● アテネ プニュクスの丘とオリンピア・ゼウス神殿



























 古代アテネのエクレシア(民会)が開かれたプニュクスの丘。

 正面に、谷を隔てて、アクロポリスの丘とパルテノン神殿が望まれる。

 アテネの18歳以上の男子は、年に40回(うち主要民会は10回)、ここ、プニュクスの丘に会同してポリスの将来を議論し、決定した。

 案内板には、「聴衆は、岩の上に(後にはベンチの上に)腰かけて聞き入った」とある。

 一段高い所に演壇が設けられ、意見のある者は、誰でも、そこに立ってポリスの国政を論じることができた。

 かのペリクレスもここで演説したわけである(ただし、有名な葬送演説は、当時の墓地であったケラメイコスで行われた)。  

ーーーーーーーーー→ペリクレスの葬送演説(抄)

 これも、案内板によれば、この施設の定員は、当初5,000人(B.C5世紀後半)、その後6,000人(B.C300-326年頃)、最後には13,500人になったと記されている。






 同じく、アテネのオリンピア・ゼウス神殿。

 B.C6世紀に着工されたが、中断を重ね、A.D2世紀のハドリアヌス帝の時に完成した。

 後方に、やはり、アクロポリスの丘とパルテノン神殿が反対側から望まれる。




(2008年8月)