石井透公(いしい)さん  
米農家、天栄米栽培研究会会員

:まずお名前とご年齢をお願いします。
:石井透公、48歳です。
:農家になられたきっかけは?
:30の時ですね。うちの親が入院しまして、ひと冬、仕事しなかった時があったんですよ、それまでは自分自身、うちを継ごうなんて全然思っていなませんでした。普通に勤めてて。ただその時に完全にうちが、「農家として止まったな」って感じがしたんですよ。それが自分の中ではすごく寂しかった。昔から直売やってたんで、お客さんもいたので。ちょうど転勤の時期でもあったんで、このまま転勤しちゃったら、うちは本当に農家やらなくなっちゃうなと思った時に、それが勿体なく感じたんですね。そして自分も農家で食べさせてもらってきたんで、それをなくすのが、ここで自分の代で終わらすのは嫌だなと思って、思い切って勤めを辞めて、うちを継ぎました。
:お友達で農業高校からとか、すごく早く就労されている方々もいらしたわけですよね。出遅れた感じはなかったですか?
:自分では農家は頑張ればなんとかなると思ってたんですけど、実際やってみると何にも分からないんですよね。親から聞いてやっても意味が通じなかったり、肥料の関係とか全然分からなかったりね。その時、農業高校とかそういうのって大事だなって思いました。でもいろんなところで勉強会があったんで頻繁に行って、色々教えてもらって、10年くらいは何とか自分でやりました。本当に基本的なものだけ覚えようと思って。ただ、その後、40ちょい位の時ですね、天栄米栽培研究会ができて、そこに参加してから、考え方はガラリと変わりましたよね。それまで有機とか全然見向きもしなかったんですよ。お客さんがやっぱり安全で美味しいものって言うわけだけれど、そんなに簡単に有機なんかで作れるもんじゃないと思ってました。でも、やってみたらああいう天栄米ができて、そん時はすごく嬉しかったですよね。
:栽培会に入ろうと思われたきっかけは?
:元々今の事務局長の吉成邦市さんとは知り合いだったんで。やっぱりそういう仲間がいた方がいいなと思って。知ってる人も結構いたんで。あと「認定農業者」っていう会が元々あったんで、そこの人たちも知ってました。自分なんか何にも知らないんで、ぜひ先輩方に教わりたいなと思ってね。
:研究会では十分に教えてもらえますか?
:いやぁ、情報はすごいですね。うちの親もそうなんですけど、既存の農家って、農薬とかの使い方の基本は分かるんですけど、有機の場合は対応が安定しないんですよね。病気になったらどうするんだとか。そういう心配ばっかり先に立ちます。収量をあげないことには農家として食っていけなくなっちゃうしね。けれども、栽培研究会で無農薬とか減農薬の取り組みを、具体的に色々情報を仕入れて教えて頂いたのは有り難かったです。特に岡部さんとか昔から試行錯誤してやってきた先輩がいたんで、すごく心強かったですね。最初の無農薬の天栄米ができた時には、いやぁ、本当にできるんだっていうかね、あの時は嬉しかったですよね。
:何年前ですか?
:もう8年になりますかね。
:石井さんが世界大会で初めて金賞を受賞されたのは、栽培研究会に入られてすぐのころですよね?
:自分の場合は本当に素人だったんで、学んだことは皆やろうと思いました。指導をしてくださった遠藤五一さんとか、そういう方々に、夏だったかな、これを使ってみたらいいよと言われたのを使ったら、たまたま上手くできるようになって。
:素直に全部言われたことをきちっとやったわけですね。
:それが良かったんじゃないですかね。長年やっている方々は、自分のやり方がありますからね、なかなかそれを変えるのって難しいと思いますよ。
:金賞とった時のことを教えてもらっていいですか?
:あの時はちょっと本当に申し訳なかったですよね。なんかああいう全国大会に行って、まさか名前呼ばれるとはおもってもみませんでした。入賞するだけでびっくりしたのに、まさかそこで名前呼ばれるなんてね。入賞者は挨拶するんですけど、その時思わず謝ってしまいました。なんか俺みたいのがとってしまって、一生に一回のことですからって。申し訳ないってことで。
:その後も重ねて正夢ですよね。
:ええ、ですから次の年からやり方をまた発展させて、減農薬に力を入れてやっています。有機の肥料は天候にすごく左右されるんですよね。だからなかなか続けて賞をいただくというのは難しいんですけど、やっぱり目指すものがそこにあると、励みになります。お客さんにも喜んでもらえますからね。だから大変なんですけど、喜んでくれるお客さんのためにって思うと、なんか続けられるなっていう、感じがします。
:石井さんがお米作りで一番大切にされていることは何ですか?
