LIFE WITH DEADLINES


Machiko Kusahara

〆切のある暮らし、ならいいけれど、〆切のある人生、と訳してしまったら、空恐ろしい。人生そんなもの、という人もいるかもしれないけれど。

高校のとき、賞金の図書券欲しさにはじめて書いた論文で、コンテストの首席をとった。 小さいときから本の虫で、一度も貸し出されたことのない本を借りた、というので、学校図書館から冗談で表彰状をもらったこともある。中学卒業の時には、3年間で借り出した本の数が一番多かったとかで、真面目な表彰状をもらった。本を買う資金が足りないので、毎日のように神保町の書店で立ち読みしていたけれど、足が疲れた。コンテストの主催者は某模試センターだったが、こんなことばかりしていたので、当然、第一志望?の大学には落ちた。

大学の頃は技術翻訳のバイトをした。コンピュータの勉強になった。3年の頃にはポピュラーなペーパーバックさえ訳した。書くことは苦にならなかったけれど、84年に、CG関係の仕事のかたわら、流通関係の新聞のコラムを毎週担当するまで、それが生活の一部になるなんて予想もしなかった。

コラムは、海外情報の要約だった。毎週、〆切が来た。土曜の昼頃、家の前に新聞社のバイクが止まる。当時は手で書いていたから、字数を合わせるためにぎりぎりまで書き直し、いつドアのベルが鳴るかとひやひやした。こういう生活は胃に悪い。

とうとうFAXを買った。新聞の担当者に電話して、もうバイクはいいです、と言った。土曜の夕方までに送ればいいから、数時間ぶん、助かった。何より、呼び鈴を恐れなくて済む。

つぎにパソコンを買った。CG関係の仕事では以前から使っていたけれど、やっと自分のパソコンが持てた。ワープロソフトを使うと嘘みたいに楽に書き直せる。11万もしたドットインパクトプリンタは、すごい音を立ててドット丸見えの字を連続用紙に印字した。プリントアウトを送っていいですか、と担当者に聞くと、今まで社用箋以外の用紙を受けつけたことがないから、デスクに聞かなければわからない、という。結局、いいということになって、連続用紙を裁断してFAXした。これでまた数時間分、得をした。

今も、書く仕事は続いている。週単位ではなくて、月刊とか季刊だから、胃にはずっといい。もうひとつ、大きな変化は、今ではたいていの編集者が通信を使うことだ。原稿は私のコンピュータから直接、編集者のコンピュータに収まる。しばしば国境を越えて。ペンとインクとバイクの時代から、なんと進化したことか。

それでも〆切はやってくる。

草原真知子(メディアアート論)

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