著作権上の配慮から、画像、著作物などは本サイトでは掲載しておりません。
当該当物を見聞したい人は金井研究室までおいでください。

2004年度

文学とジェンダー前期第三回


「戦争に行けなかった男」の視点

― 正岡子規『仰臥漫録』が教えてくれること ―


 
今週のおすすめ

「YES オノ・ヨーコ」展




(1) 「戦争に行けなかった男」の視点
(2) 『仰臥漫録』にみる介護の風景



(1) 「戦争に行けなかった男」の視点

日本の徴兵制…

成立時の明治政府は十分な直属軍事力をもたなかったため、常備軍の拡充がいそがれた。そこで、旧来の武士団を基盤にした職業兵制度をおす意見をおさえ、フランスにならった徴兵制が採用された。ただし73年の布告では、家の存続をはかるため広範囲の兵役免除規定があり、金銭による代人制もみとめられた。 全国で徴兵反対一揆がおき、廃家を再興するという名目で戸主となる兵役のがれも おきたため、1879年と83年に一部を改正し、89年(明治22)に大改正された。

大改正では、それまでの免役規定と代人制をやめて国民皆兵が実現し、満17〜40歳の男子に兵役が義務づけられた。同年に発布された大日本帝国憲法では、兵役は臣民の義務と されている。その後も戦争のたびに改定され、1927年(昭和2)には徴兵令から兵役法にあらためられた。45年、第二次世界大戦の敗戦によって廃止された。


愛身、愛郷:「筆まかせ」明治21年(正岡子規集 岩波書店)より

愛国心 愛国心とは妙なものにて道理もなきことなれど、能くも此日本といふ様な結構な国に生まれたと思ふこと度ゝあり 何故日本がよきとも思はざれども 赤髯よりは緑髯の方が何となくよき心地する也 又少さくいへばよく伊予松山といふ様なよき処に生れ よくも我両親の子となり 能くも我身に生れたるよと思ふことあり 勿論理屈よりいへば最少し金満家に生れ 最少し才智ある者に生れたらばと思ふことなきにしもあらねど 感情の上にてはやはり我身を愛し 我故郷を愛し 我親を愛すること奇妙なり 多くの人も皆かゝる感情あらんと思はる 


正岡子規とは…

1887(慶応3)〜1902(明治35)。明治のジャーナリスト、俳人、歌人。 伊予松山(現・愛媛県松山市)生まれ。35年の短い生涯のうち最後の7年は結核で病 床にありながら俳句・短歌・新体詩・随筆などの革新運動を行った。 1892年(明治25) に陸羯南が主宰する新聞「日本」の社員となり、寝たきりになってからも在宅の新聞 記者として活躍した。無類の研究会と同人誌好きで、小学校時代から亡くなるまで、 仲間を募ってはさまざまな研究会を開催し、その成果を種々の発表媒体を工夫して発信した。最初期の随筆「筆まかせ」や晩年の随筆「墨汁一滴」「病牀(びょうしょう) 六尺」「仰臥(ぎょうが)漫録」には、激動の明治を好奇心の塊として生きた子規の心の軌跡が鮮やかに写し取られている。

明治二十五年
ものヽふの河豚にくはるヽ悲しさよ
(十一月三十日未明に戦艦千島が英国商船と衝突して沈没。『日本』記者である初仕事である即吟)


「坂の上の雲」(文春文庫 新装版 (1999/01)文芸春秋)とは……

司馬遼太郎(1923〜96)の代表的長編小説。1969年(昭和44)〜72年「サンケイ新聞」 に連載後、文藝春秋より全6巻として刊行。伊予松山藩出身の正岡子規、陸軍軍人の 秋山好古、海軍軍人の秋山真之(好古と真之は兄弟)を中心にして、明治日本の歩みを綴った歴史ドラマで、兵士として前に立つことはなかった正岡子規と、日清・日 露戦争の中で大きな役割を果たした秋山兄弟のコントラストが注目される。司馬は日 露戦争後の勝利によって強国意識を持つようになる政府や軍部、そして国民の動向に着目し、やがては太平洋戦争に繋がる道筋にも言及している。

参考文献:成田龍一『司馬遼太郎の幕末・明治――『竜馬がゆく』と『坂の上の雲』 を読む―


ワークショップ

今、あなたが寝たきりになったら誰が看病してくれますか?

