アートからITを見る 
「21世紀未来体験博・ふしぎジャングル」と海外のメディアアート



神戸大学 工学部情報知能工学科 助教授  
草原真知子

Understanding IT from Art: "Fushigi Jungle" at Kobe Mirai Expo 2001 and the International Media Art Scene

Lecture by Machiko Kusahara


1. ITは何を変えるのか?

 IT -- 日本語で「情報技術」と言ってしまえば何の変哲もない言葉が、一人歩きしているという印象を抱いている人は、少なくないだろう。略語の好きな日本人ならではの現象かもしれない。しかし、インターネットの目を見張るような普及ぶり、急速に進展する情報のディジタル化、携帯電話など情報機器の多様化、それにおぼろげに姿を現しつつある双方向TVなどを含めた情報システムの枠組みの変化などを考えても、コミュニケーションのあり方やわれわれが日常的に情報に接する方法が、基本的かつ重要な変革のさなかにあることは間違いない。
 人間は社会的動物であると言われるが、それを支えるのは言語を主要な軸としたわれわれのコミュニケーション能力である。そのコミュニケーションのあり方が大きく変わりつつあるということは、人間関係や社会の構造、あるいはものの見方に影響を及ぼさずにはおかないだろう。
 歴史的に見ると、グーテンベルクによる印刷革命がヨーロッパに宗教改革を起こす引き金になったことが知られている。それまでは書写によるきわめて高価な聖書しかなかったために、それを独占している教会・上級聖職者の説く教えに誰も異論を唱えられなかったのが、聖職者以外の人々も聖書を持てるようになって、新しい視点から教義を捉え直すことが可能になったからだ。当時のルーテル派の人々が水運や馬を使って実に機動的に印刷聖書を各地に届けていたことが近年の研究でわかってきている。つまり、印刷術と革新的な流通過程の成立は、教会による情報独占の歴史を変えることによって、結果的に人々の世界観を変え、ヨーロッパの歴史そのものを動かしたのである。
 現代の新しい情報メディアが大きな役割を果たした例として、ベルリンの壁崩壊に端を発する共産主義政権の崩壊の過程はまだ記憶に新しい。1994年頃だったか、旧東独地域を鉄道で旅したことがある。当時はまだ、かつての西側から東側に入ると、建物のみすぼらしさや排気ガスを噴きながら走る小型車によって、旧国境を越えたことがすぐにわかった。が同時に、崩れかかった壁や屋根に取り付けられた真新しいBSのアンテナが目立つことでも、旧東独地域に入ったことが知れた。人々にとって、家の修理よりも情報が優先したのだということが実感として見て取れる風景だった。
 国家体制の崩壊というような劇的な変化には見舞われないで済んでいる私たちにとって、IT - つまり、これからのコミュニケーションや情報のあり方全体が、どのように私たちの生活や世界観、人とのコミュニケーション、社会のあり方を変えていくのか、直観的に判断することは難しい。しかし上に述べたように、今起こりつつある情報技術・コミュニケーション技術(すなわちメディアテクノロジー)の大きな変化は、短期的な事象だけでなく、社会や文化に長期的な影響をじわじわと与えるであろうことは間違いない。

