熱海のとんび 第13回 六年目の熱海

金 井 景 子

時が経つのは早いもので、熱海に引っ越してから6回目の秋を迎えた。



義父が亡くなり、東日本大震災が起こり、義母が亡くなった。2人のお骨の一部を分骨して、熱海沖に納めた。そのことで毎日眺めていた目の前の海が、「父母のいる場所」として、より一層、身近に感じられるようになった。


健康面で言うと、義母を送った直後から、右肩を約8ヶ月、左肩を約11ヶ月、「五十肩」の激痛に見舞われた。どちらも初期の頃は夜間痛がひどくて、上向きに寝られず、ベッドに腰をかけてぼーっとしていた夜が幾晩も続いた。
老いの階段を降りている(昇っている?)実感があった。庭仕事は大好きなのだけれど、一昨年と昨年は、肩が痛すぎるときに、「熱海シルバー人材センター」のオジイさま軍団に真夏の草取りをお願いして、2度とも、なめるように庭を綺麗にしてもらったが、丹精した数々のハーブ類(オジイさま方から見ればただの雑草)も行方知れずとなった(こぼれ種から、翌年も生えてきたのではあったが)。

もともと魚や野菜が好きで、それらを貪欲に楽しもうと熱海にやってきたのだが、6年間で何匹くらい魚を食べたかなあと思い返してみると、ちょっと殺生が過ぎたかな・・・と反省する位、いただきました。鰹とか鱸くらいまでの大きさの魚ならさばけるようになったし、獲れたての鰯でアンチョビもこさえている。

野菜は、熱海からクルマで20分くらいのところにある丹那盆地に、師と仰ぐ神尾タケ子さんという名人がいて、ずっとその方の野菜をいただいているので、わが細胞はすべて神尾師匠作の野菜によって成り立っていると思う。
むろん、まだまだ少量ではあるが、庭の野菜たちも食卓を賑わしてくれるようになった。


この間、熱海の街はというと、延々進行中だった駅前のロータリーの大規模工事がようやく完成しつつある。駅の改札を出たらすぐにあったタクシー乗り場が、探さないと見つからないような足元も危ないところに移動し、半世紀生きてきて「生活を不便にするための公共工事」というものがあることを知った。
日照権や騒音の問題で揉めた、目の下に見える熱海中学の校舎増設(生徒の数が減って、小嵐中学と合併することになった)も終了した。
小嵐中学が校区だった生徒たちは、40分以上かけて急な坂を登校して来ることになる。彼らにしてみればこれも、生活を不便にする公共工事であろう。


やはり目の下にある桃山小学校は、ただでさえ少なかった児童数がこの6年でみるみる減少して、また別の小学校と合併する話が浮上している。今度はどこの小学生たちが不便になるのだろう。
思い出すのは引っ越してきた年の秋、運動会の企画を担当している先生がジャニーズ好きらしく、入場行進の練習曲がジャニーズ・メドレーで、曲のところどころで、間の手のようにマーチング練習をしている小学生たちが「おー!」とか「やー!」とか叫ぶのが面白かった。いつだったか一人で渋谷を歩いているとき、同じ曲が流れてその箇所が来たときに、「おー!」と声を出した自分に驚いたことがある。
身体動作を伴う音楽の刷り込みの怖さを思った。ここいらで、工事関係は一段落と願いたいところであるが、駅ビルを立て替え工事がほどなく始まるので、また2、3年はガタガタすることだろう。


めったに熱海市の市役所ホームページなど見たことはないのだが、人口のことが気になってアクセスしてみると、こんな分析結果が記されていた。

熱海市は、平成22年国勢調査の結果で、高齢化率(65歳以上の人口割合)が38.8%に達し、日本の30年後の姿となっています。しかし、昭和30年代・40年代には、その構造は全国・静岡県と大差がなく、逆に低いくらいでした。

そしてこんな記述もあった。

熱海市の人口は昭和40年にピーク(54,540人)を迎え、その後減少傾向にあります。人口構造は、昭和40年と平成22年とを比べると、15歳未満人口(年少人口)の割合は 19.2% から 8.1%に、15歳から64歳人口(生産年齢人口)の割合は 71.1% から 53.3% に減少するなど大きく変化し、高齢化率 38.6% の超高齢社会をはるかに上回る都市となっています。

 そうか! 熱海は超高齢化社会の先端を突っ走っている「未来都市」だったのだ。この6年でじっくりと「老人力」を養いつつある私にとって、「未来都市」の主役になる日が待ち遠しいような気持ちになるから不思議である。



「未来都市」で10年後にはやってみたいと考えている夢を書き付けておく。

美味しい料理とお酒、歌、踊り、おしゃべりでいっぱいの、上演映画を一本も観なくても楽しめる、映画祭を開催すること(誰かが主催してくれるようだったら、ほんとうのところは、そのお手伝いの方が、なお、嬉しいけれど)。


そして、20年後にはやっている自信があること。

我が家をキーステーションとした、ラジオ局。
名称ももう、決めてある。
「鉢アラクラジオ」(注・「鉢アラク」とは、我が家の昔の住所に記載されていた字(あざ)の名前)。

つい先日、「もしかしたら、熱海に引っ越してみたいかも」という友人が現れたので、相方と2人で、精一杯、熱海の良いところの宣伝に努めたつもりだが、果たして彼の決断やいかに。



私の大好きなとんびは、6年前と変わらず今日も、熱海の空を、暢気そうに大きく大きく弧を描いて飛んでいる。




「今年も実った甘夏の実」




「暮れのトンビ」

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