なぜ写し絵は滅びたのか?

 



華麗な映像と生演奏で江戸っ子たちを驚嘆させた日本の写し絵は、新しいエンターテイメントやアートに発展することなく、滅びていった。

「絵が動く」ことが最大の魅力だった写し絵が、映画という新しい映像メディアの普及によって消えていったのは、無理もないことだろう。


西欧のファンタスマゴリアも映画の普及と共に滅びたが、映画は、幻燈機というハードウェアの上に成立し、また、映像という表現のジャンル自体を、幻燈やファンタ スマゴリアから受けついだとも言える。

もちろん映画の発明は、幻燈だけでなく、写真技術、連続的に撮影し、上映するための機械的な仕掛け、フィルムの素材、明るい光源など、多くの要素が準備されて始め て可能になったものだ。日本にはそれらの技術は、なかった。

しかし、それだけではないように思われる。

ファンタスマゴリアでは、映像をスムースに動かすために車輪を使った。

最初は単純だったスライドには間もなく金属製のギアが使われて、省力化と均一なアニメーションができるように工夫が進み、 オーバーラップやフェードインなどの特殊効果が一人で扱えるような、二連、三連の幻燈機も登場した。

町や村を回る旅芸人も、劇場で上演するショーマンも、一人で上映をこなすことができた。

一方、写し絵は、からくりを駆使した種板を操る微妙な手さばきと、いくつもの映写機を呼吸を合わせて操るチームワークによって、複雑な絵の動きや特殊効果を生み出した。


同じ技術から出発して、機械化と合理化をめざした西欧と、手技の洗練に向かった日本、という対比は、あまりにも単純すぎるかもしれない。

どちらが正しい方向性だったか、というようなものでもないし、それによって、アートあるいは映像文化としての価値が変わるというわけでもない。

幻燈を使って動く映像を見せる、ということで言えば、写し絵は、非常に高度かつ洗練されたレベルにあることは確かだ。 でも、映画という総合的な映像技術の開発は、西欧のようなアプローチを必要とした、とは言えるだろう。


幻燈という新しいメディア技術が西欧から入ってきたときに、それが日本の文化的伝統を取り込んで、短期間にいかにも日本的な大衆芸能として成立した貴重な例が、写し絵である。

写し絵の技術そのものは今の日本の映像文化に継承されなかったが、その表現方法や表現の様式は、アニメやCGまで含めた今日の日本の映像文化の中に、形を変えて息づいているのかもしれない。