熱海のとんび 第5回 私という皮袋

金 井 景 子

 「先生、ふかひれの姿煮なんかをどんどん食べたら、治りが早いでしょうか?」
「ははは、お金、かかりますね。でも、今は中華料理屋さんに行くより、家でじっとしていてください。」
「コラーゲン、破れた腱が修復されるのに効果あるかなと思って・・・」
「とりあえず、お肌には効果あるでしょうけど、足への即効性はどうかなあ。」

 9月29日午後5時27分に、高円寺健心接骨院で私が担当の先生と交わした会話である。

 先生はゾウのように腫れ上がった私の左足の甲を指で押して、
「ほらね、押したらぜんぜん元に戻らないでしょう? 腫れている上に、浮腫みもかなり来ています。まず腫れと浮腫みを取るのが先決で、それには固定して動かさないことです。 えっ?・・・週末は熱海で農業したい? 早く治したいなら、ありえません。」

 接骨院の先生から説教される破目に陥ったのも、後期授業が始まる4日前、近所の坂道で転倒し、左足の足首が内側にぐるんと返ってしまったせいである。
『またやった・・・』

 近くは二ヶ月前の7月上旬に、大学の構内で足を踏み違え、七月末まで足を引きずっていた。あのときの捻挫が完治していなかったらしいのである。なお、遡れば38年ほど前、中学一年生のとき、部活(体操部でした)で床運動の着地に失敗し、捻挫したのが最初である。あの時は3ヶ月近く、足を引きずっていて、結局体操部は退部することになった。

 今回はあの中一のときの衝撃に近いものがあった。ましてや、私という皮袋は半世紀以上経った年季モノになっているから、治りは遅いに決まっている。

 接骨院の先生には、
「ここで、ちゃんと治しておかないと、これから頻発するようになりますよ。」
と断言された。

 なんでも、腱というのは、痛めて襤褸切れ状態になっていると、痛みが去っても機能は回復していないそうである。素人は痛みと腫れが引くと、そこで治ったと思い込むが、腫れが引き、痛みが取れたら、そこからきっちりとリハビリし、そのうえで適度な運動を継続して関連する筋肉を補強するところまで漕ぎ付けないと、加齢とともに疼痛が出たり、転倒を繰り返すという。

 私が暮らす熱海は、海に山が迫った傾斜地で、坂や階段が多い。ことに私の家は「伊豆山」という地名通り、山から伊豆の海を見下ろす地形で、急傾斜の場所に三階建てを建てている。今から足にウィークポイントを抱えていては、私が三度のゴハンよりも好きな散歩が、恐々になって楽しめなくなってしまう。

 なかなか引かない痛みと、ただ歩いていて転び、こんな大事になってしまったことのショックで、捻挫した直後はけっこう凹んでいたのだが、
『今回は徹底的に直す!』
という決心をしたら、自分がなんだか松井か清原にでもなったような気がして、人生のマラソン・ランナーとしては往路よりも復路こそ踏ん張りどころだとばかり、ものすごく優等生の患者になった。

 先生には笑われたけれど、食事も手羽先の煮込みや丸ごとの煮魚など、コラーゲンをかなり意識して摂取し(おかげで、本当にお肌の調子は良いようです)、足が無理ならこの際にと、腹筋を鍛えたりしている。

 身体が自由にならなくなると、不思議に身体のことを考えている時間が多くなる。そこで今回は、私という皮袋についてちょっと考えてみることにした。


 今までにこの皮袋にメスを入れたのは、二回。

 一度目は声帯にできたポリープの切除手術で、39歳のとき。また、書く機会があるかと思うが、ライフ・ワークの一つである朗読に本気で向き合う契機になった体験である。

 二度目は胆嚢と胆管とを切除する手術で、44歳のとき。永年苦しめられていた胆石(私の場合は正確に言うと、石の塊ではなくて砂がいっぱいに詰まる胆砂)との付き合いがとうとう限界になって、しぶしぶ決断した。
『胆嚢を切除さえすれば、胆石に悩まされる前まで好物だった、うなぎもてんぷらも食べ放題!』
と夢想していたのだが、うなぎとてんぷらを食べる前に、術後ほどなくギックリ腰になった。それをきっかけに、立派な腰痛持ちとして今日に至っている。とはいえ、腰痛を克服しようと、ヒップ・ホップやフラといったダンスに挑戦したことを思えば、腰痛も次の楽しみを連れてきてくれたことになる。

