月刊CAMPUS NOW 2002年4月号 Close-Up より転載

教育学部教授 金井景子

 

 

<プロフィール>
 
かない けいこ 1957年大阪生まれ。
早稲田大学大学院文学研究科博士課程後期満期退学。小学生向けの塾講師をはじめ、中学、高校、大学、専門学校、社会人向け講座など、さまざまな場所で「国語」と「文学」を教えてきた。亜細亜大学教養部助教授を経て、99年より現職。
専門:日本近・現代文学、ジェンダー論。著書に、『真夜中の彼女たち―書く女の近代』、『女子高生のための文章図鑑』、『男子高生のための文章図鑑』(いずれも筑摩書房)、『ジェンダー・フリー教材の試み』(学文社)などがある。趣味は猫の飼育と稲作。

文学との幸福な出会いを導き出す

とかく若者の「活字離れ」が叫ばれる近年、無理に活字と向き合わせるのではなく、文学との幸福な出会い方を模索して、「ジェンダー」や「朗読」などをキーワードとしながら、様々な試みを実践している金井景子さんにお話をうかがいました。


−文学とジェンダーとの出会い−

●ご専門の日本文学を志したきっかけは。

 本を読むことが好きだったのが一番の理由でしょうか。本を読む楽しみは自分が別の「あるもの」になる楽しみでもあります。別の自分を生きられる。でも同時に、本の中で出会う人は、モデルとなることがある。つまり、フィクションの世界で、別の人格を生きることもできるけど、未経験のことをあらかじめ学習してしまって、それを現実の世界でなぞらえ人生設計してしまうという両面があるということを、子供の頃から考えていました。

●なぜ文学にジェンダーの視点をとり入れたのでしょう。

 ジェンダー(社会的・文化的性)という学術用語に出会い、性というのは最初から決められているのではなく、作られるものなんだ、ということがわかった瞬間、今まで考えてきたことが、「解明していく森を抱え込んでいる」という感じにスイッチしました。自分で引き受けている性と違う性を生きることをフィクションの中で追体験する。しかし同時に、フィクションの中で自分の性ってこんなものだと、狭く小さく学習してしまうような、悲しさ、窮屈さ、といった両面があったんだ、と思ったんですね。ジェンダーっていう言葉を獲得して以後、文学に向き合って、その両方を解明していくことはとてもおもしろい、といったコペルニクス的展開が私の中で起こったんです。そして、ジェンダーの視点から見ると、日本文学は、まだまだいろいろなことが言えるし、言わなきゃいけない、と感じたんですよね。

●実際にジェンダーの視点から文学を考えるとはどういうことでしょうか。

 文学作品に女性差別的表現が出てきたりします。その作品が書かれた当時の社会からすると当然の表現なのですが、ジェンダーという視点を獲得したとき、男女の問題や階級性の問題を発見できます。でも一方、教科書に載せる際に教育的配慮を過剰にして、差別的な表現をカットするということも起こってきて、私はこれをとても疑問に思いました。今の子が間違った考えを学習してはいけないからその表現を削るというのが、果して本当に歴史的な言説を伝えることになるのか、あるいはジェンダーフリー教育に資することなのかと。差別的表現をあらかじめ排除して見えなくしてしまうのではなく、きちんと俎上に乗せた上で、生徒たちが学ぶときに、そこにはらまれている問題を教師が促し役になって一緒に考えていく形でなければいけないと思うんです。
 私自身は、「文学の届け方の専門家」でありたいと思います。一つの作品がその時代を背負って、作家のキャラクターやその関連で生み出されてきたとき、次の世代に手渡すにはどういう付録をつける必要があるか、どういう形で伝えることが、今の時代の人のハートに届くことなのかを、ジェンダーを視点に考えていきたいですね。


−ジェンダーは「気付き」の学問−

● 学生の受け止め方はどうですか。

 ジェンダーの問題については、全く意識してこなかった人から、聞かされ過ぎて逆に反動的になってしまう人まで、学生によって個人差があります。ジェンダー研究は、一方的に受け取るのではなく、自分も発信していく双方向の関係の中でお互いに気付きあう学問です。だから、見えなかったものが見えてくる、とてもおもしろい経験を誘発してくれる学問領域なんですが、知識注入型の教育の枠組みの中で学んでくると「結局は男女差別はいけないってことでしょ?」と結論ばかり急いで、自身に問い直すことがお留守になってしまうんです。「良い悪い」ではなく、「なんで」が第一で、なぜそうなるかのシステムの問題に気が付けば、あとは自分がどう振舞うか、判断するかなのですが。
 10年以上ジェンダー論や女性論的視点を入れた文学の授業をやってきて、興味深いことに、ここ2〜3年、男子学生の受講者が急増しています。男であれ女であれ、ジェンダーの問題に真摯に向き合おうという学生が増えているのはうれしいことです。女性と同様、男性も規範の中で生き辛さを感じているのかもしれません。そのことを自分の資質の問題ではなく、システムの問題だと感じ始めているのではないかと思います。


−語りや朗読の持つ力と可能性−

●授業などでゲストスピーカーを招いて語ってもらうこともされていますね。

 「声の物質性」と言っているんですが、ある作品やある問題を語るのに適した声というのがあると思います。フェミニズムやジェンダー論は女性教員を中心にやってきたし、この流れは続いていくとは思うんですが、男子学生に「男らしさの神話から脱却しよう」と私が訴えるより、実際に専業主夫になって子育てを体験してという男性が語りかけるほうが、100時間の授業よりも浸透力が高いんですよね。
 これからの教育は誰から伝えられるとより浸透しやすいか、素直に受け取れるかという、クオリティのレベルにも関心が向けられるのではないでしょうか。

●今度新たな朗読会を開催されるということですが。

 この5月から、昼休みの時間を利用して朗読を聞く「よむよむ座」というのをやるんです。「朗読」というと語る技を磨くと思われがちですが、むしろ「聞く」ことの重要性を大きく取り上げたい。良い聞き手は良い語り手になります。人の語りを引き出し、その人の良いものを引き出すような聞き手になるということは、語る技のレベルを上げていくことと同じように必要です。だから、「よむよむ座」も上手な人を呼んできて、みんなで鑑賞をするというより、むしろ聞いた後でどういう助言をするともっと朗読が届くものになるか、感想を書いてもらう、語ってもらうということをやって、朗読した側の人も活かしていけるようなことを考えています。


<インタビューを終えて>

金井先生は、良い語り手であるのはもちろん、やはり聞き上手ではないでかと。今回はインタビューする側でしたが、ついついいろいろとお話ししたくなる雰囲気があります。学生たちも、きっとそんな先生を慕っているのでしょうね。

 

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