具体的に書いてください。




(2) 『仰臥漫録』にみる介護の風景

正岡子規『仰臥漫録』とは…

明治34年9月2日に筆を起こし、死の半月前の35年9月3日まで書き継いだ手記。四大随筆の一つであるが、他の三作品(『松羅玉液』・『墨汁一滴』・『病床六尺』)が『日本新聞』に連載したのに対して、枕元において仲間にだけ見せた。当時の子規は、重度の肺結核から脊椎カリエスを併発し、寝たきりの状態で執筆活動を続けていたが、痛みがひどくなったので、麻酔剤も併用していた。 


正岡子規『仰臥漫録』の記述より… 

律は理屈づめの女也。同感同情の無き木石の如き女也。義務的に病人を介抱することはすれども同情的に病人を慰むることなし。(9月20日)
律は強情也。人間に向つて冷淡也。特に男に向つてshy也。彼(注・律のこと)は到底配偶者として世に立つ能はざるなり。しかも其事が原因となりて彼は終に兄の看病人となり了れり。(9月21日)
 ↓              
妹・律の介護のあり方に不満を抱いた兄・正岡子規の悪口
 ↓
なぜ、妹が兄を看ているのか

子規が至りついた認識…
 

若し余が病後彼なかりせば余は如何にしてあるべきか。看護婦を長く雇ふが如きは我能く為す所にあらず。(中略)律は看護婦であると同時にお三どんなり。お三どんであると同時に家の整
理役なり。一家の整理役であると同時に余の秘書なり。書籍の出納原稿の浄書も不完全ながら為し居るなり。而して彼は看護婦が請求するだけの看護料の十分の一だも費やさゞるなり。野
菜にても香の物にても何にても一品あらば彼の食事は了るなり。肉や肴を買ふて自己の食料となさんなどヽは夢にも思はざるが如し。もし一日にても彼なくば一家の車は其運転をとめると同時に余は殆ど生きて居られざるなり。
 ↓
律の無償の労働が一家を支えていることの発見

正岡子規というひと ― 代表句を辿りながら 
 
明治二十九年
いくたびも雪の深さを尋ねけり
(代表的な病中吟。看病人としての母や妹の存在をさりげなく詠み込んでいる。参考「誰かある雪の深さを見て参れ」明25)

明治三十年
三千の俳句を閲し柿二つ
(「選は創作」(虚子)の苦労と喜び。詞書「ある日夜にかけて俳句函の底を叩きて」  『日本』俳句欄への投句を入れる俳句函。)

明治三十五年
風板引け鉢植の花散る程に
(この年、一月九日より弟子たちによって輪番制の介護体制が敷かれた。風板とは碧桐桐が考案した簡易扇風機)

 
誰が看るのか ― 「ファミリズム」を視座として

ファミリズムとは…

個人にとって不可欠な、相互扶助(経済的なもののみならず、育児、老人介護、病人の看病における労働力の提供、支え合いも含まれる)および感情的依存の欲求を充足する集団の機能。
その担い手は当然、家族であると考えられがちであるが、前近代においては、ファミリズムは親族ネットワークや地域社会に担われており、ファミリーとファミリズムがオーバーラップするのは、近代以降にすぎない。公的介護の導入に直面する現在、わたしたちは、ファミリーのファミリズムからの離脱に直面している。
参考文献:井上真知子・大村英昭編著『ファミリズムの再発見』(井上真理子(編集)・大村英昭(編集) 世界思想社 ) 

『仰臥漫録』の記述が教えてくれること 
@家族内介護の適任者とは誰か

A家族内介護という労働の無償性→家事労働というシャドウ・ワークの発見

B語られたことばと書き残されたことば、そして飲み込まれたことば



 
講義予定に戻る 金井研究室トップに戻る