熱海のとんび 第4回 沖縄の小さくて大きな学校

金 井 景 子

 今年の四月早々に沖縄から送られてきた、『学校をつくろう!通信』(第63号)の「学校の役割 その52」と題するコラムに、こんな一節があった。


 ヤマトゥの大学の教育学部の教員の方が去年のうりづん庭を2日間見学しました。「今、日本で一番面白い学校は沖縄の珊瑚舎だよ」と知人から聞いて訪ねてくれたのです。さまざまな発表を見て、生徒たちの学びに対する姿や表現の豊かさにいたく心が動いたそうです。なぜそういう学びが可能なのかを探るため、数か月後、ビデオカメラマンを伴って一週間、珊瑚舎を取材しました。今年も完成したDVDをお土産に訪ねてくださいました。うれしいことです。


 「ヤマトゥの大学の教育学部の教員」は私のことである。私に「珊瑚舎スコーレ」の存在を教えてくれたのは、劇団・黒テントで芸術監督をなさっている桐谷夏子さんだった。

 2006年と2007年の2カ年にわたって、私は「言葉の力を創生する教員養成プログラム――世界へひらく国語教育のために」(通称「ことばの力」GP)という中等教育の国語科教員を養成する大型プロジェクトに携わっていて、ほぼ毎週土曜日、特別講義や講演会の企画・実施をしていた。

 その講師の一人であり、長年公私にわたって敬愛する桐谷さんが、打ち合わせの最中に突如、
「ことばの教育って言うけど、本気で、根源的なことを考えたいんだったら、珊瑚舎に行きなさいよ」
と言うやいなや、いきなりバッグから携帯電話を取り出し、沖縄に電話をかけてくださったのがことの始まりであった。

 私はうっかり屋でおっちょこちょいの早合点、そのくせ原稿は遅いし誤植も再々見逃すという、どうやって今日まで教員や学者を続けてこられたのかと我ながら呆れる、落第坊主もいいところの人間であるが、一つだけ、自分でもびっくりする特技がある。

 それは、
「裂帛の気合で勧められると、即座にその申し出に乗れる」
という特技である。

 あの時、「珊瑚舎」という学校が日本のどこにあるのかも聞かないうちに、もう行く気になっていた。

 ちょうど卒業式と学芸会を兼ねた「うりづん庭(うりづんなー)」の開催直前だったので、お願いして出席させていただいたのだが、あのときの驚きは、いまも新鮮に蘇る。

 10代の半ばから80代までの、さまざまな自分のからだと自分のことばを持った生徒さんたちが、銀行の二階に間借りした小さな小さな学校から、溢れ出しそうだった。
『にんげんが、いる』
としか言いようのない迫力があった。

 そこで校長の星野人史さん(珊瑚舎では生徒も保護者もみんな、彼を「ホッシー」と呼んでいる)に、こうした成果を引き出す授業を、ビデオに撮らせてほしいとお願いしたのである。

 ホッシーはすかさず、
「授業を一つや二つ撮っても、たぶん理解できないと思うから、金井さん、珊瑚舎に一週間、体験入学したらどう?」
と勧めてくださり、そこで私はまた、例の特技を出したわけである。

 あの忙しい中、どうやって沖縄行きの一週間を捻出したのか、今となってはまったく思い出せない。東京を立つ前と戻ってからは、逃亡と自首とが一緒になったような、無我夢中の後ろめたい感じで、ほとんど記憶がない。しかし、公設市場にほど近い浮島通りにある、陽のささない(でもとびきり朝食が美味しい)宿屋から、蜘蛛手のように路地が広がる商店街を抜けて、仏壇通りをてくてく歩いて与儀の十字路まで通った、あの一週間は天然オールカラーである。

 毎日深夜まで、カメラマンの佐藤申之介さんと綿密な打ち合わせをし、中等部・高等部・専門部・夜間中学の授業と片っ端から食らいついた。夜には許しを得て、学生寮の中や、講師の先生がオーナーをされているライブ・ハウス(音楽の授業を担当されているのは、沖縄ジャズ界をリードしてこられたピアニスト・屋良文雄さん)にもお邪魔した。

 珊瑚舎では、毎週金曜日に、佐敷町の山を先生と生徒たちの手で開墾して、学校を建設中(「山がんまり」という総合学習の時間になっている)なのだが、一緒に作業をさせてもらった。かまど作りのために土を捏ねているうちに何やら無性に嬉しさが込上げ、涙をこらえるのに必死だったことや、その日の午後にはハーリー(沖縄では春から夏にかけて、各地で手漕ぎ舟のレースが開催される)の練習にも参加させてもらい、馬天港に響き渡る鉦に合わせて櫓を漕いだ感触が、つい昨日のことのようである。

 カメラマンの佐藤さんが仕事の関係で二日先に帰京したので、その後は私のカメラのみで乗り切らねばならなかったのだが、二台回していたカメラの一台が、野外の気温上昇(沖縄の梅雨明けの直射日光は過酷である)にやられ過熱して使えなくなったり、撮れているはずのハーリー練習の声が風の音にかき消されていたりと、自身の未熟さに歯ぎしりすることもあった。

