光州ビエンナーレ1995

Kwanju Biennale 1995 - Art, Politics and Technology


草原真知子 Machiko Kusahara

 正直言って、政治と芸術、というような問題にはあまり関わりあいたくない。しかし、政治的背景抜きに1995年の光州ビエンナーレを語ることはナンセンスだろう。それは、それが単にビエンナーレ開催の背景にとどまらず、ビエンナーレのテーマや方法論、そこに実際に展示された作品の傾向に深く関わっていたからだ。そしてそれは単に光州の政治的状況のみの問題ではなく、芸術を独立した美的表現と考えるか、それとも社会をも含めた見る側の受け取り方にまで及ぶ行為と考えるかという問題にかかわってくる。
「境界を超えて(Beyond the Border)」展(光州ビエンナーレの本展 )と特別展の一つとしてナムジュン・パイクが企画した「インフォアート(InfoART)」について報告する前に、なぜビエンナーレが光州で実現したかについて、知りえたところを書いてみたい。実は「インフォアート」もまた「光州」の持つ象徴的意味と深く結びついている。

 光州市の人々にとって、ビエンナーレが形を見せはじめた95年春から光州事件の責任追及がついに始まった96年春にかけての季節の移り変わりは、ことさら激しく、輝かしいものだったに違いない。光州事件の怨念と光州の文化的伝統に対する自負が中央政府の力を借りずに国際的なビエンナーレを実現した原動力だったことは、群衆が市街を埋め尽くした前夜祭の興奮からも見て取れた。
ビエンナーレ開催は、かつて韓国で最も民主主義的だったために戦車に押し潰された光州が、最先端の文化によって(もともと光州は書画で知られた文人の都だった)首都の頭越しに国際舞台に躍り出ることだった。身動きもできない混雑の中で「ビエンナーレの歌」の大合唱を聞きながら、現代美術が一般の人々にとってこれほどの意味を持ったことが今までにあっただろうかと考えた。その意味がほとんど政治的なものだったとしても。

 市内各所にはビエンナーレのロゴと共に「民主精神の地、光州」等の標語が誇らしげに掲げられている。大統領(当時)の視察予定が二転三転し、開会式出席も取りやめたのは、(当時の)政権に対する光州市民の憤懣が怖いからだと聞いた。
実は私が二年余り師事した李応魯は韓国出身の高名な画家で、かつて欧州滞在中に拉致されて連れ戻され、獄中で醤油と飯粒でひそかに絵を描いていた人である。今回の展示にも亡命先のパリで光州事件に抗議して描き続けた晩年の作品群などが含まれている。李先生の弟子だというと光州の人は驚き、心を開いてくれた。光州ビエンナーレを「韓国の」国際美術展、と考えるのは正しくない。これがソウルで開かれたとしたら、その意味合いは全く違ったものになっていただろう。

 誤解を恐れずに言えば光州ビエンナーレの最大の特色は、芸術の社会的意義という前提にある。「光州ビエンナーレ宣言文」は芸術の存在意義を政治、産業、歴史、伝統、そして科学との相関関係において現代社会の中に明確に位置づける。芸術至上主義に真っ向から対立するこの宣言文は、それまで抑圧されてきた側の視点から現代美術の世界的状況を捉え直し、芸術によって政治的対立や歴史の歪曲を克服することを目標に掲げたという意味ではナチスが芸術を政治に利用した意図とは対極にある。
「境界を越えて」とは、抑圧されてきた側が抑圧する側より精神面において優位に立ち、和解を提示する図式である。変化しつつある韓国の国内・国際情勢の中、このような理念に基づく現代美術のビエンナーレがアジアの一角で継続するとしたら、それはどのようなものになっていくのだろうか。

 突貫工事や準備不足にも拘らず、ビエンナーレは韓国を含め、アジア、アフリカ、中南米などの作品が発散する荒々しいエネルギーの混合物に包まれていた。大賞を獲得したキューバの若いアーティストは、出国はしたものの帰国できるかどうかわからない状況で身一つで現地入りし、拾ってきたビールの空き瓶と小舟のような鉄の箱とオールで、当てもなく漂流する現代社会を表現した。作品の多くがインスタレーションで、映像やインタラクティブな手法に独自性を見せた秀作もかなり見受けられた。

