インタラクティブ・アートはどこで展示されたらいいのか 

ー インタラクティブ・アートの展示をめぐる問題 ー
 

草原真知子 (メディアアート・キュレーター、メディア論)

(1995年3月)


Where Are Interactive Artworks Supposed to Be Exhibited? - Issues on Exhibiting Interactive Art -

by Machiko Kusahara (Media art curator)

Interactive art based on digital technology is still a young genre. While the cost for making and exhibiting works is ramatically decreasing, curating and exhibiting these works at a public space is not an easy deal for curators. In Europe, such works can be already exhibited in classic buildings of national museums. In US, they are typically exhibited next to trade shows. Where are they exhibited in Japan?
Public support is needed for interactive art, as it already has in Europe. However, in Europe, even interactive art tends to be integrated into the existing framework of art - not just that they are shown in classic buildings. Japanee young artists who grew up with game and PCs might have great possibilities in creating a new form of art, as we have little constraints to the Western notion of art history in Japan - IF they are given a chance.
(March 1995)




 インタラクティブ・アートというジャンルが成立するようになってから、まだ日が浅い。

 ジェフリー・ショーやマイロン・クルーガーのように早い時期からエレクトロニック・メディアを使ったインタラクティブ作品を手がけ、この分野の成立に寄与してきた人々もいるが、対話性が普通のアーティストの手の届く範囲で可能になったのは、せいぜい、パソコンが世に出た10年前のことであり、リアルタイムでビジュアルに興味ある成果が得られるようになってから、まだ数年しか経ていない。それまではインタラクティブ・レーザーディスクのように、あらかじめ生成されたシークエンスをリアルタイムでインタラクティブにアクセスするのが技術的に精一杯であり、それとてもレーザーディスクの制作は経済的に個人のプロジェクトの域を超えていた。

 初期のインタラクティブ・アーティストは、パフォーマンス、サイバネティクス、立体造形、シンセサイザーなどの分野から出発してコンピュータやビデオに馴染んでいったか、あるいはたまたまアーティスティックな才能を持ったコンピュータ技術者や研究者がより自由度の高いシステムを開発したというようなケースが多かった。このような状況ではアートとしてのクォリティと実験的な意義を区分することはほとんど不可能であり、また、システム上の制約が創造性の発揮を妨げると同時に、コスト上の制約は自由な企画を困難にしていた。

 このことは例えば、有名なアスペン・ムービー・マップに関わり、その後ZKM設立に際して同じ技術を使ってドイツの地方都市カールスルーエの市電シミュレーターを制作、そして最近、カナダの町バンフの風景を3D覗き眼鏡でムービーとして見る作品でアーティストとしての声価を得たマイケル・ネイマークの場合に典型的だ。アスペン計画は軍事シミュレーションとして予算のついた企画だが、それは単に資金を得るだけのためだったと当時のMITの関係者たちは言う。インタラクティブ性は当時それほど高価だった。
 それとは対照的に、古風なステレオ・ピープショーを単純かつユニークな方法(昔の見せ物そのままに手回しのハンドルがコンピュータを駆動する。実はハンドルの先端がコンピュータのマウスのボールをこすって回す、コロンブスの卵的な発想だ)で現代に再現した新作は「ほんのお遊び」だったとネイマークは言うが、少なくともネイマークの場合、システム的な負荷が消滅したところでその本来のユーモアのセンスが発揮されたように思える。

 コンピュータをベースにしたインタラクティブ・アートは現状では技術的に、オリジナルなシステムに依存するものと、市販のシステムを利用したものとに大別できる。市販システムの代表的なものはインタラクティブなデータベースを制作するソフトウェア(オーサリングツールなど)とCD−ROMに代表される標準的なパッケージメディアであり、使用するハードウェアは一般的なパソコンである。
 この場合、たとえばCD−ROMをパソコンのスロットに入れるだけで作品が展示できる。もちろんパソコンの画面ではなくプロジェクションが要求される場合もあるし、パネルなど周囲の環境を含めたインスタレーションもよく行われるが、このタイプの作品の設置は比較的容易である。
 一方、この種類の作品ではシステム面で観客を驚かせる要素はほとんどないため、作品自体の内容が決定的な要素となる。

 それに対して空間的な知覚や触覚を伴うバーチャルリアリティの分野などでは、システムの開発力がなくては作品を作ることはできないし、多くの場合、制作にも展示にも高速で高価なワークステーションが必要となる。システムの内容も設置方法も個別の作品ごとに異なり、通常、展示現場でハードウェアの設置だけでなくソフトウェアのインストールとチェックを要するため、作家や技術者が現地に滞在する必要がある。
 また、装置を着脱したり使い方を説明したり、あるいは高価な機材を保護するために、展示期間中誰かがつききりになることが多い。企画書で予想したのとはかなり違う作品になる場合もあるし、展示期間中にマシントラブルが起こることもある。アーティストとのやりとりや必要な機材の手配など、技術にあまり縁のないキュレーターには荷が重いに違いない。
 この種の作品の展示には数々の困難が伴うが、先端性や実験性が最も感じられるのはこのような作品である。但し、システムの機械装置的な面白さだけでも作品が成立してしまい、内容に疑問が生じるようなケースも少なくない。

 インタラクティブ・アートがこれだけ話題になりながらそれらが展示される機会がまだ少ないのは、幾つか理由があるが、展示の大変さ、特にコスト面の問題が大きい。絶対的な作品数、作家数の少なさ、アートとしてのクォリティの高い作品の少なさ、といったことも事実だが、もっと手軽に展示できるものならば、多くの場所で展示されているに違いないからだ。
 一方、絵画や写真ならカタログや作品集で作品の概要を知ることができるが、さきほどの後者の部類に属するインタラクティブ作品は"site-specific"であり、その面白さや将来的な可能性を実感するには、実際に作品に手を触れて体験してみるほかない。

 結局のところ、アート関係者や文化行政担当者がインタラクティブ作品に触れる機会が少ないから、このような作品が展示される機会がなかなか増えないのだとも言えるし、そのような機会が少なければインタラクティブ・アートに対する理解も進まないし若手作家も育ちにくいだろう。メディアアートが文化の新しい分野として国や地方自治体のバックアップを受けているヨーロッパの状況に対して、日本の現状はお寒い限りである。

 リンツやライプチヒやヘルシンキでは、インタラクティブ・アートは公立美術館の立派な古い建物に展示される。アメリカでは典型的には機器展示会場の一隅だ。日本ではどこで展示されるのだろうか?

 若いアーティストやキュレーターたちが国や自治体の支援を受けてメディアアートのフェスティバルを開き、その展示に立派な美術館が使えるヨーロッパの現状は、とてもうらやましい。日本では当分そのような時代は来そうにない。また、技術に惑わされることなく作品に内容を求めるヨーロッパの方向性も、基本的に正しいと思う。
 しかし、何にでも歴史を見出してしまうヨーロッパの習性は、インタラクティブ・アートという新しいアートの言語の持つ意味を、良くも悪くも今までのコンテクストの上に位置づけてしまう。ゲームやパソコンと共に育った若手アーティストたちが出現しつつある日本で、インタラクティブ・アートはその本来の自由さを発揮できるかもしれないのである。
 もっとチャンスが与えられれば、の話だが。

(美術館メディア研究会における発表の配付資料)