 手術したのが半世紀にたった二回で、今もこうして元気(腰と左足首の腱はガタガタ・ボロボロであるとはいえ)でいる。そのことに、誰に御礼を言ったらいいかわからないけれど、深く感謝している。


 皮袋の中でも一番露出していて、人目につきやすいのは、顔だろう。これまで顔を皮袋の一部として考えたことはなかったが、改めて意識しなおしてみるに、私がこのパーツに、さほど囚われないで来られたことは幸せだったかなと思う。

 誰がどう見ても美人の部類ではなく、欠点だらけの造作なのに、親を恨んだり整形したいと思い詰めたことがない。なぜかと考えると、周りの大人たちがこの点に関しては本当の意味でオトナで、顔の造作について云々する冗談を言わなかったし、外で何か言われてそのことを家で話すと、そういう当人が自分ではどうしようもないことをあげつらって言うヤツは、下らなくてはしたないから相手にするなという反応だけが返ってきた。そういう反応に始終接していると、自分の顔も他人の顔も、造りを過度に気にすることが無意味なことに思えてくる。(ただ、元気がない顔をしていると、元気を出せとどやされた。私をどやした親族の半分以上がすでに鬼籍に入ったが、歳を重ねるに従い、いつも元気な顔でいることの大変さと大切さに思い至り、とてつもない宿題を出されたものだと考えるようになった。)

 ただ、顔の造作を気にしない教育には功罪両方があって、もう少し自分の顔を気にする習慣が身についていたら、ヘアスタイリングやメイクに真剣に取り組んで、効果を上げたかもしれない。私は、スタイリストやメイクアップ・アーチストが素人の視聴者を変身させる番組コーナーが大好きで、あれこそ現代の魔法だと思っているので。


 魔法といえば、私も一度だけメイクの魔法にかかったことがあった。ニューヨークのハーレムに暮らしているとき、125丁目の本屋さんのイベントで、『ヴォーグ』専属のメイクアップ・アーチストにお化粧をしてもらい、世界的に有名な、ハーレム在住のファッション写真家に写真を撮ってもらうという企画に参加した。その写真家の出版記念のイベントの一環だった。

 本屋さんで本を読んでいたら、右のコーナーに、にわかに人だかりがし出して、何だろうと寄って行くと、
”Join us!”
という明るい声とともに、列に並ぶことになった。いつもは本屋の店員さんたちが、その日はお客さんたちに声がけをしていたのだが、彼女らの満面の笑顔に、きっと良いことが起こるような気がして、アフロ・アメリカンの女性たちに混じって順番を待った。

 前に並んでいる女の子が、
「ねえ、わたしたち、すっごくツイてるわよね!」
と言うので、嬉しさのテンションも上がる。

 東京ではデパートの化粧品のフロアでメイクしてもらう経験もめったにないのに、やっぱりサバチカルで心に余裕と弾みがあったのかもしれない。

 鏡に向かって坐ると、メイクさんが私の肩口から顔を出して、鏡に映る私の顔を穴が開くほど凝視した後、何の迷いもなく(プロというのはそうしたものだろうが)作業に取り掛かった。ファンデーションはいつも使っている色より濃い小麦色である。糸のような一重まぶたの目だから、アイラインやシャドーをきっといっぱい入れて、豪華なパンダみたいになるのかなと思っていると、目じりに赤い色を挿しただけ。前髪をすっきり上げて、やたらにおでこを念入りにはたいている。頬紅は京劇の役者よろしく派手に塗ってあるのに、口紅は淡いオレンジで、強いて言えば仮面劇のお面みたいな感じ。凹凸を重んじてセクシーさを演出する、ハリウッド風の「女優メイク」の真逆であると私には思えた。出来上がったと言われても、正直、ぜんぜんピンと来なかった。しかし、メイクさんは鏡の中で、『やったわよ!』という会心の笑みを浮かべて頷き、私を撮影に送り出した。

