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2004年度

文学とジェンダー前期第七回


路上から戦場へ ― 林芙美子の足跡 ―



 
今週のおすすめ

その ☆ジェンダー研究会主催講演会☆
「自分らしい性を生きる 〜小さな声 社会にとどけ〜」
6月28日(月)16:30〜 大隈講堂にて
http://gender_studies.at.infoseek.co.jp/news.htm
その ☆公開シンポジウム☆
「古典教育における「声」の復権 ― その在り方をめぐって ―」  

6月19日(土)15:00〜 14号館503教室にて
http://faculty.web.waseda.ac.jp/kanaike/header/2004_0528.htm



(1) 放浪記』のころ ― 女成金になりたい ―
(2) 『北岸部隊』と『戦線』のころ ― 前線に立つ「女流作家」 ―
(3) 『浮雲』と最期のメッセージ ― 戦後世代に伝えたかったこと ―



(1) 『放浪記』のころ ― 女成金になりたい ―

「自分を売る」ということ

『放浪記』の朗読を聴く:朗読・内木明子


〇『放浪記』の主人公が遍歴した職業

女中(子守り、下働き)、仲居(寿司屋、割烹、牛鍋屋)、露天商(メリヤス猿股、クレープのシャツ・ステテコ販売)、女工(セルロイド工場)、派出婦、事務員(毛布問屋、株屋、広告会社)、内職(カードの絵付け)、店員(輸入雑貨)、新聞記者・女給(新宿、横浜)、バスの車掌(応募するが不採用)、ガソリン嬢と女優(紹介されるが行かず)、産婆(堕胎専門だったので、即日辞職)、なりたいと口にしていた教員、最終手段とてイメージしていた遊女など

→本命としての「女流作家」

大正の職業婦人問題
放浪記』の「私」が高等女学校に進学した大正7(1918)年ごろ…

第一次世界大戦による好景気でインフレが進行し、その反動として各地で米騒動やストライキが頻発する不安定な社会情勢のなかで、一攫千金を夢見る若年層が登場。女性の場合は、大正1年に209校だった女学校が10年後には460校へと急増しており、大正デモクラシーの気運によって、経済的に自立する「大正職業婦人」が街に出現した。(村上信彦『大正期の職業婦人』、1983、ドメス出版、参照)

しかし、『放浪記』の「私」が東京で彷徨していた大正末から昭和初期は、関東大震災による帝都の壊滅的な打撃などもあり、女性の就職状況は極めて厳しいものであった。

例)大正13年に東京の19箇所ある職業紹介所に来た女性求職者=20858人、
就職出来た人=12597人、8000人余りはあぶれている
巷の「口入屋」や「桂庵」、新聞広告による就職 だまされることも多かった


大正期に職業婦人が歓迎された理由

増尾辰政『婦人の職業』(1928、中央職業研究所)によれば、

@ 支配しやすいこと
A 賃金が安いこと
B 職業によりては、男子に比し優れた特長を有すること
(例・当  時の日本における女子の犯罪数は男子の20分の1、よって 集金や会計は女子向きのしごと)

資本家たちはより安価で質が高く支配しやすい労働力を求めて女性の労働市場の参入を許した

青年層の男性労働者の場合、徴兵義務の三年間のブランクあり
(日比翁助「女子事務員」、『女学世界』、1906・3参照)

「女成金」になる方法 

現実と夢のはざまで……

『放浪記』には、大正末から昭和初めにかけて、若い女性が自立しようとするとき選びうる、あらゆる選択肢が描かれる。

主人公の「わたし」には、「作家になる」という野望がある。先行するモデルとしての、島田清次郎(http://member.nifty.ne.jp/windyfield/chijo.html)の存在によって、「ベストセラー作家になる」ということは億万長者になることであった。

「食べる」ために職を転々としながら、『放浪記』の「わたし」はさまざまな世界を生き、自身の内面を掘り下げていく。商品として書いた詩や童話、小説はちっとも売れずに、心覚えのつもりで書いていた日記によって、林芙美子は億万長者になった。

「巴里の恋―巴里の小遣ひ帳、一九三二年の日記、夫への手紙」林 芙美子 (著), 今川 英子 (編集)中央公論新社 (2001/08)

林芙美子は『放浪記』がベストラーになった印税で、1931年から32年にかけて単身、パリとロンドンに滞在した。その際に記述した手記が
『巴里の小遣ひ帳』(1931・11・23〜1932・・6)および『一九三二年の日記』(1931・1・1〜10・30)である



(2) 『北岸部隊』と『戦線』のころ ― 前線に立つ「女流作家」 ―

南方へ赴くまで……

@  流行作家時代の再到来
昭和16年=『十年間』、『歴世』、『薔薇』
昭和17年=『初旅』、『啓吉の学校』、『日記』、『田園日記』
しかし、太平洋戦争勃発(昭和17年12月8日)以降は、執筆発表が困難になり、休止状態を余儀なくされる。

A 

家庭人としての充実
夫・緑敏(画家)が昭和12年11月に応召するが、14年には除隊となって帰ってくる。
昭和16年8月には下落合に新居を建てた。

林芙美子『北岸部隊』…

1939年1月号の『婦人公論』に「戦場にある人間感情を女の魂が掴んだ三百枚の大記録」と銘打って掲載され、同月に中央公論社より刊行された。1938年9月19日から10月28日にかけて陸軍の漢口攻略に随行した従軍記。
内閣情報部の依頼により、文壇から二十人のペン部隊を結成して(実際の参加者は22名)、漢口後略のようすを銃後に伝えるべく派遣されたメンバーのうち、吉屋信子と並んで紅二点であった林芙美子は、独自のフットワークを活かして抜け駆けし、「漢口一番乗り」を遂げた。

