古代アテネのアゴラ

 


































 「『アゴラ』というのは、都市の政治、経済、社交生活の中心をなしていた場所のことで、そこには神殿や官衙をはじめ、公共建築物たち並び、あちらこちらには美しい彫像も立ち、また涼しい蔭を落す並木も植えられていた。

 さらにそこには、立派な柱廊(ストア)があり、人びとはその中を歩いたり、その石段に腰を下ろしたりしながら話し合って、社交生活をたのしむことができた。

 しかしそれだけではなく、この場所はまた商業上の中心地にもなっていて、その周囲にはあらゆる種類の商品を売る個人商店がたち並び、またあたり一面には田舎からの露店も出て、特に正午前の二、三時間は、買物客―買物は男や男の召使の役目であった―などでごった返した。

 ソクラテスが常にこの場所に姿を現わして、そこを談論の恰好の場所としていたことは、クセノボンの『ソクラテスの思い出』(1巻1章10節)、プラトンの『ソクラテスの弁明』(一七C)などによっても知られる。」

               (以上、加来彰俊訳プラトン『ゴルギアス』訳者注)

(写真奥の白い建物は、ヘパイストス神殿。)




































 古代アゴラよりアレオパゴスの丘を望む。



































 アゴラは、北西の神聖門から入ってアクロポリスに至る主要道路を取り巻く位置にあった。したがって、アクロポリスも、アレオパゴスも、民会の開かれたプニュックスの丘も見上げることができた。



(写真は、『THE ATHENIAN CITIZEN DEMOCRACY in the Athenian Agora』(AMERICAN SCHOOL OF CLASSICALSTUDIES AT ATHENES)P.2による。)




































 アテネの最高意思決定機関は、民会であるが、18才以上の男子市民にのみ参政権が認められていた。

 この民会に提案する議案を準備するのが評議会(ブーレー)で、アテナイの10の部族(ピュレー)の30歳以上の男子市民から、50人ずつ、任期1年、生涯に2度のみ、くじで選ばれた500人で構成されていた。

 1年を十期に分け、くじの順番で、各部族の50人ずつが交代で、当番評議員(プリュタネイス)を 務めていた。

 アテネの最高位の役人であったアルコーンも、裁判員もくじで選んでいた。その職務の特殊性から選挙で選ばれた「将軍職」ですら、10人同僚制のうえ、年に10回、民会で出席者全員の挙手による執務審査を受ける定めであった(伊藤貞夫『古代ギリシアの歴史 ポリスの興隆と衰退』(2004年、講談社学術文庫)P.229)。















































 上は、B.C.400年頃のアゴラのモデルです(『THE ATHENIAN CITIZEN DEMOCRACY in the Athenian Agora』(AMERICAN SCHOOL OF CLASSICALSTUDIES AT ATHENES)P.2による。)

 「部族英雄記念碑」には、10部族のそれぞれの名付け親となった英雄たちの像が並んでおり、その下に役所の通知などが張り出されていた。

 「ブーレウテリオン」は、評議会の建物で、原則として毎日、上の500人が集まって、民会に提出する議案の準備に従事した。

 「トロス」は、円筒形の建物で、プリュタネイスが詰めた本部であった。24時間勤務体制で、アテネ民主制の心臓であったと言われている(『The Athenian AGORA a short guide to the excavation』(AMERICAN SCHOOL OF CLASSICALSTUDIES AT ATHENES 2003)。「メトロン」は、神々の母の聖地であると同時に、ポリスの文書類が保存されていた。  

 「ヘリアイア」というのは、裁判所で、古代アテネでは、6000人の中から、そのつどくじで選ばれた数百人の裁判員で構成されていた。ソクラテスに対して、第1審では、280対220票の差で死刑の結論が出されたが、2審で、むしろ、国家に貢献した自分はプリュタネイオン(遺跡、未発見)で国家から食事を提供されてしかるべきだと弁明したため、反発した、さらに多数の裁判員が死刑に賛成したと伝えられている(クセノフォン『ソークラテースの思い出』)。

 































パンアテナイ祭通。パンアテナイ祭は、「アテナ女神の大祭典」の意味で、アテネ最大の祭であり、4年に一度行われた大パンアテナイ祭と毎年の小パンアテナイ祭があった(アリストテレス『アテナイ人の国制』(村上堅太郎訳、岩波文庫、1980年)注P.226)。






























 ヘイパイストスの神殿。ドーリア式で、よく保存されている。

 ヘーパイストスは、 ギリシアの火と鍛冶の神。ローマのウルカーヌム(volcanoの語源)。ゼウスとヘラの子。

 『イリアス』の中では、ゼウスとヘラが天上で喧嘩した際、ヘーパイストスが仲介に入ったところ、怒ったゼウスが彼の足をつかんで天上より投げおろし、彼は丸1日落下しづけてレムノス島に墜落し、そこで助けられたとある。また、『イリアス』には、トロイ戦争をめぐってゼウスとヘラを再び仲裁する話が書かれている。

 オリンポスの神々の宮殿はすべて彼の作ったものといわれる。ゼウスは美しいアフロディーテ(ヴィーナス)を彼に与えたが、アフロディーテは、軍神アレスと浮気したので、彼は見えない網を作り出し寝台に仕掛けて二人が寝ているところをとらえ神々をよび寄せて恥をかかせたという話が『オデッセイア』に出てくる。  アテナに恋したがとげえず、その折にアテナの脚にまかれた彼の精液が大地に落ちて生まれた子がアテネの伝説の王エリクトニオスである。

































 アレオパゴスの丘から見たアゴラ。右は、出土物を展示する古代アゴラ博物館。




 

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