早稲田大学と中国」 

 

               砂岡和子 政治経済学術院      20079月記

 

在外研修で北京に住居して1年半、バスに飛び乗って居眠りできるほど中国の生活にも慣れた。乗客や車掌のけたたましい中国語以外、車中の風景にも異国を感じることはあまりない。どの国も子供たちは四六時中、生きる喜びに溢れ、青年は未来を夢見、中老年は健康と日々の暮らしに頭を痛め、女は情に細かくおしゃべりで、男は論理的で支配欲が強いのは大同小異。民族性より生物的差異のほうがずっと大きい。

 

それでもやっぱり中国だと感じることがある。まずは国土と人口規模の大きさ。言うまでもないが日本の26倍の面積と約10倍の人口を持つ大国であることは、旅をしても、北京の雑踏に揉まれても、桁違いの大きさに異国を肌で知る。

 

気候も荒々しい。昨年春は35年ぶり、北京だけで35万トンというすざましい黄砂の歓迎に見舞われた。マスク、マフラーの完全防備で自宅マンションへ匍匐前進でたどり着く有様。今年の春は比較的穏やかに過ぎたかと思ったら、数十年ぶりという酷暑が続き、光化学スモッグが視界を遮る。一時期日本からのメイルはみな中国からの公害の話題で持ちきりだった。日本のメディアがいっせいに中国の公害の日本への影響を報道したためらしい。

 

しかしこの報道姿勢はいかがなものか?一地域の公害は多くの人々の健康に関わる問題で、大きな志を抱いて科学的に問題を解決する視点が欠かせない。迷惑至極と受けとめては、日中間の倦厭意識に加担するだけだ。

 

3番目は中国人の大国志向と民族主義。どう中国人が否定しようと、中国の人々にはやや偏狭な愛国主義がまだ根強い。長年の教育システムとメディアの風潮が育んだ思考で、一種の信仰といってよい。この信仰に従って発言すれば大衆の支持と上部の評価をもらえるので、公式発言は愛国路線となる。異分子が観客にいるかも知れないと配慮する想像力にもやや欠ける。信仰を持たず、個々の意見が不統一で当たり前の日本人には大きな違和感を感じる場面だ。

 

前置きが長くなったが早稲田大学と中国の縁について語ることにする。中国語や地域研究の授業を取る方へのメッセージとして受け止めてほしい。

 

中国で早稲田大学の名を知らない人はまずない。明治期、早稲田大学がいち早く中国人の留学生を受け入れて以来、李大釗、陳独秀、廖仲愷、彭湃など、多数の中国近代の先駆者たちが早稲田大学に籍を置き、早稲田の知名度を高めたからである。中国共産党の創立者である李大釗、陳独秀を始め、明治期の早稲田留学生は革命家であり、かつ文化学術の研究者でもあった。当時の中国エリートは大志を抱いて若き日々を早稲田で過ごしたことであろう。

 

昨年、ある中国人の祖父の事跡調査を手伝ったことがある。依頼主は現在アメリカの大学で教鞭をとる中国人で、彼の祖父が早稲田に留学していた証拠が欲しいという。おじいさんは中国へ帰国後、要職に着いていたが、大事にしていた早稲田留学時代の一切の記録を日本軍統治期、内戦、文化大革命と度重なる混乱の中ですべて紛失した。

 

依頼を受けた私は中央図書館の明治期文書の(戊申夏刊〔1908年〕)『早稲田大学中国留学生同窓録』と旧体字で書かれた名簿から、やっと該当者を見つけ出した。満州旗人のため名簿には本名ではなく漢民族名が記されており、字(あざな)と住所から探しあてることができた。名簿の巻頭には大隈庭園で撮った卒業生餞別記念の集合写真が載っている。中国留学生はほとんど詰襟の制服に学帽、教員は羽織袴が多く明治の香りがする。同窓録の記載者は22歳から37,8歳まで、出身地も中国全国に及び、官費、公費派遣の比率が高いが、自費留学もかなりの数に上る。少数だが女性も在籍したようだ。調査依頼主が喜んだことは勿論だが、私自身、早稲田大学と中国の歴史の一駒を知る機会を得て充実感を味わった。

 

現在も早稲田大には800名近い中国からの留学生がいる。中国へ留学する早稲田生も年々増加し、2005年度からは全学の学部学生対象に中国の諸大学とダブル・ディグリー制を実施して、すでに80名以上がこのプログラムに参加している。過去の栄誉を胸に、新しい時代に託された志を抱き、早稲田はこれからも日中両国の有力な人材養成の学府であり続けることを自覚したい。

 

 

 

 

略歴

駒沢女子大学人文国際学科助教授を経て、19984月より早稲田大学政治学術院教授

20063-20079月 北京大学信息科学技術学院計算語言学研究所専家

200712-20083 独立行政法人情報通信研究機構知識創成コミュニケーション研究センター自然言語グループ特別研究員

20084月より現職復帰

 

担当科目

政治経済学術院の語学(中国語)、地域研究科目以外に、「中国語チュートリアル」「アジア学生ネットワーク」「北京中国語コミュニケーション」など全学オープン科目を担当