ブラジル日記 
Brazil Diary 1995 by Machiko Kusahara

草原真知子

For the first time I visited Brazil, to speak at Invencao, an international conference on the human use of technology. Our stay started with a hold-up on the way from the airport to the hotel.

(1995.11.29)

 ブラジルに来ている。Humanization of Technology というメディアアートのシンポジウムに招かれたのだ。テクノロジーを人間的に使うこと。急な話だったけれど、この主題に惹かれてやってきた。国際会議はよく出るけれど、こういうテーマは初めてだ。

 地球の反対側、の一日は、いきなりホールドアップで始まった。地元の大学の先生の車でサンパウロ空港からホテルに行く途中、赤信号で止まったところに汚い身なりの男が駆け寄り、運転していた青年の左耳に銃口を押しつけて何か叫んだ。
 前の席の2人が腕時計を外して渡す間、後部座席にぎゅうぎゅうに詰め込まれた我々4人は身動きもままならず、意外に華奢で優美な銀色の銃身に私は半ば見とれていた。
 信号が変わり、車はすっと動き出した。先日、抵抗したドライバーと同乗者が殺されたという。あのコルトは本物だ、と運転席の真後ろにいたアメリカ人が保証した。危ないところだったのだ。

 わずか3日前にNHKのシンポジウムでブラジルの映画監督と同席し、ゴミ捨て場で豚の餌を選り分けた後、飢えた人々が残りをあさることを許される、というブラジルの現実を突きつけたドキュメンタリーを見たばかりだ。
 広大なブラジルの富の半分以上を一握りの人々が占め、サンパウロの「いい地域」には、青山近辺でたまに見るような超高級家具店が数え切れないほど軒を並べる。
 一方、ホールドアップ現場に近いシンポジウム会場周辺は、殺伐とした風景を黄色いスモッグが覆う。首都高速みたいな道路のトンネル部分にホームレスがいる。路肩でぐったり動かない男を仲間が揺すぶっている光景を見た。

 同時開催のアート展で、強烈な作品に出会った。
 天井から下がった何枚もの紗幕の重なりが暗い空間の中でホログラフィーのようにほのかに白く半透明な体積を創出している。叫ぶと、そこに深紅の血の染みが広がる。思わず痛みを感じる凄さがある。あとで、この作者のディアナ・ドミンゲスがシンポジウムを数年がかりで実現させた本人だとわかった。
 彫りの深い顔立ちのディアナは、作品そのままに性格もダイナミックなゴッドマザー。彼女よりずっと年上のはずのロイ・アスコット(著名なイギリスのネットワーク・アーティスト)が「はい、ママ」といい子ぶりを見せて皆を笑わせる。

(1995.12.2)

 中村理恵子と安斎利洋の連画や、八谷和彦の視聴覚交換マシンやメガ日記、タナカノリユキや立花ハジメの試みなどを紹介しながらアジアの文化的伝統とディジタル時代の創造性の問題を扱った私の講演は、この日一番のヒットだったらしい。万葉集を訳したという有名な詩人が連画の話をとても喜んでくれて、私も嬉しかった。

 しかし、コンピュータもインターネットも、この国のほとんどの人には無意味だ。国営テレビはお笑いとスポーツ番組ばかり。道端で人が死に、カーニバルやサッカーの興奮が生命と引き換えになる国で、サイバースペースなどという言葉は空しい。

 テクノロジーを人間のために使うにはどうしたらいいのか?メディアの役割は?アートの役割は?
 全員が参加した最後のパネルディスカッションで、真摯な発言で自然とリーダー役になったのは意外にも、メディア論の研究者ではなくオーストラリア出身のステラーク、自分の身体をコンピュータで制御するパフォーマンスで知られる「肉体派」アーティストだった。
 会議の後の打ち上げでサンバの生演奏を聴きながら、形状記憶合金のオブジェを火星の地表で花のように咲かせるという途方もない計画を進めているフランスのアーティストが「人生には目標がなくてはならない」と呟いていた。
 ホールドアップとブラジルの現実が、私たち皆の上にのしかかっていた。私が思い出していたのは、8月に訪れたスロヴェニアで見た、ボスニアの難民キャンプの子供たちの心を癒すためにアーティストやインターネット・カフェが協力して続けている活動だった。

(1996.1.15)

 テクノロジーは人間的なことのために使うことができる。そうあってほしい。それはアートの本質でもあるはずだ。たぶん、阪神大震災を体験した人は、もっと多くのことが言えると思う。私にとってのブラジルの数日間は、まだ当分は終わらないだろう。


写真解説

1.市内の治安が悪いためか、総勢10人ほどのわれわれ外国からの講師の移動は、すべて貸し切りバス。初日、窓までビールの広告に覆われた大型観光バスがホテルの前に横付けになっていたが、誰もこれが会議用送迎バスだとは思わなかったため全員遅刻し、開会が1時間遅れた。
 バスの前に立っているのがディアナ・ドミンゲス。

2.医療用画像を使ったディアナ・ドミンゲスの作品。彼女の父親は医者だったが癌で亡くなった。この画像はその父親のもの。

3.ジルベルト・プラドによる現代風ピーピング・トム・マシンともいうべき作品。色やぬめり感がいかにもいやらしい。おまけに穴の周囲にマスクを陰刻してあるので、顔が密着する。
 穴からのぞき込むと、写真(かなりきわどいものもある)やビデオ、それに、穴をのぞき込んでいる自分の後ろ姿(背後にビデオカメラがあるのだ)が鑑賞できる。
 プラド本人は快活な男性で、女性ばかりの主催者の中でシステム回りを引き受けて活躍していた。
(コラージュされた写真は、プラドの作品でのぞき見る映像の一部)


(SOFTBANK社発行、DOS/Vmagazine MULTIMEDIAに掲載)

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