゴミも庭があればコンポストにし(自慢の裏庭を僅かな料金で一般に公開し高齢者やガン対策などの寄付金集めをする近所の催しに出掛け、庭の片隅に発見)、衣服・靴などよくチャリティで民間業者のスキップリサイクルする。ゴミ箱で間に合わないもの(大型ゴミ・廃材など)は民間業者のスキップ(左。近所のMiddlesex大学分校で。緑色の鉄製の舟形。写真はLondon Waste Ltd.の社名がある業者)を使う全自動のゴミ収集車。但し、プラスチックや缶・ビン等が分別されないのは変わらない。分別の危険な作業を労働者に期待するのは人権に反するからだ。収集作業も車輪の付いたゴミ箱を収集車の後部に運びアームにセットするのみ(右中。近所の幼稚園のゴミ箱を)。スキップも4隅にアームからのワイヤーをセットするだけ。後は電動でアームが持ち上げ下げをする。
  滅多にお目に掛からない分別用のゴミ箱(バンク)をこのBarnet区の隣りのCamden区(大英博物館やロンドン大学もカバー)に発見。フラットからNorthEnd衣服靴用バンクRdの上り坂を歩いて10分程で区境にパブ「ジャック・ストロー・キャッスル」がありその先のHampsteadGroveに、Camden区のミニ・リサイクル・スポット(ゴミ箱置き場)がありそこで衣服用バンク(左の緑色の鉄製箱。衣服と布と靴を回収)を利用する人に出会った(奥はビン、紙用の分別用プラスチック製バンク)。
  街路でも公園でも散歩や獲物(ボールや棒切れ)捕りに興じる犬が多いが飼い主は排便の始末をせず、糞だらけ。猫を見かけるのは稀だ犬の糞用ゴミ箱が、犬猫とも何故か雑種は皆無で犬は生後訓練により吼えない。訓練が必要なのは人間の方。公園には決まって幾つも犬用糞始末箱が設置されてはいるが利用されている風で無し(右)。
  ゴミの最後は死体。島国・日本と違い山が皆無の平地で空間をゆったり利用出来る英国には公園が多いが墓地も多い。しかし近年ロンドンは人口増加のせいで死体を埋める空き地が不足する問題が深刻化し(といっても超著名人は先日のヒューム枢機卿の様に教会の地下に埋められるし、観光客に踏まれ安眠出来ないがSt.Paul大聖堂の地下の納骨堂に記念碑を残すという手もあるが)ユダヤ人墓地、テレビで火葬場の解決をルポしていた。前述の通りJJ街のこの地区には墓地と火葬場(写真左はHoop Lane通りの一方の側に広がるユダヤ教の土葬墓地。右下は同通りの反対側にある火葬場兼チャペルで、前者とは無関係)があり近所で時々葬送の車列に出会う。花で覆われた棺桶が素透し火葬場で見える黒塗り専用車の窓には「愛するママ!」などと手書き文字の紙が貼ってある。最近近海の鮭はダイオキシンを含んでいて危険と報道されていたが、人体に溜まったそれは大丈夫?
(追記)英政府環境省の報告書が6月末日に出て、英国の投げ捨て社会は、ファーストフード容器・出来合い食事の包み・新聞紙・余剰コンピュータの山で今後20年の内に家庭ゴミを倍増させる恐れがあるとし、Meacher大臣が消費者・企業・公的団体による「劇的行動の変化」を要望したという。家庭ゴミ2700万トンの僅か8%しかリサイクルされておらず、2005年迄に25%、2010年には30%にその数字を高めたいが、それには地方当局による現場でのリサイクル促進の取組みと既に年間1億トンの排出に上る産業商業界による廃棄物の削減努力も必要だが、それでも急増する家庭ゴミを処理する為に、ゴミ捨て場や埋立地の利用削減を埋合せる必要もあって、焼却炉を10基から2015年迄には100基へと増やさなければならなくなる、と報告書は警告しているそうな(The Guardian, 1st July)。いつか来た道?
