アルス・エレクトロニカ1999

「アルス・エレクトロニカの20年」シンポジウム報告



草原真知子(メディアアート・キュレーター, 神戸大学)

20 Years of Ars Electronica: Symposium
Report by Machiko Kusahara ( media art curator, Kobe University)



 アルス・エレクトロニカが始まって20周年。今年のテーマであるライフ・サイエンスのシンポジウムとアート・フォーラムが各2日間(毎日夜中まで繰り広げられるさまざまなイベントやコンサートもあるが)という例年のスケジュールを挟む形で、初日と最終日の午後に記念シンポジウムが組まれて、今回のアルスはトータル6日間のプログラムとなった。
 私はその初日と最終日の両方に出るほか、4日目のアートのパネルの司会をすることになっている。最終日の企画はフランスとドイツにまたがる若手ネットワーカーたちの発案で、この分野の「パーティー・キラー」たちによるフロア・パーティー・スタイルだという。
 私はパーティー・キラー?? 何をすればいいのか、よくわからない。


 初日のシンポジウムはぶっつけ本番。白い布をかけたテーブルと椅子をカフェ風に配置して、中央のソファには司会進行の2人が座る。彼らは地元の国営放送ORF支局で、このフェスティバルを最初から育ててきた人たちだ。ソファに陣取った、アルス・エレクトロニカの創設期、確立期、現在の3つの時期に分けて、トータルで10数人の出演者をテーブルから順番に呼んで話を聞く、テレビのトークショー方式らしい。シンポジウム即番組制作、やはり国営放送である。

 というわけで、出演者全員がテーブルに着席、記念シンポジウムが始まった。まずはアルス・エレクトロニカの幕開けの話。製鉄で知られたドナウ河畔の町リンツは、伝統的な芸術の分野ではオーストリアの二大文化都市、ウィーンとザルツブルグにとうてい太刀打ちできない。
 20年前、リンツが重工業から電子技術へと転換しはじめた頃、電子音楽を中心に、CGやレーザー光線、アナログシンセサイザーによるリアルタイムグラフィックスなどを含む新しいアートの催しの構想が持ち上がり、リンツが生んだ最大のアーティスト、ブルックナーを記念するブルックナーハウスとORFが中心となって企画を進めた。
 CGアートのパイオニア、ドイツのヘルベルト・フランケや、サイエンスアートの先駆者でMIT Media Labのオットー・ピーネら当時のブレーン、そして当時すでにこの分野の調査研究を行い、アルスを最初の頃から見守った唯一の人物として、IAMAS学長の坂根厳夫氏がソファに招かれる。

 79年9月18日から23日、はじめてのフェスティバル。ブルックナーの交響曲第7番をリンツの空に響かそうというCloud of Soundが実現した。ORFの呼びかけに答えて、人々はラジオのチャンネルを合わせ、窓際に持ち出した。10万人の市民がドナウ河畔につめかけ、気球とレーザー光線の下で大音量スピーカーから響きわたるシンフォニーを聞く間、ラジオ中継されたその音はリンツとその近郊のほとんどあらゆる窓辺から空に響き、町はシンフォニーに包まれたという。
 アルス・エレクトロニカの現在を代表するアーティストとして隣のテーブルに座っているクリスタ・ソムラーが、その話にうなずいている。リンツ近郊で育った彼女は子どもの頃、ラジオを窓際に出してブルックナーを聴いたのを覚えているそうだ。
 「ほんとに、どこの家もラジオを窓辺に出してた」と彼女は言う。先駆者たちの昔話は誇張ではないわけだ。「まさかそのときは、自分が将来そのフェスティバルで大賞を取るとは思いもしなかったけれど。」

 このユニークな企画はリンツの人々に強い印象を残し、フェスティバルが今日まで発展する基礎を作った。その後、オットー・ピーネの企画によるスカイアート、ナムジュン・パイクのパフォーマンスなど、貴重な映像を交えた回顧談が弾む。ドナウ川上で演奏される富田勲氏のシンセサイザーとレーザー光線。
 私は当時、その映像をどこかで見て、いつかこのフェスティバルに行きたいと思っていた。まさかそのときは、自分が将来そのフェスティバルの審査委員になるとは思いもしなかったけれど。