南方へ…
昭和17年10月から8ケ月の間、報道班員として南方(現・ベトナム)に派遣される。

 

子育て、入籍、そして疎開…
昭和18年12月に、産院より生後間もない男児をもらいうけて、泰と名付ける。昭和19年3月に緑敏と泰とを林の籍に入れる。
昭和19年4月に、緑敏の郷里の近い長野県上林温泉に疎開し、同年8月には角間温泉へ。
地元の子ども達に童話を語り聞かせたり、農作業に勤しんだりした。


参考:
「戦場の女流作家たち」 高崎隆治著、論創社 (1995)
「北岸部隊 伏字復元版」 林芙美子/中央公論新社 2002/07
「新潮日本文学アルバム34_林芙美子」、新潮社
「敗者の贈物」 ドウス昌代著、講談社、1995
「マッカーサーの見た焼跡」 ジェターノ・フェーレイス著、文藝春秋、1983

(3) 『浮雲』と最期のメッセージ ― 戦後世代に伝えたかったこと ―

『放浪記』の刊行、絶版、そして復刊…

 
『放浪記』は1930年7月(第一部)と同年11月(『続放浪記』のちに第二部)に改造社より刊行された。
第三部も用意されていたが、戦時下の時代にあっては発売禁止の対象になると懸念される記述(天皇に関する言及や女性の奔放な恋愛遍歴、無政府主義的な言説)が多かったために、発表は見合わされていた。また昭和10年代後半には一部・二部とも絶版になっていた。
 第三部は1951年になって『林芙美子文庫』(新潮社)に収録され、発表された。
 『放浪記』の第一部・第二部・第三部は、年代別というのではなく、大正末の五年間の日記から随意の記述を抜き出して再編集したものである。

『放浪記』とメディア・ミックス― 静江・秀子・光子の『放浪記』 ―

昭和初期のベストセラー小説である『放浪記』は、映画化や劇化によっても大きな反響を呼んでいる。
 まずは、昭和10年の木村荘十二監督の映画『放浪記』。夏川静江が主演している。当時の映画雑誌で「これほど生きた個性のある映画の主人公をまだ日本映画では見ません」(窪川いね子―のちの佐多稲子)と絶賛された。
 戦後になると昭和36年に東宝の芸術座が、菊田一夫脚色・演出、森光子主演で舞台化し、ご存知の通り今日まで1000回以上の公演記録を更新し続けるギネス級のヒット作となった。これ以前に菊田作品にチョイ役(林芙美子役ではあったが)で出演していた森光子の才能に瞠目した菊田が、脇役として頭
角を現しはじめたばかりの森光子を主演に指名して、書き下ろした作品であった(森光子談)。文字通り、森光子が今日の大女優になる足がかりとなった出世作である。
 昭和37年に成瀬巳喜男監督で映画化されたバージョンは、この舞台を踏まえて、「東宝創立三十周年記念映画」として製作されたもの。シナリオも舞台の脚本をもとにして書かれている。成瀬巳喜男と高峰秀子の名コンビは十三本の傑作秀作を世に送っているが、『放浪記』は二人の呼吸がもっとも合った作品で「成瀬先生も私も、やりたいようにやった、たったひとつの映画」(高峰秀子談)であるという。

『浮雲』…

昭和24年11月から26年4月にかけて、「風雪」および「文学界」に連載された長編小説。

あらすじ:
義兄との不倫関係に行き悩んだヒロイン・幸田ゆき子は、軍の募集に応じてタイピストとして仏印に赴いた。そこで、やはり軍属として働いていた林務技官の富岡と出会い、また不倫の恋に落ちる。植民地文化によって、楽園のように造型された自然の中で、戦中日本の息詰る倫理観から解き放たれ、ゆき子と富岡は圧倒的な充足感を経験した。
しかし、敗戦によって、それぞれ帰国した彼らを待っていたのは、焦土と化した東京の現実であり、戦中に逃避していた人間関係のしがらみであった。離れては舞い戻る関係を繰り返しながら、次第に彼らは荒廃して行き、再起を賭けて、南印の面影を求め屋久島へと赴くが、そこでゆき子は非業の死を遂げる。

参考:
「太鼓たたいて笛ふいて」井上ひさし(著) 新潮社(2002/11)
「フミコと芙美子」 池田康子(著) 市井社 (2003/06)

まとめ

林芙美子のキャリア形成とジェンダーについて考える

戦前・貧しさからの脱却=「女成金になりたい」

女流作家としてベストセラーを出す=階層上昇・経済的安定
戦中・男性作家なみ/それ以上の働き=国家レベルで求められる存在になる

従軍作家としての活躍=報告すること/報国すること
戦後・敗戦後に伝えるべきこと=再び国民的作家へ

戦争で傷ついた人々を、過労死するまで書き続ける

参考:
金井景子「報告が報国になるとき ― 林芙美子『戦線』、『北岸部隊』が教えてくれること」(2004・3、『解釈と鑑賞・別冊』)



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