マルチメディアは知の体系をどう変えるのか?

How Mutimedia Would Change Our Knowledge System?
- "7 Hills: Images and Signs of the 21st Century" and Ars Electronica 2000 -


草原真知子(メディア論/メディアアート・キュレーター)


2000年10月

by Machiko Kusahara, October 2000


 ”新ベルリン:7 Hills Images and Signs of the 21st Century ”。ベルリンで 最もホットなエリアであるポツダム広場の一角にそびえ立つ豪壮な19世紀の建築、修復なったマーティン・グロピウス・バウのオープニング展は、ハノーファーの万博を遙かにしのぐ圧倒的な存在感があった。

 NUCLEUS, JUNGLE, COSMOS, CIVILISATION , FAITH, KNOWLEDGE, DREAMの7つのテーマに基づき、7人のキュレーターがあらゆる ジャンルと時代と地域から選んだ膨大な数量にのぼる物品や資料やアート作品や造形が、意表を突く組み合わせで配置されて、人類が今までにつくりあげた文化の総体を再構築しようというのだ。

 そこには博物館でお馴染みの配列は存在しない。ギルガメッシュ叙事詩とアテネの神像とCRAYスーパーコンピュータ。象に襲いかかる虎をそのまま剥製にしたジオラマの先にはバイオテクノロジーの最先端装置と昆虫標本で埋めつされた壁、ヤン・ファーブルの作品。AIBOやP3もある。ニュートンの望遠鏡のレンズがフランク・マリナのディジタルな宇宙を向いている。

 眼を剥くような貴重な資料 が無数に集められ、映像やマルチメディア端末やインタラクティブ作品やオブジェや建築模型とともにコンテクストを形成する。連邦政府とベルリン市が主催するこの大規模な展示の意図はまさに、21世紀への新たな知の体系の提示にある。この途方もない空間に放り込まれた観客は、否応なく、文化というものについて考え込むことになる。

 これは2000年の壮大なキュリオシティ・キャビネットにほかならない。ミュージアムの原型であり、ひとつの戸棚、あるいは部屋に配置した多種多様な物体の寓意によってひとつの世界観を表す、キュリオシティ・キャビネットの知的なゲームかつ空間デザインの伝統が、インターネットでつながったハイパーリンクによって情報が結合され、そのつど組み替えられつつ知識や思考の網の目が地球を覆う時代にふさわしい形式として採用されたことは、興味深い。

 実はマーティン・グロピウス・バウに隣接した廃墟では、ゲシュタポに関する屋外写真展が展開していた。ここは旧ゲシュタポ本部の跡地だったのだ。
 人種や文化にヒエラルキーを持ち込むことで悲惨をもたらしたナチス・ドイツの歴史を重く引きずるポツダム広場に20世紀の最後の年に開館したミュージアムが、21世紀へと受け継ぐべき人間の文化の総体をオープンな体験と思考の場として提示したこと、異なる時間と空間を超えた知の体系の組み直しを見る側に促す装置としてスタートしたことは、大きな意味を持つのではないだろうか。
 
 一方、オーストリアの極右政権誕生が国際的なボイコットにまで進展する中で、今年のアルス・エレクトロニカにも波乱が生じた。フェスティバルへの参加と不参加のどちらが極右政権への抗議の意思表示になるか、という戸惑いを含んだメールが飛び交っただけでなく、例年フェスティバルと協力関係にあったアーティストや批評家たちが名を連ねたメールが、フェスティバル・ディレクターのゲルハルト・シュトッカーに送られた。
 この政治情勢の中でSEXなどという呑気なテーマを選ぶのは、メディア論のシンポジウムにとっては逃げの姿勢ではないか、という批判がその趣旨である。

 ともあれ、アーティストやアクティヴィストの働きかけで会期中にフリースピーチ ・セッションが公式に開かれ、アクティヴィストらによる現状報告が行われた。ウィーンのコンラート・ベッカーが率いるパブリック・ネットベース(t0)はミュージアムクォーター内の彼らの本拠のリース解除を言い渡された。直接的な理由は建物の改修だが、ミュージアムクォーター全体を古典的な芸術の殿堂として再編する構想により、従来のアートの概念に該当しない彼らの活動が排除されたという。

 ディスカッションの中で重要だったのは、オーストリア全体でマルチメディアと文 化に割かれる予算が減ったわけではないという指摘である。
 以前はアーティストやアクティヴィストによる文化活動を国や地方団体が助成してインターネット普及やマル チメディアのインフラ強化を期待してきたが、現政権下ではその予算がディジタル・ アーカイヴ構築に向けられたという。
 かつてのヨーロッパの大帝国が第二次大戦によって小国に没落した悲哀は、国民の中に深く淀んでいる。オーストリアの超保守化を 支えているのは、この怨念だ。国への誇りを取り戻すには昔日の栄光を伝えるナショナル・ヘリテージの確立が急務であり、美術品や文化遺産のアーカイヴ化はマルチメディア産業活性化のためにも一石二鳥、というわけだ。
 なんだかどこかで聞いたことのある話のような気がするのは、私だけだろうか。実はヘリテージという用語を(文 化)遺産と訳すのはあまり適切ではない。ヘリテージとは継承されたものであり、その上に現在があるのであって、日本語のニュアンスのような過去の遺物ではない。

 知の体系化に対する欲望は特にドイツ、フランス、オーストリアを含む中央ヨーロ ッパで顕著であり、それはメディアアートにおけるコンセプト性にも現れているようだ。
 しかしこの欲求はそのときの社会的背景によって、グローバルでオープンエンドなものにも、ドメスティックで過去に囚われたものにもなり得る。

 メディアアートや インターネットが開いた可能性と科学技術、芸術の多様な分野が相互の枠を破り、インターネットを含めたメディアテクノロジーが国境や空間概念を変え、思考や知識の線形構造、階層構造を変質させつつある中で、文化の枠組みや知の体系はどのように変化していくのだろうか。

参考URL:

http://www.aec,at
http://www.berlinerfestspiele.de/berlinzweitausend/seven.html
http://www.t0.or.at/lt.htm

IC FILE (InterCommunication Vol.35 掲載)


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