:やっぱり手を抜かないってことですよね。有機やる前からそうですけど、今の農業ってすごく楽にできる方向がある。化学肥料とか機械で一発でできたりもするんで、手間をかけないで米作りをしようっていう方向にも行ってるんですよ。でも自分らはそういうのじゃなくて、手間はかかるけど本当に美味しいものができるんだったら手間を惜しまずにやりたいなっていう、そういう方向でやってます。そこには喜んでくれるお客さんの顔が見られるんで、そこら辺を大事にしたいなって思ってやってます。
:3.11の時と、その後どういう風に歩んでこられたかについてお聞かせ下さい。
:3.11の時は本当に農業を辞めようと思ってました。まず自分たちが食べるものを作れるかどうかってこと自体、分からなかったし。自分の子どもも小っちゃかったんで、まずは避難しなくちゃいけないのかとか。うちの子どもたちは奥さんの実家が兵庫県だったんで、子どもと奥さんは避難させました。それで本当にこの子たちが戻ってこられるのかというのが一番心配でした。
  2か月後には帰ってきたんですけど、奥さんにしてみると、兵庫県に離れていると、なんか逆に悪い情報しか入ってこなかったそうです。これ以上いたら福島に帰ってこられなくなりそうで、それが怖くなったって。幼稚園のママ友がいて、電話とかしてると、自分だけが安全なところがあるから帰ってるのがすごく心苦しかったみたいで。それで2か月後に帰ってきたんですけど、夏ごろまではこっちで作った野菜、なかなか食べさせなかったんですね。だけどもこの辺キュウリの産地だったんで、キュウリが春頃からずっと出荷されている。そうすると毎日のように放射能の検査があるんですよ、その情報をずっと見ていて、どれ一つ出てこなかったんですよね。それで段々安心してきて、これは大丈夫だなって。そうなればうちらの米作りもいい方向に行くんじゃないかという気持ちになって来たんです。
  それで段々夏ごろから自分たちで作っている野菜を、子どもに安心して食べされられるようになって。最初は自分たちが他のもの食べて、自分たち野菜・米作って売るっていうのは、やっぱりおかしいなことですよね。でも本当は秋まで心配だった。もし秋に放射能が出ちゃったらば、もうなんか続けらんないかなって思いながらやってました。
  米作りでも、栽培研究会があって、どうしていいか分からない時に、特に和田さんなんかが、農家が米作らなくてどうするんだって言ってくれたんですよ。あと吉成さんが「作んなきゃ負けだ」って。その言葉で本当に何とか今年もやってみようって気になれて。結果はどうなるか分からないけど、何にもしないで諦めるのがすごく嫌だったんですね。その時、ダメかも知れないけど、農家の目指すものがいい方向に行くかもしれないっていう思いもありました。ゼオライトを使うなど、少し方向も見えたんで、とりあえず何でもいいからやってみようと思いました。もしこれで上手くいけば、自分の子どもたちも戻して、皆で生活もできるし、農家も辞めることないし、お客さんだってもしかしたら戻ってきてくれるかもしれないって思って、やってきました。

:天栄米に一番合うおかずを教えてください。
:美味いご飯だったら、みそ汁だけでいいんです。みそ汁の甘じょっぱさが、ご飯の甘さに合って、そう、ガツガツ食える感じですよ。旨い!
:みそ汁の身には何を入れますか?
:油揚げが好きですね。あと、なめこもいいな。
:これから目指されるお米作りのビジョンをお聞かせください。
:今、福島県のお米ってどこでも見なくなってますよね。スーパーに行ったって福島県産っていうのが全然、なくなっちゃってる状態です。業務用とかに回されたりして。お客さんをもっと増やして行けたら、もっと作り甲斐も出て来る。お客さんの顔が見えれば頑張れるものなんで、そういう方向で、いいものを安全なものを作って行きたいです。そうしていれば、絶対お客さんは戻ってきてくれるって思ってるんで、そう信じて今やってます。(2015年3月4日取材)