写し絵
ー 忘れられた日本の映像文化が、今、甦る ー

エルキ・フータモ

Erkki Huhtamo


(メディア論・映像考古学研究者、キュレーター、UCLA教授)

映画の上映や、プロジェクターでビデオを見るのは、われわれにとって日常的な経験だが、 こうした上映装置は、マジック・ランタン(幻燈)と呼ばれた装置から発展した。


17世紀の半ば頃に発明されたらしい幻燈は、すぐに、映像メディアとして芸人と科学者に利用されるようになった。数世紀にわたって、幻灯機はエンターテイ メントと教育に活躍し、19世紀には、光学玩具としても普及した。ビクトリア朝時代の居間や子供部屋には、小型の幻燈がしばしば見かけられた。

幻燈のくわしい歴史が人々から忘れ去られてから久しいが、マジック・ランタンという言葉は今もよく耳にする。 映画監督イングマル・ベルイマンは、その回顧録を「マジック・ランタン」と題した。

きれいな色彩の「ビクトリア朝時代の光学玩具」としてのマジック・ランタン。

フランス、ラピエール製。高さ25cm。

欧米において、自分たちの文化圏のマジック・ランタンの歴史でさえ知らない人が多いのだから、まして、異なる文化圏、たとえば日本ではどうだったのか、西欧に知られていないのは無理もない。


そもそも、日本にマジック・ランタンは存在したのか? したのなら、いったい何が上映されていたのだろう?

先日の日本訪問で、その答えを見つけることができた。 東京都写真美術館で、日本の幻器と種板の素晴らしい展示を見ただけではない。 実に幸運にも、めったに見ることのできない「写し絵」の上演を見る機会を得たのだ。 かつては隆盛を誇ったのに、滅びてしまった「写し絵」。 これを再現できるのは、ほんの一握りの人々にすぎない。

実のところ、写し絵の起源については、日本でもはっきりとしたことはわからないらしい。 鎖国の間も通商があったオランダから、18世紀に、幻機が入ってきた。 日本独自の写し絵は、優れた絵師でもあった亀屋都楽が1803年に江戸で上演したのが始まりとされている。都楽の成功に刺激されて、この手のショーは広がり、人気を集めた。 その人気は20世紀まで続いたが、新しいエンターテイメントである映画の出現によって、写し絵は衰退した。

 

バーやゲームセンターがひしめきあう新宿の繁華街から遠くない、中野駅の近くの小劇場に座って、私は、文化の相互作用について考えていた。 「写し絵」の場合、たしかに、西欧のマジック・ランタンが基になっているし、似ている部分もあるのだが、しかし、結果としては、西欧のものとはまったく違った、日本独自の文化になっている。

写し絵の特色は、なんといっても、それが物語のひとつの形式だということにある。 伝統的な物語が、本当の意味でマルチメディアな形式で ー つまり、映像と音楽の演奏と語りの総合的なパフォーマンスという形で、上演されていたのだ。

中野で見たのは、この伝統的な形式による上演だった。 最初に、そして場合に応じて、司会進行役をつとめる人物が舞台に登場する。 一方、舞台の反対側の袖には、謡と楽器を担当する2人の音楽家が座っている。 舞台の中央には和紙でできたスクリーンがあって、舞台の周囲は華やかで装飾的な縁取りがされている。しかし観客が注目するのは、スクリーンの背後から映写 される映像だ。 日本語で語られるストーリーが理解できないこともあって、私の関心は、映像の驚異的にダイナミックな変化に集中した。達磨の手足は自在に伸び縮みする。別 の演目では、恋人に捨てられた美しい娘が、竜に変身して泳ぐ。それだけではなく、日差しの変化なども含めた微妙な映像効果が使われている。 全体として、映像の変化はスムースかつ自在で、まるでスクリーンに光で絵を描いているようだ。


上演が終わってから、スクリーンの後ろに回って、驚異的な映像を映し出すのに使われた道具を見せてもらった。実は、それらの道具は、非常にシンプルにで きていた。幻機は木製でとても軽く、使い手が自由に持ち運び、舞台上を動ける。光源を内蔵していて、レンズがついている。これを何台か同時に使用する。 種板も木の板でできているが、種板の多くは、いくつものガラス片を組み合わせた上に、登場人物を動かすための、複雑な仕掛けがほどこしてある。


たしかに写し絵は、西欧の幻ショー、特に、18世紀末から19世紀初頭に人気があったファンタスマゴリアに、似ている。ファンタスマゴリアと同じよう に、幻機はスクリーンの背後に隠されて「魔術的な」幻影を可能にする。幻機を動かせるのも共通で、ファンタスマゴリアでは台に車輪がついているし、写 し絵では、演者が手に持って動き回る。


しかし、だからといって、写し絵が西欧のファンタスマゴリアの日本的な翻案だと見なしたら、それは誤りだ。明らかに、写し絵には、アジア独自の豊かな映 像文化、特に、アジアで生まれ、発展した影絵の伝統が反映している。そういう意味で、写し絵は、きわめて日本的な特色を持った、文化の混合の所産であると も言える。 歴史の産物であると同時に、まさにマルチメディアな体験・・・メディア史の見直しが世界的に進んでいる今、写し絵を西欧に改めて紹介する必要を感じてい る。



初出:ノキア・オンライン・マガジン

(執筆協力・翻訳:草原真知子)