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2004年度

文学とジェンダー後期第七回


豊かな海の物語(1) ― 水俣で起こったこと ―




今週のおすすめ

よむよむ座(11月24日)
詩吟をいっしょに― ビギン・ザ・詩吟
平賀源山さん
(終了)


川口晴美さん参加イベント
コミニュケーションアート展「おかえり」


20世紀文化研究 主催
声=音を巡るアヴァギャルド・ノスタルジア__降る、振る、震え... 




(1) 前回のレビューシートから
(2) 写真の声を聞き届けること
(3) 「トモコの小さな声 ユージン・スミスが水俣で見たもの」を観る
(4) 「入浴する母子像」をめぐって考える



(1) 前回のレビューシートから



(2) 写真の声を聞き届けること

『トモコ アンド マザー』水俣展総合パンフレット、水俣フォーラム、1999より

 写真はせいぜい小さな声に過ぎないが、 ときたま―ほんのときたま― 一枚の写真、 あるいは、一組の写真がわれわれの意識を呼び覚ますことができる。 写真を見る人間によるところが大きいが、ときには写真が、思考への触媒となるのに充分な感情を呼び起こすことができる。われわれのうちにあるもの ― たぶんすくなからぬもの ― は影響を受け、 道理に心をかたむけ、誤りを正す方法 を見つけるだろう。そして、ひとつの病の治癒の探究に必要な献身へと奮いたつことさえあるだろう。そうでないものの、たぶん、われわれ自身の生活からは遠い存在である人びとをずっとよく理解し、共感するだろう。写真は小さな声だ。 わたしの生活の重要な声である。それが唯一というわけではないが。私は写真を信じている。もし充分に熟成されていれば、写真はときには物をいう。それが私―そしてアイリーン―が水俣で写真をとる理由である。

―― ユージン・スミスによる『写真集 水俣』の裏表紙のことば


ユージン・スミス、アイリーン・スミス『写真集 水俣』……
 ユージン・スミスは1918年アメリカ生まれ。妻アイリーン・スミス=1950年東京生まれ。ユージンは世界的に有名な写真家で、1971年から74年まで、アイリーンと水俣に住み、精力的な撮影活動を展開した。アメリカに帰国後の1975年にHOLT社より英語版の『MINAMATA』を出版。この前後に日本各地で写真展を開催する。
日本版は1980年に三一書房より刊行された。
 ユージン・スミスは1972年1月におきた五井事件によって負傷し、その折の怪我がもとで、1978年10月に他界した。
 

(3) 「トモコの小さな声 ユージン・スミスが水俣で見たもの」を観る

― NHK 1985年12月9日放送 ―




(4) 「入浴する母子像」をめぐって考える

1971年12月に撮影された母子像=有機水銀が、母親の胎盤を通して胎児にもたらされ、水俣病を発症させることをアピールする表象として、大きな反響を呼ぶ

水俣病を代表表象するものとして、米誌「ライフ」をはじめとして、国内外の雑誌、新聞、写真集、図録、ポスター、学校の教科書などに多用される

メディアの取材が集中する、心ない中傷も起こる

被写体の一人である上村智子さん、1977年に逝去

「智子を安らかに眠らせてあげたい」という家族の思い

一九九八年六月、人を介して上村さん夫婦の思いを耳にしたアイリーン・スミスさんは、夫婦に会って話し合い、「写真を夫妻にお返しする」という決断をし、十月三十日付で「今後、写真に関する決定権が夫婦に帰属し、アイリーンさんが新たな出版、使用を行わない」とする旨の承諾書を送るとともに、すでに写真を収蔵している美術館などにも、展示に配慮を求める
=「写された側の人権を尊重したい」とする著作権者・アイリーン・スミスさんの思い

○ メディアの評価のなかで、「典型」と目された芸術的作品が果たす役割について考えてみる

○ 表象としての「母子像」がどのように受容されるかについて考えてみる


 
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