 第2部では、80年代末から90年代初めにかけてシンポジウムのディレクターをつとめ、アルスをエキサイティングにした中興の祖、破天荒なピーター・ヴァイベルが登場。"Out of Control"とか"Endo and Nano"など、科学の先端的トピックをアートに結びつけて、今のアルスの型を築いた。
 ゲストもネットアートのパイオニアであるイギリスのロイ・アスコットなど、時代の変化が見える。坂根さんだけが第一部からそのまま残ってコメントを求められる。
 AECの隣でパブを経営している地元のメディアアーティスト・グループ、シュタットヴェルト・シュタットが毎年繰り広げたワイルドなプロジェクト(参加者の投票に従って、犬を爆死させた ー ように見せかけた映像を流して大騒ぎになったり・・)や、広場を埋め尽くした数万の群衆が赤と緑の反射板でゲームに興じた、ローレン・カーペンター(ピクサー社の創立メンバーの一人だ)の有名なパフォーマンスなどの映像が次々に流れる。最も大がかりで刺激的な屋外プロジェクトが展開した時期だ。ヴァイベルはかつてORFと喧嘩別れしたのだが、ここでは問題発言もなく無事に終わる。


 第3部はクリスタやネット部門の審査委員長である伊藤穣一氏、私、昨年から加わったU19部門(オーストリアの高校生以下)で今年の大賞を受賞した男の子など、メディアアートの今を語る場面だ。
 ゲストは多いし間に映像が入るから、一人のコメントはごく短い。完全にテレビ番組のノリだ。しかし5時間半は長い。ずっと舞台上にいたので、疲れた。


 さて、非常に面白かった(激論が飛び交った)ライフサイエンスのシンポジウムと、同じく密度の濃かったアートのフォーラムが終わって、最終日は再び記念シンポジウム。
 今度は舞台ではなくフロアにテーブルが置かれ、ドリンクコーナーも出現。若い女性司会者(やはりネット系)がTVカメラと一緒に各テーブルを回りながらインタビューする。tnc networkのチョイスなので若手アーティストが多いが、テーマ・シンポジウムの講演者や、CAVE開発者の一人のダン・サンディンもいる。
 ホールの壁面のあちこちに、いろんな映像が流れる。初日とは全然違った、くつろいだ雰囲気だ。人工生命で有名なクリス・ラングトンは、今回のシンポジウムの内容をレポートするためにアルスの主催者から招待されたのだそうで、インタビューは受けずにひっそりと座っている。


 やはり昼過ぎから夕方まで延々と続くので、かなりだれていたのが突然盛り上がったのは、ハッカー系ネットアーティストグループのetoyの出番だ。前の日にetoyは記者会見を行い、表彰式後のパーティーでテーブルに置いてあったので勝手に頂いてきた、というSFX部門のゴールデン・ニカ(金のトロフィー)を披露したのだが、その続きだ。
 このトロフィー(サモトラケのニケの彫像をかたどったもの)にライフ・サイエンス的処置を行ったことをビデオで紹介し、その結果として生まれたのが、・・・と取り出したのは緑色のニケの子どもたち。アルスの記念品として売っているトロフィーのミニチュアに色を塗ったに違いない。SFXで大賞を取ったILMからはオーストリア出身の若いアニメーターが代表して来ていたから、納得ずくの盗難騒動だろう。主催者たちも、このおふざけに笑い転げている。

 その後、パーティー式シンポジウムに緊張感が走ったのは、インタビューされたピーター・ヴァイベルがかなり露骨なアルス・エレクトロニカ批判を始めたときだ。かつてはフェスティバルのコンテンツをリードしていたヴァイベルは、初日のシンポジウムでゲストの一人としての待遇だったことが我慢ならなかったのだろうか。
 しかしヴァイベルは最近、カールスルーエのZKMのディレクターになったばかりだ。中央ヨーロッパを代表する2つのメディアアートのセンターが協力関係を保ってほしいと願うのは、私ばかりではないだろう。
 ネットワーク時代の今、アルス・エレクトロニカが今まで築いてきたような文化をさらにエキサイティングに発展させるには、もっとグローバルな視点が必要なのではないだろうか。


(週刊ASCII, 1999年11月掲載)

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