2. アートの社会的役割

 さて、そのようなメディアテクノロジーの発展とそれが社会に与える影響と、アートとは、いったいどんな関係があるのだろうか?
 アートとは何だか訳のわからないもの。アーティストとは自分の世界に住んでいる変人。あるいは、アートとは普遍的な美を表現するもの。・・・そのように思われているかもしれない。確かにそれもアートの一面ではあるが、決してそれだけではない。デザイナーがビジュアルなコミュニケーションに果たす役割はよく知られているが、それはアーティストにも共通している。大きな違いは、デザイナーは通常ある実際的な目標を与えられてそれを実現するが、アーティストはその目標をあくまで自分で立てるということだ。
 アート作品と世に認められているものは、そこに表現されているのが風景であれ、不可思議な抽象的な図形であれ、それが見る人に何かを伝えるからこそ、評価される。何もインパクトを与えなければ、それは作品として成立しないし、その作者はアーティストとしては認められないだろう。その意味で、優れたアーティストとは作品を通じて自分の持っているイメージや考えを他人にコミュニケートできる人であり、いわばイメージによるコミュニケーションのプロである。
 また、アートはそのときどきの社会と無縁ではない。
 芸術の普遍的命題として人と人とのコミュニケーションや個人と社会との関わりというテーマが重要なのは、文学、演劇、映画などのジャンルを見るまでもなく明らかだ。私たちが潜在的に抱えている問題や気になっていることの一端を、作家や映画監督はさまざまな角度から抽出し、描き出す。また、個人が直面する問題を通じて、社会的な問題の在りかが明らかになることもある。複雑すぎて理解することが難しい社会や人間関係の全体の中から、印象的な部分を切り出してきたり、誇張して描くことによって、私たちが世界をよりよく理解する手がかりを提供するのも、アーティストが意識的・無意識的に果たしている社会的な役割なのだ。
 本来、アートにはそのような機能がある上、コミュニケーションのためのメディアテクノロジーを用いて作品を制作・発表しているアーティストには、人と人とのコミュニケーションや個人と社会との関係への関心は人一倍あっても不思議はない。また、メディアアートは絵画や彫刻のように「一点もの」としての経済価値を持っているわけではなく、概して、多くの人々に見てもらってこそ価値が生じるものである。さらに現代美術がたどってきた歴史として、アート全体がそのような「一点もの」の価値から離れて、作品が見る側にどのような思考や印象を引き起こすかということに価値が認められるようになってきている。このようなことを考えれば、メディアアートがいわば社会を映す鏡としての性格を持つのは当然とも言えよう。

3. メディアアートとIT

 メディアアートとは一般に、その制作あるいは表現にメディアテクノロジーを用いるような芸術の形態を指す。写真、映画、ビデオアートなどは、すでに確立されたメディアアートのジャンルである。写真も映画も、その時代の最先端メディアテクノロジーがさっそくアートやエンターテイメントに使われて、新しい表現を切り開いただけでなく、そのために必要なテクニックや応用が開発された。美しいものを作り出したい、面白いものを見たい、見たことのない・想像もできなかったような経験をしたい、という人間の飽くなき欲求が科学技術にもたらしてきた影響は、決して小さくはない。
 コンピュータの登場は、メディアアートに新しい可能性をもたらした。従来、アートの中でさまざまな方法で表現されてきた要素、すなわち、絵画が持つ表現の多様さや自由さ(特にイマジネーション表現の可能性)、彫刻や建築が持つ立体的・空間的表現、写真の光学的リアリティ、映画の持つ時間軸、演劇の持つ即時性、ストリートパフォーマンスや寄席のような観客との双方向性などが、目的に応じて組み合わせて実現可能になっただけではない。コンピュータの計算機としての機能を生かせば、シミュレーションやデータベースといった従来はアートの中では扱えなかった分野を組み込んだ作品も可能になる。さらに、これもコンピュータ技術の成果であるインターネットは、世界中の人々がリアルタイムで、安価に、しかも映像や音を交えてコミュニケーション可能な環境をつくりだした。
 今日、最先端のメディアアートは、このような基盤の上に成立する新しい形態のアートである。見る側、あるいは体験する側の一人一人にいろいいろな感情やイマジネーションや新たな発見をもたらす、というアートに共通の要素だけでなく、高度情報化社会 ー ITに支えられた社会 ー を映し出す鏡になっているのである。これらの作品は、情報技術がもたらしつつある新たなコミュニケーションの形態や、そこから発展するさまざまな可能性やあるいは問題点、変化しつつある世界観などを、アーティストの直観的な視点で捉え、あるいは単純化したり誇張も交えて表現することで、私たちが今起こりつつある変化や今後の可能性について端的に理解するのを助けてくれる。
   たとえばカリフォルニア州立大学バークレー校のケン・ゴールドバーグが1994年に制作した「テレガーデン」というシステムを見てみよう。ロボット工学者であると同時にアーティストでもあるゴールドバーグは、真ん中にロボットアームを備えた小さな庭を造った。世界中どこからでも、この庭の会員になることができ、インターネットを通じてこの庭に種を蒔き、植物を育てることができる。ロボットアームは園芸ロボットとして必要な機能をすべて備えていて、庭はインターネットからの操作で維持できるし、カメラが常時、庭の状態をインターネット上にビデオ映像として流している。
 しかし、もし隣の植物が育ちすぎて自分の花に光が当たらなくなったら、どうしたらいいだろうか?花のオーナーは、隣の植物のオーナーや他のメンバーと相談して、どちらかの植物を別の場所に移すなどの方法を採らなければならないだろう。あるいは、自分の草花は乾燥を好むものなのに、この庭の「隣人」が水をふんだんに撒いたとしたら?
 「テレガーデン」は、小さな共有の庭を通じて、インターネット上に新しい形の共同体を形成するための試みなのだ。そこにあるのが実在の、命のある草花や野菜を育てていくためには、人々は責任を持って、現実の世界では会ったこともない「隣人」たちとつきあっていくことになる。たわいもない「花自慢」や、草花の世話の調整を通じて、コミュニティ、コミュニケーション、物理的な場とネット上のサイバースペースの関係などについて人々は考え、学んでいくことになるだろう。「ネット上のマナー」とか「バーチャル・コミュニティ」に関する教科書や授業から学ぶのとは違う、自分のナマの体験・思考として感じ取る場を提供できるのは、アーティストの直観やセンスの賜物だ。
 「テレガーデン」のようにインターネットの持つ性質や可能性をユニークなアイディアで取り出した作品や、多くの参加者が協力して作品をつくりあげるような場を提供するアーティスト、あるいは空間感覚やアイデンティティの問題を皮肉たっぷりに扱った作品など、国際的にも国内でも、アーティストたちが多様な視点からさまざまな作品を作り、それを多くの人に公開している。特に、コンピュータやインターネットの持つ双方向性(インタラクティブ性)を生かして、作品を「鑑賞」するのではなく、人々がいじったり、あるいは中身をつくっていくことによって、自分の体験として感じ取るものが多いのが、最先端メディア技術を生かしたメディアアートの特色と言える。
 このような端的な、直観的な理解をいろいろな方向性から積み重ねていくことで、私たちは今起こりつつある変化の本質を捉えやすくなるだろうし、ITと呼ばれているものが何を意味するのかを明らかにするための手がかりを得られるだろう。アーティストが持っている新鮮な視点は、技術そのものが潜在的に持つ可能性や、社会の中でそれがどのように展開していったらいいのかについて、多くの示唆と夢を与えてくれる。

