内山正勝(うちやま まさかつ)さん  
米農家、天栄米栽培研究会会員

:まずお名前とご年齢をお願いします。
:内山正勝です。65歳になります。
:農家になられたきっかけを教えてください。
:自分は戸籍上は次男なんですね。長男がいたんですけど、生まれた頃は、あまり食糧事情が良くなくて、小さい時に亡くなったということで、戸籍上は次男なんなんですけど、気付いた時から自分が農家を継がなくちゃならない感じがありました。それで今に至っています。
:何歳くらいの時に就農されたんですか?
:18歳からですね。だからもう、かれこれ40年になります。(笑)
:高校出られてってことですか?
:ええ、そうです。農業高校を卒業しました。うちは稲作専業のものですから、お父さんなんかもだいぶ年老いて、まあ自分なんかが第一線でやらなきゃいけないっていうんで、高校出たらすぐにね。その時代は食味とか関係なく、増産第一の時代で、食糧管理制度があったものですから、「作れば売れる」というような感じで、少しでも多く収量があがるような技術の習得は一生懸命やってきました。そのために山形などにも出かけて、色んな勉強をしましたね。だから多収穫技術はかなり自分でも自慢できるくらいにありますよ。
:内山さんが一番お米を作る上で大事にしていることを教えてください。
:やはりお米に限らず、作物っていうのは自分で手をかければかけただけの収穫にっていうか成果が上がるわけですけども、それにはやはり基本的な技術をきちんと習得していないと、その年の天候によって大きく左右されるんいですよ。天候に左右されないような技術の習得っていうか、それは基本的なものだと思ってます作物作るには土作りから始まって、きちんとした技術を習得しながら、それを修正できるような作物の作り方をしていかないと、天候に左右されてうんと経営に影響が出てきます。基本技術がやっぱり大事ではないかなって思ってます。
:作っていて一番楽しいこととか、逆に一番つらいこととか。
:今の時点で春先に作り始めて、自分で美味しい米を作りたいって目標立てながらやってるんですけど、それには色々な、農業は一年に一作ですから、お米作りは。だから色んなパターンを考えながら、天候、こういう天候になった時にはどういった形があれだとか、色んなパターンを考えながら、お米作りしているんですけど、自分が目標とするところに到達した時には最高の喜びです。だからやはり、最後まで気を抜けないというか、お米ができて消費者に渡るまで、精米して消費者に渡るまで、やはり生産者の責任かなと思ってます。美味しい状態で食べてもらうっていうのが、一番我々生産者のあれかと思ってますけど。
:これからのお米作りで目指しておられるところは?
:食べる側はものすごく口が肥えてるんですよね。生産者側は自分が作ったものが一番美味しいと思ってるんだけど、消費者に食べてもらって、本当に究極のお米っていうか、これが美味しいんだっていうお米を作りたいたなって思ってます。それには全部が認めてもらえるような、そういった究極の本当に美味しいお米を目指して今、頑張ってます。
:今は、収量よりも食味の時代になりましたか。
:今は消費者は色々飽食の時代で口も肥えてるし、美味しいお米自体も色んな地域から取り寄せして食べることができる時代ですよね。自分が作ったものが、消費者に「あ、これは美味しいな」って感じてもらうために、それにはどうしたらいいか、きちんと自分なりに考えながらスケジュールを立てて取り組んでいます。今は食味に力を入れて頑張ってますね。
:栽培米研究会の魅力をお聞かせください。
:全国で食味コンクールがあるって聞いて、自分が作っているものが全国的に、全国レベルでどこら辺の位置にあるのか知りたかったのですね。それで、役場の吉成課長さんに提案したことが、会が出来る一つのきっかけになったかなと思っています。最初は試行錯誤で、全国レベルまで行くのは色んなハードルがあったもんですから、毎月皆例会を開きながら勉強する。自分らはどんなに頑張ったって、一年一作しか作れないものですから、研究会の人がみんな集まることによって、自分の体験したことを全部皆して共有しながら、一年で何年の分の経験もできるわけです。切磋琢磨しながらいいもの作り、同じ目標に向かって頑張れる。あとこういった組織を通して、色んな人と接することができるっていうのが、これ一つの宝でないかなと思ってます。我々だけではなかなか情報発信ができない部分がありますけど、こういった研究会を通して事務局役場なりに色々情報発信して頂いて、そして我々の研究会に注目をして頂いて、そして色んな人と接することも、一つの宝かなって思ってます。
 原発事故の後、自分たち農家はなかなか専門的な放射能の部分は分からなかったものですから、吉成さんが、「ここで辞めたんなら負ける、農家がダメになっちゃう」「ここで一生懸命になって皆で作ろう」と呼びかけてくれた。それに我々は一緒になって共鳴しながら頑張ってきたんですけど、放射能をゼロにするにはどうしたらいいかっていうんで、色んな研究機関を通して、資材等、散布することによって、天栄村は福島県でも一番先かな、こう色んな資材を投入してゼロに向かって取り組んできたっていうのは、それは自負できる部分があります。仲間っていうのは大事だなって思ってます、今でも。我々仲間はこれからもずっと続けていきたいし、一緒になって頑張っていきたいなって思ってます。

