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2004年度

文学とジェンダー


男の子という生き方 ―  竹内浩三の詩と詩と日記から考える ―




今週のおすすめ

「アフガン零年」

2003年/アフガニスタン=日本=アイルランド/35ミリ/カラー/82分/原題:OSAMA
監督・脚本・編集:セディク・バルマク
提供:アップリンク、ムヴィオラ、NHKエンタープライズ21
配給・宣伝:アップリンク、ムヴィオラ



 
(1) ある学徒出陣兵の声― 竹内浩三の声を聴く ―
(2) 五月に生まれて―竹内浩三の日記と手紙を読む―
(3) 徴兵制について考えてみよう



(1)

ある学徒出陣兵の声― 竹内浩三の声を聴く ―


竹内浩三、代表作






骨のうたう

五月のやうに
ぼくもいくさに征くのだけれど
日本が見えない

竹内竹内浩三の朗読CD (河出書房新社「詞人から詩人へ」宮沢和史著 朗読CD付き )より



(2) 五月に生まれて
 
竹内浩三…

1921年5月12日、三重県宇治山田で生まれる。
中学時代、友人と回覧雑誌「まんがのよろずや」を作る。
1940年 日本大学専門部(現・芸術学部)映画科へ入学。
1942年9月、徴兵延期の特別措置の改正に伴い半年繰上げで同大学を卒業、臨時徴兵検査を受け、三重県久井居町の中部第三八部隊に入隊した。
翌昭和十八年、茨城県西筑波飛行場に新たに編成された滑空部隊に転属、挺進第五錬聯隊(東部一一六部隊)歩兵大隊第二中隊第二小隊に配属された。
昭和十九年一月一日より「筑波日記」をつけ始め同年七月二十七日で中断。
1945年4月9日、公報によれば、「陸軍上等兵竹内浩三、比島バギオ北方一〇五二高地にて戦死」。
あと一ト月で満24歳の誕生日であった。

参考ホームページ:
五月のように「愚の旗」−ひとを信じようひとを愛しよう−竹内浩三



(3) 徴兵制について考えてみよう

ワークショップ:

二枚の挿絵はいずれも、明治時代の徴兵検査の様子を描いたものです。
感じたことを自由に綴ってください。

 
徴兵検査風景 
(中村不折「合格」)「日用百科全書 第40締国民必携陸軍ー斑」口絵 久畄島武彦考 明治32年 博文館館 明治38年12版から)

身体検査の助言者
(ビゴー、明治20年ごろ)「男子校生のための文章図鑑」筑摩書房、1993年より
 

徴兵制とは…

国民に兵役を義務づけて兵力を調達する制度。近代の徴兵制は18世紀末のフランスにはじまり、19世紀になるとドイツ(プロイセン)、イタリアなどが採用した。イギリスやアメリカは伝統的に志願兵制だったが、第一次世界大戦で徴兵制を採用することになった。
日本では富国強兵をはかるため、四民平等の諸政策により、封建的な身分制をなくし、国民皆兵の徴兵制(1873、明治5)を施行した。ちなみに、同年、学制が領布されていることにも注目したい。


日本の徴兵制…

成立時の明治政府は十分な直属軍事力をもたなかったため、常備軍の拡充がいそがれた。そこで、旧来の武士団を基盤にした職業兵制度をおす意見をおさえ、フランスにならった徴兵制が採用された。ただし73年の布告では、家の存続をはかるため広範囲の兵役免除規定があり、金銭による代人制もみとめられた。全国で徴兵反対一揆がおき、廃家を再興するという名目で戸主となる兵役のがれもおきたため、1879年と83年に一部を改正し、89年(明治22)に大改正された。大改正では、それまでの免役規定と代人制をやめて国民皆兵が実現し、満17〜40歳の男子に兵役が義務づけられた。同年に発布された大日本帝国憲法では、兵役は臣民の義務とされている。その後も戦争のたびに改定され、1927年(昭和2)には徴兵令から兵役法にあらためられた。45年、第二次世界大戦の敗戦によって廃止された。


二枚のイラストが教えてくれること…




状況がいかなるものであったか
どんな観点から、誰に向けて語るのか
それを読み解こうとする「わたし」の位置や価値観はどのようなものか


→ 作者の意図と意図を超えた時代の影とが混在したものとして、過去の作品に向き合う
→ 見る者が立脚する「いま・ここ」を捉え返す


まとめ


男性と兵士をめぐる捉え方が

男性の職業として兵士になる人もいる

国民の中で兵士に該当する男性もいる

国のために兵士になるのは男性の義務

と、変遷してきた状況を確認する

 →時代・地域別の比較検討、近代化の展開過程


 徴兵制度を受け入れた/受け入れなかった個々人 を発見し、その差異を認識するということ
→残された表象・新に生み出された表象



 
 
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