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2004年度

文学とジェンダー後期第十一回


海を渡った女たちのこと まとめ




今週のおすすめ

特別授業

1月28日 2限 16号館 305室
朗読パフォーマンス
上念省三 作 「風景が壊れている、そして私も…」
http://homepage3.nifty.com/kansai-dnp/fuukei.htm

朗読の理論と実践の会 スピーチ指導の理論と実践

2月5日(土) 15:00〜18:00 14号館 503教室



(1) 前回のレビューシートから
(2) 菊住さん・佐藤さんからのメッセージ
(3) からゆきさん」について知っておこう― ナショナリズムとジェンダーに向けて ―



(1) 前回のレビューシートから



(2)

菊住さん・佐藤さんからのメッセージ


菊住さんからのメッセージ

金井景子先生と受講生の皆さんへ

前略 ご返事が遅れて申し訳ありません。
 感想のレポートを読ませていただき、学生の皆さんの真摯な受け止め方に、心から御礼を申し上げたく存じました。
 私の体験は、私の人生のあるタイミングで遭遇した転機での、個人的な選択でしかありません。ですから皆さんに「こう生きろ」などと説教するつもりはありません。ただ、伝統的に受け継がれた既成の生き方にこだわっている自分に気付いてみると、もっと自分らしくて、自己矛盾のない人生を歩く勇気と意欲が涌いてくるものだということを、お伝えしたかったのです。感想文を寄せてくださった皆さんの中に、私の想いに共感して下さる方がたくさんいらっしゃったことを、本当に嬉しく思います。皆さんの未知の将来に、「こういう生き方もあるんだ」という選択肢の一つとして加えてくだされば幸いです。
 質問を記してくださった方が何名かいらっしゃいます。カウンセラーとしての現在の私に関心を抱いてくださったSさんからは、「カウンセリングの際に、自身の経験はクライアントに話すのか」というご質問をいただきました。原則的にはお話ししません。主役はクライアントですから。その方の生き様を肯定的に受け止めることが優先ですから。ただし、私の経験がその方の自己像を肯定するために役立つ場合は、お話ししたことはあります。相互の信頼関係が築けて、カウンセリングに通おうという動機づけが高まることもあります。しかし、本当に少ないケースです。
 私が専業主夫から社会復帰しようと決意したきっかけとなった本が、子育ての本ではなく、心理学の本であったことに関心を寄せてくださった方もいらっしゃいました。私が巡り合った本は「コミュニティ心理学  −−地域臨床の理論と実践」(山本和郎著 東京大学出版会)です。臨床の現場のことをもっと知りたい方は、「臨床・コミュニティ心理学」(山本和郎 他3名編著 ミネルヴァ書房)を参考になさるとよいかと思います。
 Hさんからは「子どもが手を離れたとき、行き場所がなくなるのでは?」というご質問でした。おっしゃる通り、子育てパパが再び会社人間に戻ってしまうケースも少なくないのです。子どもを通して地域社会と繋がっていけばよいのではないでしょうか。保育園やPTA、少年野球チームなど、子どもをダシにした親のネットワークは、意思さえあればいくらでもあります。自分の子どもの親としてだけではなく、我が子のいる町のメンバーとして地域に関わっていけば、子どもが育ち切っても、居場所は残るものです。子どもの育った地域を子どもだけのふるさとにしてしまうのはもったいないと、私は思うのです。私は息子が小学校のサッカーチームを卒業しても、サッカー好きなおじさんとして小さな子どもの成長を見守りたいと思います。私の友人は、青春18キップで息子と全国を回っていましたが、息子が大学生になった後は、大人の登山会を近所の仲間同士で作って、息子の助言を受けながら週末を楽しんでいます。
 参考になるかどうかわかりませんが、皆さんの記憶の片隅にとどめていただければ幸いです。余談ですが、小5の息子がノロウイルスにやられ、発熱と嘔吐と下痢で、学校を休んでいます。職場を休んで病院に連れて行くのは、我が家では父親の仕事。休めるような働き方にしておいてよかったと、こういうときは心から思います。
 皆さんもご自愛くださいね。            草草

佐藤さんからのメッセージ(WEB非公開)



(3)