 撮影する段になって、もっと驚いたのは、笑顔を禁じられたことである。写真を撮るとき、いつもの習い性で曖昧な笑顔を浮かべると、私の名前を聞き返して、「ケイコ、笑顔はいらないから、レンズを睨みつけろ」という。シャッター音を聴きながら、どんどん睨みつけると褒められるという、予想もしなかった展開になった。

 2日にわたって本屋さんを訪れた女性たちを撮った二百枚以上の写真は、その二週間後に、「ハーレムの女性たち」というタイトルのもと、一枚の大きな写真にコラージュされ、本屋さんの真ん中のボードにしばらく飾ってあった。圧倒的に多いアフロ・アメリカンの女性たちの写真の中に、東洋人の自分の顔を探すのは訳ないと思っていたら、これがなかなか見つからない。没になったのかしらんと、もう一度端から見直して、ビックリした。左の中ほどにあった「私の顔」はこれまでまったく見たこともないような面構えで、当人が「初めまして」と言いたくなるような不思議なものだった。印象はハクビシンやイタチのような、はしっこい野生の小動物のようで、面白くて怖かった。

 『ヴォーグ』風=モデルか女優のような仕上がりという紋切り型の想像は軽々と蹴飛ばされて、私の中にある別の顔が引っ張り出されたとでもいう体験だった。その顔に馴染めるかどうかは別問題だけれど、大人になるのと引き換えに奥のほうへ仕舞い込んでいた顔のような気もする。

 皮袋が草臥れてくればくるほど、曖昧な笑顔は作りやすくなったが、あの野生の小動物のような面構えができるかどうか――今後、どういうおばあさんになるかの計画に影響を持ちそうな、ちょっと楽しみな体験でもあった。


 もう一つ、顔以上に頼りにしている皮袋のパーツは、両手である。思い切り広げても、ピアノの一オクターブにちょっと届かないくらいの、身体の割には小さな手であるが、この手でパソコンを打ち、庭仕事をし、料理や縫い物、掃除をする。猫も撫でる。この袋は、寝ているときのほかは休むことがなく、動き続けている。

 この一年、魚を捌く修業をせっせとしたが、魚のおなかに包丁を入れてワタを出すときいつも、
『魚の皮袋を裂いている』
という感覚を抱く。裂いている感覚が、押さえている左手と、包丁を握る右手に来る。きっとこの先、修業を積めば、もっと多くのことを、両手を通じて受け取れるようになるに違いない。

 料理で言えば、足が動きづらくなると、作るテンポやリズムが崩れることも解った。水周りから火の側への横移動や、軸足で小回りを利かせるピポットの動き、調理器具や調味料、食器を出し入れするために、屈んだり伸び上がったりと、無意識に行っていた動きは極めて複雑だ。これが複数の職人が時間との戦いで料理を作る厨房ともなれば、手が遅いのと同じくらい、テンポやリズムがとれない人間は邪魔になるだろうなとも思う。

 皮袋の中に骨と肉と血と内臓がある。そしてそれらに指令を出す、脳がある。心はどこにあるのだろう――そんな、子どもの頃ならしょっちゅう考えたけれど、大人になったら棚上げしていた根源的な問いが、このごろ自分の思考の引き出しの手前に入っている。


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 庭は秋に入った。今はずいぶん様変わりしているが、それはまたの機会に。

 夏の終わりに私のハートをわしづかみにした、野菜の花・ズッキーニと果物の花・パッションフルーツ。ズッキーニの花はピザのトッピングにすると美味しいと教えてくれた人がいたが、シーズンが終わったのでまた来年。パッションフルーツは別名・果物時計草というのだそうである。花が開く前のつぼみのときから、蜜をいっぱいつけていて、アリたちのカフェになっていた。

 えだまめとナスは可憐な花は咲いたのに、なぜか惨敗した。

 島唐辛子はこの頃になって、実をいっぱいつけている。運動会が終わったのに、また夜の運動会が始まったみたいで、愉快でたまらない。





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