:3.11の時に最初どういう思いでおられて、それからどういうことを決意されて今日までこられたのでしょうか。
:自分でも直接販売というのを長くやっていて、ある程度顧客を持って販売してたんですけど、3.11の原発事故が起きた時点で、本当に呆然としました。夢を見ているような感じで、これから本当にどうしたらいいのかなって。原発の影響でお米が売れなくて、年間通してこれくらいは販売できるだろうということで確保しているんですけど、もうその年は在庫かなり残りました。関東方面関西方面はもうほとんど注文がなかったもんですから、一生懸命になって歩いて地元の色んな食堂なり、そういった流通して下さっている地元を一生懸命歩いてどうにか収穫されたやつを、在庫をなくすことができましたけど、その思いっていうのは本当に今でも忘れられません。
 お客さんは完全に戻ってこないし、もう離れるばかりで。小さな子どもを抱えている親御さんなんかは完全に注文寄越してくれないし、今でも離れたお客さんっていうのはなかなか戻ってこないですね。でもやはりここ、それだけで、自分らは農業を追われたくもないし、やっぱり作ることによって、少しでも前に出るってことが一つの目標だったもんですから、原発の放射能のゼロを目指して皆で頑張ってきました。でもまだまだ、風評といいますか、福島県に対する見方っていうのは厳しいものがあります。今はインターネットとかで情報を得ることはできるんですけど、我々が言いたいのは、本当の正確なところを知ってもらいたいということです。そして福島県に来て頂いて、実際に農業を見て頂いて、そして自分で感じ取ってもらいたいなと。マスコミの情報から間接的に感じ取るんじゃなくて、福島県に来て頂いて、わたしたちの取り組んでいる姿を見て頂いて、感じ取って頂けたらと思ってます。まだまだ正確な部分が伝わっていないのを残念に思っています。
 そんな中で、我々を支援してくれているお客さんっていうのは本当にこれからも大事にしていきたいし、その人のためにも頑張っていいものを作っていきたいなって思ってます。

:これからの内山さんの天栄米作りっていうのは、どんなことをしていきたいとか。
:どこの家庭もそうでしょうけど、後継者ね。これが農業として生きていくには後継者が継いでもらうには、自分らが一生懸命になって頑張ってる姿、それが経済に繋がるように、後継者が継いでもらえるような形で頑張っていくのが一番あれかなって思ってます。これは、原発っていうのは一つのハードルがありますけど、それを乗り越えながら、頑張って、自分らが頑張らないと、 には伝わっていかないので、自分らが一生懸命になって頑張って、そしてやっていかなくちゃならないなって思ってます。
:最後に天栄米に一番合うおかずを教えてください。
:何も付けないで、ちょっと塩とかなんかを絡ませて食べて頂ければ、一番いいかな。炊飯した状態のお米をそのまま食べてもらいたい。あんまり加工すんでなくてね。甘みと香りと粘りと、そういったものをきちんと味わって頂ければいいかなって思ってます。といっても、お米の保管状態や精米技術、炊飯するまでの水加減など、色んな要素はありますね。まず我々は美味しいって言われる土台に乗れるようなお米を作って、消費者に食べて頂くまでのきちんとしたノウハウも、消費者にも伝えていきたいです。
 ただ作るだけでなくてね、食べるまで生産者の責任かなって思ってます。一生懸命頑張って、あぁ美味しいなって言ってもらえるように頑張りますから。もうぜひ食べてみてください。(笑)(2015年3月4日取材)
 
米のうちやまHP