花の島


Arte Tecnologia "Arte no Seculo: For Humanization of Technology"(サンパウロ、1995年11月28日ー12月10日)

草原真知子

ブラジルの映画監督ホルゲ・フルタドの作品に「花の島」という短編がある。ブラジルの現実をマルチメディア的な手法で鋭く浮き彫りにした、異色のドキュメンタリーだ。日系人農家が生産したトマトが腐り、花の島と呼ばれるゴミ処理場に至る過程を、日本人、食物、花、豚などの関連用語を百科事典ふうに淡々と定義しながら描く。花の島では、豚の餌に適さないとされたゴミに貧しい人々が群らがる。「豚は所有者から食物をもらうが、人間には所有者がいない。なぜなら人間は自由だからだ」というエンディングは痛烈だ。 昨年12月、そのブラジルのサンパウロで、「テクノロジーを人間的なものにするために」と題する展覧会と国際シンポジウムがあった。メディアアートの社会的意味と芸術の役割を問い直そうというもので、3つの大学に所属するアーティストと研究者が協力して数年がかりで実現した。

 展覧会で他を圧倒していたのはブラジルのディアナ・ドミンゲスの作品だ。真っ暗な室内に垂れた紗幕の重なりが、ホログラフィーのように立体的な空間としてビデオプロジェクターの光に浮かぶ。観客が叫ぶとそこに赤い血の染みが広がる。かなりショッキングな作品だ。医者だった父をガンで失った彼女は、医療用画像やコンピュータなどの先端技術を、家族の絆、生と死といったテーマを追求するために使う。ジルベルト・プラドの作品も、エロチックで生々しく、強烈なエネルギーと主張が感じられる。

 シンポジウム講師として参加した私は、到着早々に強盗のホールドアップに会った。珍しくないらしい。貧困と荒廃の一方で、超高級家具店がおどろくほど軒を連ね、市内には黄色いスモッグが立ちこめ、海寄りの工業地帯ではちょっと前も見えない。広大な国土を持つブラジルの富の半分以上が一部の人の手に握られ、大衆はサンバやサッカーやテレビでエネルギーを発散する。メディアは娯楽に徹して、社会の矛盾を支える役目を果たしている。国際的に評価の高い「花の島」などは上映されないらしい。

 そうした中で、技術はどう使われ、人間はどうあるべきなのかを問いかける数少ない人々がアーティストなのかもしれない。彼らが開いた念願の国際会議のテーマがなぜ「テクノロジーを人間的なものにするために」なのか、われわれ外国人参加者は、しだいにその意味の重さを感じとっていた。



(c) Machiko Kusahara 1995


朝日新聞 アート・アトラス(1996年2月10日)掲載
注:「花の島」は1995年12月25日、東京の千代田放送会館で上映された。
Machiko Kusahara
Curator / researcher
2000



BACK