4. KOBE2001 - 21世紀☆みらい体験博・ふしぎジャングル

 「ユメみたいなユメみたい。」と副題のついた「みらい体験博」がこの夏、ポートアイランドで展開する。この中の「ふしぎジャングル」は、今まで述べたような体験型のメディアアートを中心に構成されている。アーティストの斬新なアイディアを通じて、未来の情報社会への夢のあるアプローチを提供したいというのが、監修者としての狙いである。
 若い世代、特に女性に爆発的な人気を得ているメールソフト「ポストペット」を開発した八谷和彦や、かつてフジテレビの早朝子供番組「ウゴウゴルーガ」で旋風を巻き起こし、テレビ番組制作手法の常識を変えるに至っただけでなく、坂本龍一とのコラボレーションによって音と映像がシンクロする美しい作品を作って国際的にも有名になった岩井俊雄など、ディジタル技術が人と人とのコミュニケーションをどう変えるか、どのように、今まで見たことのないような美しい、あるいは楽しい世界をつくりだすことができるかを実践してきたアーティストたちを招いて、情報の未来、夢みたいなことが実現する社会を端的に可視化しようと考えている。アーティストの椿昇による、携帯電話で植物に水をやるシステムなどは、今すぐにでも自宅に欲しい、と思う人も少なくないだろう。このような作品を現実化するのがアーティストであり、それがアート作品として認知されているということ自体、メディアテクノロジーとアートとの関係を新鮮な目で捉え直すチャンスにもなるに違いない。
 今まで常識だと思っていたことをひっくり返したり、まだ実験レベルと思われているような夢を目に見える形にしてしまうのが、アートの特権であり、今日のメディアアートが実際に行っていることである。「ふしぎジャングル」が情報社会の未来への入り口と同時に、テクノロジーとアートとの関係について考える機会になればと願っている。

(ひょうご講座 2001 講義要録)


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