著作権上の配慮から、画像、著作物などは本サイトでは掲載して降りません。当該当物を見聞したい人は金井研究室までおいでください。

2004年度

文学とジェンダー後期第十回


豊かな海の物語 まとめ&海を渡った女たちのこと




今週のおすすめ

石牟礼道子自作品朗読DVD『しゅうりりえんえん』藤原映像ライブラリー(藤原書店)




(1) 前回のレビューシートから
(2) 日本の近代化と「水俣」
―石牟礼道子「どこで生まれた者かわからんように」を手がかりに―
(3) 「本来のジェンダーを回復する」ということはありうるのか
―石牟礼道子とイヴァン・イリイチとの対話から―
(4) 『苦海浄土』とジェンダー
―失って気づくこと/回帰ではなく再構築を―
(5) 「からゆきさん」について知っておこう
― ナショナリズムとジェンダーに向けて ―



(1) 前回のレビューシートから



(2)

日本の近代化と「水俣」
―石牟礼道子「どこで生まれた者かわからんように」を手がかりに―


石牟礼道子「どこで生まれた者かわからんように」…
初出は1967年9月8日、『熊本日日新聞』。
のちに石牟礼道子 『潮の呼ぶ声』(毎日新聞社 2000/08)に収録。家族も自らも水俣病で苦しむ老人の語りを通じて、水俣で起こったことを日本の近代化の弊害が集約的に現れた現象と捉え直す随筆である。

キー・ワード:

水俣に移住してきた人々としての「天草流れ」、「薩摩流れ」、「満州流れ」
天草の「アメリカ帰り」あるいは「アメリカ流れ」、「南洋」への出稼ぎ(=「からゆきさん」)
  漁師から「会社行き」への出世=第一次産業から第二次産業への転換、自給自足を基本とする暮らしから賃労働者へ
  水俣病によって故郷を名乗れなくなるということ
 ⇒近代化の中で「豊かな暮らし」を求めて住む場所・しごとを転々とする

 

発展問題: 女たちはどこで、どんな働き方をすることになるか考えてみる

まとめ

ゆき女と茂平のカップルにとって「水俣病」とはなんであったか

 ⇒ 

(1)ゆき女が発病する前に二人はどのようなくら し方をしていたか
(2)ゆき女が発病してから二人の性役割に起こった変化を考える
(3)ゆき女と茂平が「水俣病」によって失ったものは何であったか



(3)

「本来のジェンダーを回復する」ということはありうるのか
―石牟礼道子とイヴァン・イリイチとの対話から―


イバン・イリイチ…
1926年ウィーン生まれ。ヨーロッパで育つ。自然科学を修めた後、歴史・哲学・神学を学ぶ。ニューヨークで司祭として活躍した後に、1960年以後はメキシコ、ドイツ、アメリカの大学で中世史を講義する。近代化の抱える問題点について、1980年代初頭から「ジェンダー」や「シャドウ・ワーク」をキーワードとして問題提起をし続ける。著書に『脱学校化の可能性』,『脱病院化社会― 医療の限界』,『シャドウ・ワーク ― 生活のあり方を問う』『バナキュラー・ジェンダー』 『ジェンダー ― 女と男の世界』など多数。人類には原初的な男性性/女性性=「バナキュラー・ジェンダー」があり、そこへ回帰すべきであるという論に対しては、男性性/女性性は本源的なものではなく歴史的に作られたとする構築主義の立場をとるフェミニズムから批判が寄せられた。

石牟礼道子…
1927年熊本県天草生まれ。出生直後に水俣へ移住。戦中は小学校の代用教員をしていたが、戦後は復帰せず。1958年に「サークル村」に参加。南九州の最下層に生きる人々を主題とする作品を次々に発表する。1969年に『苦海浄土』を刊行し、第一回大宅壮一賞の内示を受けるが辞退。水俣病患者の多岐に渡る裁判闘争にも深く関わる。著書に『椿の海の記』『西南役伝説』『十六夜橋』『アニマの鳥』など多数。

石牟礼道子とイバン・イリイチとの対話 「『希望』を語る ―― 小さな世界からのメッセージ」より…


  イリイチ: ヨーロッパ世界では、男と女の関係を、私がゲヌス(=ゲヌス・ロキ、場所の神のこと)として理解している関係を取り戻すことはできないと私は思います。
  石牟礼: 日本でもほとんど不可能ではないでしょうか。いかにそのゲヌス・ロキ、場所の神が、私どもの列島の隅々から追い払われてゆきましたことか。男も女も、近代の悪霊のようになっておりますが、この二つのことは根源のところで結ばれているのに、そこを食い荒らされているのです。
   
※ 世界に「おき火」のように残っているジェンダーの関係を回復すべきであるとするイリイチに対して、石牟礼は、そうしたカップルやグループを身近に見うけることもあると断わった上で、現状は「およそ不毛な状態である」とする。
 

石牟礼:

「おき火」というおっしゃり方は、私どもがその断念の中に描いていた詩篇という気がいたしますが、ほんとうにそれが一番願わしいことだと思います。ことに女たちは絶望の中でそれを願っていると思います。私たちはこれまで男であること、女であることをあまりにもゆがめられて、自らどう解き放ったらよいかわからなくなっています。日々の人間関係は深い断念の中にあるのですけれど、だからこそ人間がみえてくることもありまして…
(以下、略)
(河野信子・田部光子編著『夢劫の人――石牟礼道子の世界』、1992、藤原書店)