「からゆきさん」について知っておこう
― ナショナリズムとジェンダーに向けて ―


「からゆきさん」とは…
「唐行き」。江戸時代から第二次世界大戦時にかけて、日本から南方など外地へ出稼ぎに行った女性の称。「天草子守唄」に見える「から行き」が語源とも。(『広辞苑』)
 戦前に、一般にはこの呼称は普及していなかったが、山崎朋子や森崎和江らのしごとによって知られるようになった。全盛期は日露戦争のころで、約6000人を越えたといわれる。南方進出の際、彼女等が先導して日本人集落が形成されていったという説が有力である(=からゆきさん先導型進出説、清水洋・平川均著『からゆきさんと経済進出』、1998、コモンズ)。

日本人街とからゆきさん
戦前に東南アジア各地に移り住んだ日本人はかなり多かったようで、シンガポールにも貿易会社、新聞社、鉄工所、雑貨店、医院、理髪店、菓子店、印刷所、貴金属店、飲料店、書籍店、土産店などなど、さまざまな職業のひとたちがいたようです。もちろん地元のひとを相手にする商売もあったでしょうが、今と同じように住んでいる日本人を相手にするひともいました。

最初に移り住んだ日本人はどんなひとたちだったかというと、驚くべきことに、現在では「からゆきさん」として知られる、当時は娘子軍(ろうしぐんまたはじょうしぐん)と呼ばれた海外売春婦でした。1904(明治37)年には娼館101・からゆきさん902人がいたという記録があります。
からゆきさんは幕末から大正中期にかけて日本の貧しさを背景に発生したもので、騙されて連れて行かれて悲惨な生活を送った例や、無知さゆえに、からゆきさんになることに疑いをもたなかった例もあるようです。一時期は日本の外貨獲得に貢献したほどだったそうですが、日本の日露戦争での勝利、第1次世界大戦での戦勝国としての地位向上、国力増強と経済進出の過程で「一等国日本の恥」とみなされて取り締まりが行われ、シンガポールをはじめに各地から1920年頃を境に次第に姿を消していきました。

『からゆきさんと経済進出』、清水洋・平川均著、1998、コモンズ)。
『ヤポネシアの海辺から』石牟礼道子・島尾ミホ 2003年 弦書房 

森崎和江(1927− ) …
 詩人、ノンフィクション作家。朝鮮慶尚北道大邱府生まれ。1947年に福岡県立女子専門学校卒。卒業後に肺結核を患って佐賀療養所で闘病。1933年に筑豊の炭鉱地帯の仲間町に谷川雁らと移り、炭鉱長屋に住む上野英信らと共同生活を営みながら雑誌『サークル村』を創刊し、社会の底辺で働く炭鉱労働者たちの視座から学ぶ。また、『無名通信』を発行して近代化の中で女性の抱える問題にも取り組んだ。
 代表作に『闘いとエロス』、『海路残照』、『ナヨロの海へ 弥平物語』、『からゆきさん』などがある。

『からゆきさん』…

東京・朝日新聞社 一九七六年五月一五日、二四二頁 四六判 装幀・司修
 「ふるさとを出る娘たち」、「国の夜あけと村びと」、「鎖の海」、「慟哭の土」、「おくにことば」の全五章からなるルポルタージュ作品。「からゆきさん」としての体験を持つ女性たちに丁寧な取材をすると同時に、天草に集約される日本の底辺に生きた女性たちが、なぜ性労働者として東南アジアや朝鮮・中国・ロシア・アメリカといった海外進出することになったかについて、日本の公娼制度と近代史を見据えて巨視的な見解を提示した。

日本の近代化の過程で家族のために結果的に国家の先兵となった「からゆきさん」

性労働に従事したことにより、国にも村にも家族の中にも安住の場所を見出し得なかった

歴史に記されることなく忘却される彼女らの声を遺すこと

彼女らがいて、今のわたしたちが在るということ

今も世界のあちこちで再生産される「女・こども」の搾取について感じること・考えること・伝え合うこと


参考文献:

『サンダカン八番娼館』山崎朋子(文春文庫)
『じゃぱゆきさん』山谷哲夫(情報センター出版局) 
『フィリッピーナを愛した男たち』久田恵(文藝春秋)

まとめ…

1. 生育環境・しごと・家族のありかたは、選んでいる側面と撰ばされている側面の双方がある
   →地域と時代への想像力をもつこと

2. 個人の選択の可能性(あるいは不可能性)には同時代の国家の方針が影響していることがある




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