【評論】 心の琴線に出会う若者達/大場 黎亜

 「心の琴線に触れる」ということばがある。良いものや素晴らしいものに触れることで、感銘を受ける―「感銘」とは、感動して忘れないこと―つまり、良いものや素晴らしいものに触れることで、忘れられない感動を覚えるということである。しかし、実際にそれを体感することは、日常の中でどれだけあるだろう。
 福島県の天栄村に、教授の誘いで多くの学生達が訪れた。初めて村に訪れた若者達は、田んぼの作業を通じて土のぬくもりを知った。食物の有難みを体感した。白米の旨さに感動した。何より、迎え入れてくれる村人たちの人柄に魅了された。「また帰ってきてね」ということばに、こんなにも嬉しい気持ちになったことがかつてあっただろうか。この村で覚えた感動や感情は、都会や学校では学べないことばかりだ。
 ある高校生は、この村で「素直に話せる人たち」に出会えたと言った。ある大学生は、「思わずうれしくて泣きそうになることばかりだった」と言った。東京に出たが天栄村出身の学生もいた。彼はこれまで、地元を説明する際に「福島の真ん中のちょっと下」と説明してきた。その彼が「自分にとって大事な場所はやっぱりここだった。天栄村じゃなきゃいけない」と言った。各々が「ふるさと」を知り「故郷」を噛み締めるような体験だった。そして彼らは何より、自分の中にある「心の琴線」を見つけたのだ。
 今や魚を捌けない若者が多くいる。欲しいものはスーパーに並んでおり、更にはネットで注文可能な時代だ。手紙で人の書く文字のあたたかみに触れることも減り、顔文字やスタンプというコミュニケーションツールでセンスが問われる。そんな現代の若者たちは、果たして「心の琴線」に出会えているのだろうか。
天栄村での体験は、自分の生を支える自然・人・生業・環境がいかにして育まれているのかを身で感じさせる、彼らにとって忘れ難い出会いであったに違いない。いや、表現の自由が謳われつつ、表現の豊かさが疑問視されていくであろう現代において、どうかその「心の琴線」を忘れずに、歳を重ねていただきたいと願うばかりである。

   
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