 戻ってからの膨大なテープ相手の編集作業では、珊瑚舎に惚れこんでしまった佐藤さんが、しつこい私の注文に惚れた弱みで最後の最後まで応えてくれ、感謝の気持ちでいっぱいであった。

 このドキュメンタリ・ビデオ(星野先生の授業まるごと60分と、珊瑚舎の一週間を追ったドキュメンタリ60分の2本)は、今年からスタートした「授業技術演習」で教材に使わせていただくほか、11月29日(土)に企画している星野人史さんの講演会(早稲田大学で行う予定)でも、学校のドキュメンタリの方を上演する予定なので、この随筆をお読みいただいている皆さんにも、お時間があればぜひ観ていただきたいと思っている。改めてご案内をする予定である。

 完成版DVDを持参して伺った、2008年の「うりづん庭」も、前年度に増して充実したプログラムだった。中でも特筆したいのは、「まれ人講座」と題するゲスト・コーナーである。今回のテーマは「仲間と自分と音楽作り」。沖縄を拠点に活躍するTHE BOTTLENECK BANDが出演した。ちなみに沖縄のイベントカレンダーとして人気のあるサイト「箆柄暦(ぴらつかごよみ)」ではこの企画について、

「珊瑚舎スコーレの生徒・学生・講座参加者と交流する会。ボトルネックバンドのライブ&対談。まずあり得ない企画。」

と紹介している。

 全く、珊瑚舎でしか「あり得ない」、ものすごい企画であった。何がすごいかというと、演奏しているTHE BOTTLENECK BANDのメンバーが、どんどん「生徒・学生・講座参加者」に近づいてきて、彼らの目と耳になって弾き、歌ったことである。

 「うりづん庭」の会場を埋める80人ばかりの人のうち、半分くらいは夜間中学の在校生や卒業生である「おじい」や「おばあ」たちである。THE BOTTLENECK BANDはいつものライブのように大音響で演奏を始めたのだが、そこまで大きな音に慣れていないおじい・おばあたちは戸惑ってしまい、どう反応したらいいのかわからない様子。その雰囲気が若い生徒たちにも伝染するのか(昼間の生徒さんたちは、夜間に学ぶ大先輩たちのことを、常に気遣っている)、ノリノリになり切れないでいる。

 そこへ、ホッシーが漫画の吹き出しみたいに脇から登場して、
「音がね、ちょっと大きくてびっくりかもしれないけど、耳で聞かないで、からだ全体で聴くと、だんだん気分が良くなってきますよー」
と、岩盤浴か磁気マットを販売するセールスマンみたいな解説をする。

 先生の言うことに応えようとする真面目な小学生みたいな感じで頷く彼らに、今度はTHE BOTTLENECK BANDのボーカルが、
「えーっと、今度の曲も最初の方でちょっと大きい音出ますけど、大丈夫ですかね?」
と念を押し、弾き始める。

 何曲か進むうちに、途中で立ち上がるおばあたちがいたので、私は内心、
『やっぱり、音に耐えられないのかなあ』
と心配して見送ったら、なんと、会場の後方の空きスペースで、カチャーシーを踊りだしたのである。そうなればもう、「一号線」も「どんなにこの街がかわっても」も、尖ったトーンがどんどん丸くなり、しかし深くなり、リズム&ブルースはやがて島唄になってくる。

 バンドのメンバーがその変り方をどう受け止めたかは知る由もないが、「まれ人講座」のテーマである「仲間と自分と音楽作り」は見事にワークショップとして実現されていた。これを書きながら、ふと思い立って、ネットにあがっている彼らのCDを改めて視聴してみたが、私にとってはあの、「どんなにこの街がかわっても――島唄バージョン@珊瑚舎」こそが、自分も関わった一曲である。

 珊瑚舎には「ここうた」というのが幾つかあって、「ここ一番に歌う歌」を省略してそう呼ぶらしい。THE BOTTLENECK BANDの歌が「ここうた」になるには、この後、たくさんのドラマが必要だろうが、なかなか楽しい第一歩を踏み出したと思う。あんなに呼ばれた講演者がたくさんのものを持って帰る講演会――珊瑚舎以外にはあり得ない。

 それから書き添えると、珊瑚舎の夜間中学は、沖縄県唯一のもので、これまでは修了すると県内の定時制・通信制学校の受験資格が得られるというものだったが、この4月からは正式に卒業証書が発給され、日本全国どこの高校でも受験できるようになった。

 沖縄の戦後の、厳しい生活の中で、学ぶ機会を奪われながらも、ようやく思う存分勉強できた喜びで「うりづん庭」にカチャーシーを踊る人たちが、この先、もっともっと増えることだろう。


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 さくらんぼが無事に実って、私のお腹の中に消えたのは、一ト月も前のことである。ちょうど食べごろだと思った日の朝、半分以上、鳥たちに食べられてしまった。悔しいよりもその気配を消したしごとぶりがあまりに見事で、感心してしまった。こんなふうに空に差し上げていたら、そのうちウミネコみたいに手のひらから食べるようになるかもしれない。

 花菖蒲は、蓬と同じふるさと、上野から来た。飯沼定子さんが送ってくださったものである。切り花ではアイリスを使うことが多かったが、在来種は花がぽってりしていて懐かしい。「眼で触れる」感触である。







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