幻燈とファンタスマゴリア

 



また、ガラス板のスライドは映画より簡単かつ迅速に(手書きでさえ)作れて上映できるため、戦争や宗教のプロパガンダに活用された。

パリ・コミューン当時、軍の司令部?で、伝書鳩が持ち帰ったマイクロフィルムを幻燈機で読んでいる。(1871) 

マイクロフィルムは1870年にフランスでこのような軍事目的のために開発された。

ファンタスマゴリア


ベルギーのロベールソン(ロベルトソン)が1779年に開発し、幽霊などを動かして大当たりした。

スクリーンの背後から映写して仕掛けを隠す、映像を移動させるなど、写し絵と似ている。

古い修道院を舞台に使うなどして臨場感をかきたてた。


1870年頃のファンタスマゴリア上映風景

ガラス板に墨で手書きした幻燈スライド。寺で使われたもの

浅草の池田都楽の店(都楽3世、4世は幻燈店を営んだ)制作の日露戦争のスライド。8cm x 8cm 、大型幻燈機用。多くは12枚1組で解説書付きで売られ、この解説を元に弁士が語る幻燈会が流行した。

19世紀とは、映画の登場を準備するような、あるいは今のバーチャルリアリティの前駆というべき実に多様な映像装置が開発され、人気を集めた時代だった。

同時に、それらの映像装置の開発は社会情勢とも関連していた。


光と影、アニメーションと立体視、「覗く」と「投影する」と「体感する」、という要素をさまざまに組み合わせた装置が登場した。

コミュニケーションメディアとしての幻燈



電信があてにできない場合、重要な情報をマイクロフィルムにして伝書鳩で送り、それを幻燈機で拡大して読みとるのが一番早かった。軍や通信社などは鳩舎と大型幻燈機を備えていた。