1999年6月10日
アパートのゴミ保管庫とコンテナロンドン生活は驚きの連続ですが、その一つがゴミ「無」分別です。英国のボイラー事情は有名ですが、ゴミ出歩道に整列する各戸のゴミ箱しも最初の重要な課題です。無分別に黒いビニール袋に何でも入れ何時でもアパートに付属のゴミ保管庫(rubbish store写真左)のコンテナに放り込めと教えられました。え?と思い、週一回のゴミ収集日の様子を探りました。駅へ向かう通りの水曜日の朝、歩道に黒いプラスチック製で底部に2個車輪が付いているゴミ箱が見事に整列しています。各戸1個で、やはり分別無しの様子(写真右上)。
何度目かのチャンスににやっと追っかけて撮影したBarnet地区のゴミ収集車です。Barnet地区の家庭用ゴミ収集車子供の背丈のコンテナを車の後部のアームで持Barnet地区の商店ゴミ収集車ち上げて収集する方式(左)と、商店街通りで歩道の決まった箇所に積み上げられたビニール袋を横から放り込む方式(右)を発見。古くなった家電製品等は地区のリサイクルセンターで無料で引取ってくれるそうな。
では、この分別無しのゴミはどうなるのか?また、区役所で調べますが、子供達の日本人学校があるWest ActonはEaling地区(Borough)にありますが、そこでは近隣地区と共同の清掃工場に清掃車約280台、1100トン/1日、約250万トン/年を搬入し、輸送用コンテナに積込んで工場内線路から鉄道で南部や中部の州( Oxfordshire, Buckinghamshire, Bedfordshire)の埋立地に運ぶ(テムズ河を船で運ぶ地区もある)。深さ50mにも掘られた所へ厚いシートが敷かれゴミが捨イーリング駅前で見つけたゴミ分別器てられ、薬品を撒き、この作業を繰り返して最後に土を入れてやがて農地になる。また、近年では分別収集の仕組みが整備され始めたという。(小学校社会科副読本「わたしたちのロンドン」)
確かにWest Acton駅前に日本食良品店Aがありその前の歩道に分別用の鉄製ゴミ箱が設置されていた(右)。左から青(paper bank)、蓋が緑(green glass bottles and jars only)、茶(brown glass bottles and jars only)、赤(cans only)、白(clear glass bottles and jars only)。スーパー隣接のガソリンスタンドにも設置されているというし、ロンドン大学の裏手のラッセルスクエアの歩道にも同様のゴミ箱を見たが、リスほどには目にする機会は少なく実効性も?。
1999年5月5日
Birkbeck main building カレッジの盾 ロンドン大学BirkbeckCollegeのメイン棟の前(左)と盾(右)。大英博物館裏手のMalet通りの100m余りに展開。学部事務所は平行したGower通り の1ブロックの長屋の一室。狭い間口の1階がオフィスで2階以上が数名からなる専任教員の各部屋。6畳程の2階の部屋でのミーティング前のランチタイム (サンドイッチに寿司弁、ワイン)に呼ばれ紹介された。近くにはラッセルスクエア-ガーデンもあり中世の遺物風のホテル群があり観光客が多い。最寄駅はzone1のGoodgeStreet。フラットのある駅から8つ目で往復£4で800円也。
1999年4月末日(増補版)
フラットの最寄駅前
北ロンドンのBarnet区、zone3(市内中心部の1から同心円状に6迄広がる)の地下鉄Golders Green駅前(左)。市内と地方へ通じるバスのロータリーがあり、画面真中辺は信号付きラウンドアバウト。駅と同名の通りの 後方先には商店街とユダヤ系が多く住み、こちら側の通り(North End Road)を手前へ進むと10分余で我がフラットがあり(右下)、 その先がHampstead Heath(公園)。10数年前まで日本人学校があり、また日本人医師診療所が近くにある為か未だに日本人 が多く住むが、「双六」の様にコミュニティは移動するのだという(スクールバスロンドンでのフラットの生徒数で見る限り、駐在員の多くはここと同じ路線だが別支線のWoodside Park駅に多く住むという。東急線沿線の駅前広場に似て日本人好みの街並みらしい)。今は日本人学校は遥か西南ロンドンのWest Actonにあり、子供達は中古車を買うまでスクールバス通学(North Circularという環状線経由で30分程)。
 フラットはGround floor(1階)の一室で真下の黒い部分はガレージ。ドラム型洗濯・乾燥機や電気オーブン付きの台所、リビング、2寝室、バス、トイレ付き。裏庭の先から地下鉄の音が聞こえるが時々リスが訪問し最初の友達となる。
1999年3月某日
西武池袋線稲荷山公園で花見
本場の「ハイドパーク」を訪れる前に、西武線稲荷山公園駅前の「日本のハイドパーク」(狭山ジョンソン基地跡公園)を訪れた。ビザ問題での出発の遅れがプレゼントしてくれた春のサクラ見物でした。始めたばかりのキャッチボール用具を船便に入れた。


Copyrights(C); Masaaki Kaminuma 1999,2000. All rights reseerved.