近代化の中で、女/男は、「自らどう解き放ったらよいか」という問い

「願う」ことと「回帰する」こととの差異を考える

『苦海浄土』のゆき女と茂平について考える




(4)

『苦海浄土』とジェンダー
―失って気づくこと/回帰ではなく再構築を―


ゆき女と茂平…
天草から水俣の漁師である茂平に嫁いできたゆき女は、二丁櫓の夫婦舟で漁をしていたが、水俣病に罹患・発病して「学用患者」として入院した後、かつての暮らしを振り返る。

  茂平との協労の日々や、海にまつわるさまざまな思い出など、当たり前に思えていたかつての暮らしがかけがえのないものであったことに気づく。(第三章「ゆき女聞書き」)
 

  ゆきは茂平に看病されるうちに「もとのからだ」にして戻してくれとせがむようになる。水俣に嫁ぐ前の天草に戻してもらいたいと言い、そのことと補償金の使途についてのいさかいから、茂平はゆき女と離別することになる。(第七章「昭和四十三年」)

「あるべき姿」がそれを失うことでしか把握できない近代人の姿誰に向かい、何に向かい、ゆき女は懇願や呪詛をするのか。

原田正純プロフィール

1934年
1960年
専攻
現在
著書
    

鹿児島に生まれる
熊本大学医学部大学院卒業
臨床脳波、中毒性神経精神障害に関する研究
熊本学園大学社会福祉学部教授
「水俣病」(岩波新書)
「水俣が映す世界」(日本評論社、第16回大仏次郎賞)
「水俣 もう一つのカルテ」(新曜社、第33回熊日文学賞)
「裁かれるのは誰か」(世織社)
「鉱山の灯は消えても」(日本評論社)
「三池炭鉱、1963年炭じん爆発を追う」(NHK出版)
「水俣病は終わっていない」(岩波新書)

栗原彬 略歴

1936年
1969年
現在
専攻
編著書
  

 
栃木県に生まれる
東京大学大学院社会学研究科博士課程満期退学
立教大学法学部教授、水俣フォーラム代表、ボランティア学会代表
政治社会学
「やさしさのゆくえ=現代青年論』(ちくま学芸文庫)
「管理社会と民衆理性」
「歴史とアイデンティティ」
「政治の詩学」
「政治のフォークロア」
「増補・新版 やさしさの存在証明」
(以上、新曜社)
「人生のドラマトゥルギー」(岩波書店)
「講座 差別の社会学」(編書、全4巻。弘文堂)
「証言 水俣病」(岩波書店)

水俣病センター相思社とは、1974年に設立された、水俣病患者および関係者の生活全般の問題について相談、解決にあずかるとともに、水俣病に関する調査研究ならびに普及啓発を行うことを目的とする法人である。
また、水俣病関連の資料を10万点以上収蔵する、世界最大のアーカイブでもある。

水俣病センター相思社ホームページ




(5)

「からゆきさん」について知っておこう
― ナショナリズムとジェンダーに向けて ―


「からゆきさん」とは…
「唐行き」。江戸時代から第二次世界大戦時にかけて、日本から南方など外地へ出稼ぎに行った女性の称。「天草子守唄」に見える「から行き」が語源とも。(『広辞苑』)
 戦前に、一般にはこの呼称は普及していなかったが、山崎朋子や森崎和江らのしごとによって知られるようになった。全盛期は日露戦争のころで、約6000人を越えたといわれる。南方進出の際、彼女等が先導して日本人集落が形成されていったという説が有力である(=からゆきさん先導型進出説、清水洋・平川均著『からゆきさんと経済進出』、1998、コモンズ)。

日本人街とからゆきさん
戦前に東南アジア各地に移り住んだ日本人はかなり多かったようで、シンガポールにも貿易会社、新聞社、鉄工所、雑貨店、医院、理髪店、菓子店、印刷所、貴金属店、飲料店、書籍店、土産店などなど、さまざまな職業のひとたちがいたようです。もちろん地元のひとを相手にする商売もあったでしょうが、今と同じように住んでいる日本人を相手にするひともいました。

最初に移り住んだ日本人はどんなひとたちだったかというと、驚くべきことに、現在では「からゆきさん」として知られる、当時は娘子軍(ろうしぐんまたはじょうしぐん)と呼ばれた海外売春婦でした。1904(明治37)年には娼館101・からゆきさん902人がいたという記録があります。
からゆきさんは幕末から大正中期にかけて日本の貧しさを背景に発生したもので、騙されて連れて行かれて悲惨な生活を送った例や、無知さゆえに、からゆきさんになることに疑いをもたなかった例もあるようです。一時期は日本の外貨獲得に貢献したほどだったそうですが、日本の日露戦争での勝利、第1次世界大戦での戦勝国としての地位向上、国力増強と経済進出の過程で「一等国日本の恥」とみなされて取り締まりが行われ、シンガポールをはじめに各地から1920年頃を境に次第に姿を消していきました。



講義予定に戻る 金井研究室トップに戻る