熱海のとんび 第1回 観察と愛


金 井 景 子

 昨年の八月から熱海で暮らし始めた。正確には、週のうち三日東京にいて、四日は熱海にいる。休みのときは熱海にいて、必要に応じて東京に出るといった具合である。

 熱海にいて、一番嬉しいのは、ほぼ毎日のように、とんびが飛んでいるのを見ることができることである。飛んでいるのか飛ばされているのか分らないような、あの気流に乗った飛翔のスタイルと、ピーヒョロロロという呑気な鳴き声。遠目にはとぼけた風貌なのに、近くで見ると猛禽類らしい精悍な姿というのも素敵である。

子どものときからとんびを見るとなぜだか興奮して、
「とんびー! とんびー!」
と両手を振りまわして叫ぶ癖があった。その癖が、このところ、復活している。近所に人がいないのをこれ幸いと、鳴き声を聞きつけるや否や、テラスに飛び出している。

 しかし、考えてみれば、これは誰かが私に向って、
「にんげーん! にんげーん!」
と呼びかけているのと似たようなものだから、呼ばれた方も、呼んでいる方の熱さが伝わるような、伝わらないような、微妙な感じである。 固有名詞で呼ぶ関係ではないが、その一族は大好きというこの距離は、この先、偶然傷ついたとんびを飼うとか置き去りにされた仔とんびを育てるなどというドラマティックなことでもない限り、縮まらないだろう。縮まらなくても、五十年間も好きだったものはたぶん、一生、好きなんじゃないかとも思う。

 そんな私の「とんび好き」に、先月、新たなステップ・アップを促す人が現れた。「世界で一番小さな科学館」のキャッチ・コピーで五月一六日にオープンする「理科ハウス」の学芸員・ヤマウラさんである。

 私は友人のシマムラさんに誘われて、理科ハウスの館長・モリさんのお祖父さんである石原純(物理学者で歌人)の書簡整理のお手伝いをしている。モリ館長のお宅で打ち合わせを終え、帰ろうとした玄関に、理科ハウスで展示する予定の鳥のはく製がいっぱいぶら下がっていた。そこで思わず、とんびへの愛を居合わせた人々に告白したのだが、それをヤマウラさんは聞き逃さなかった。きらりと眼を光らせて、とんびの生息地や巣作りの特徴についてサクサクサクと説明し、
「熱海のとんびも、観察してごらんになると発見があって面白いと思いますよ」
と結んだのである。私のハートに火がついた。

 お読みくださる読者の方々にとっては、あまり興味のないことだろうと思うので、事情は割愛するが、私は子供のころから転校ばかりが続いたせいで、落ち着いて勉強する環境になかった。中でも理科はとりわけ積み上げ学習が重要なのにもかかわらず、宇宙の話を一学年中に二度聞いて二度ともちんぷんかんぷんだったり、メンデルの法則も化学記号もとうとうやらなかったり、種を播いた朝顔も苗を植えた稲もその結果を見たことがない。

 そうなると当然、成績も悪いばかりか、苦手意識の塊になって、たぶんそんな背景さえなかったら、一晩中でもやっていたい興味津津の化学実験なんかも、遠巻きにして、ビーカーもフラスコも振った覚えがない体たらくである。

 「理科の先生から特命を受けて観察を始める」というシチュエーションに魅了された。


 観察する→とある法則性を発見して報告する→良いところに気がついたねと褒められる

 観察する→これまでの通説に疑問を抱いて質問する→鋭い疑問だと褒められる


 いずれにしても、観察には発見と感動、そして「キミこそ明日の科学者だ!」といった評価がくっついてきて、小学生以来の名誉挽回・・・なんて妄想が湧いてくる。

 帰宅早々、観察にはまずノートだと鹿の絵がついた80円のノートを取り出し(近所に文房具屋がないので、家の傍にあるMOA美術館で販売していた竹内栖鳳の日本画がついた白帳だが、100円以下でこんなに可憐で美しい代物は近年見たことがない)、翌朝から記録をと力んでみたが、はたと困ってしまった。

 何を観察していいのか皆目分からないのである。飛んでくる連中がいつも同じメンバーかどうか分らないし、そのねぐらも不明なら、飛んでるところを見るだけでは何を食料にしているのかも判然としない。ちゃんと理科教育を受けていれば、自ずと観察ポイントは浮かんでくるものなのか、それとも初心者の観察ポイントは落語の大喜利みたいに先生がお題を出すものなのか。

 ヤマウラさんにメールして聞いてみようかとも思ったが、きっと今頃はオープン前で猫の手も借りたいくらいに忙しいだろうと思うと、
「何を観察したらいいでしょうか?」
なんてトンマなこと聞けないしなあ・・・

 というわけで、鹿のノートは一か月の間、真っ白のままである。

 対象への愛では人後に落ちないつもりでも、何をとっかかりにしたらいいのか皆目わからない――高校までの国語ではなく、文学で研究発表をすることになった大学一年生たちの気持ちが大いに解った。


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 とんびのみならず、好きなのに、どうアプローチしていいのか分らないものが、いまだに多い。

 しかし四〇代、大切な友人が病気で亡くなることが重なり、
「このまま、気になりながら遠巻きにしているうちに、人生終わったら後悔する!」
と心に決めて、歩きだしたり、飛び込んだりしたものがある。熱海に引っ越したのもその一つである。学ぶことの中にも、暮らすことのなかにも、踏み出したことはたくさんあった。

 踏み出して良かったと思いながら、そのいずれもが中途半端になっていると頭を抱えることもしばしばである。頭を抱えながらも、好きなので、時間がかかっても(というほど、残り時間が潤沢にあるかどうかは、カミサマだけがご存じなのだが)、関わり続けていきたいと思う。


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 写真は庭の植物である。さくらんぼは今朝、早速、大きな毛虫が這っていたので、これが色づく頃には葉っぱも実も、形を留めていないかもしれない。でも、しっかり見つめて、世話したい。トキワマンサクは、風に吹かれると無数の色テープのような花弁が靡いて、しみじみ、『よくまあ、カミサマ、こんな手間のかかることしたなあ』と感心してしまう。






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