 世界を7ブロックに分けてそれぞれコミッショナーを立てる方式で、95作品ほどのうち西欧やアメリカからの出品はその三分の一に満たない。久野利博、清野祥一、平林薫の3作家が選ばれた日本は多いほうだ。
韓国の作家が最も多いのは当然だが、世界中からほぼ均等に選び出された作品が(間仕切りはあるが)林立する一種バザール的な構成は、ヴェネチアやドクメンタとはまったく違う現代美術の断面を示していた。最近、荒川修作の「養老天命反転地」やヴェネチアで話題になった「トランスカルチャー」展などを見ても、現代美術における非西欧的エネルギーは爆発的な力を感じさせる。そうしたエネルギーを集約し、新たな視点から文化的伝統を問い直すことができるのは、むしろ辺境(border)にあってこそなのではないか。
そういえばオープン直後の会場にお年寄りの団体客が多いのは、お祭りといえばまず年老いた両親を送り出す親孝行の美風のためだと教えられたが、これも現代美術展としては異色の光景に違いない。

 特別展の中でも特に注目された"InfoArt"もまた、体制や権威の外にあって芸術表現が持ち得る鋭さを検証していた。
 一度限りのテーマ展として企画された特別展の中で、ナムジュン・パイクとシンシア・グッドマンのディレクションによる「インフォアート」はその規模、話題性ともに別格で、現地の新聞でも本展以上の評価を得ていた。数字の話の好きなパイクらしく、ビエンナーレの予算の15%をくれれば30%の注目を保証するといって企画を取ったのだ、と言っていたが、その公約は十分以上に果たしたというべきだろう。

グッドマンはアメリカの美術館が初めてCGを本格的に展示した"Digital Vision"展のキュレーターで、美術界からディジタル・アートにアプローチした最初の一人である。パイクが選んだメディアアートのパイオニアたちの作品と、グッドマンが選び出したインタラクティブ・アート、そして韓国のキム・ホンヒが選んだ韓国のアーティストたちの作品の組み合わせを中心に、バーバラ・ロンドンがまとめたビデオアートの上映プログラムを加えて構成されたこの展示は、ビデオアートからバーチャルリアリティに至るinfo-artの歴史と最先端を見せようという試みである。
興味深いことにこの「歴史」からは、グッドマンが(理由は述べずに)カタログに書いている通り、80年代のコンピュータ・アートがすっぽり抜け落ちている。

 再現されたパイク・アベ・シンセサイザーやスティーブン・ベックのディジタル・ビデオ・シンセサイザーが往時のままの画像を生成している。パイク自身や久保田成子、山口勝弘、飯村隆彦、山本圭吾、ステイナ・ヴァズルカらの新旧のビデオアート、ウェン・イン・ツァイのサイバネティック・アート、ポール・アールズのレーザー・アート、そしてジェフリー・ショーの"Revolution 1990"を見ることができた。メディアアートの歴史を見る上で得難いチャンスである。
 これらと並んで、ポール・ギャリン、リュック・クールシェンヌ、グレアム・ウェンブレン、ジャンルイ・ボワシエらのインタラクティブな作品が展示されている。
"Very Nervous System"で知られるデイヴィッド・ロックビーの新作は、ビデオカメラからの画像の変化を解析する彼のシステムを応用し、美術館のホールに往来する人々をいわばその存在の時間によって面から線へ変え、あるいは消滅させてしまうもので、ロックビーがこのところ考えてきた新たな方向性が示された興味深いものだった。ギャリンとロックビーによる別の作品「国境警備」は階上の「証人としての芸術」展の入り口に設置され、芸術による政治批判によって構成されたこの会場の導入として劇的な効果を上げていた。
 クリスタ・ソムラーとロラン・ミニョノーの"Interactive Plant Growing"は、おそらくビエンナーレ全体で最も注目を集めた作品の一つで、パイクは「こういうアーティストが私の未来をおびやかす」とジョークを飛ばしていた。

と言うパイク自身、レーザーを使った新作を展示して意気軒高なところを見せている。
「ビデオアートの歴史的展開を見せるのだったら、本当はビル・ヴィオラとゲイリー・ヒルを抜かすわけにはいかないが、この二人に声をかけられる予算なんかない。だから、ビデオ・インスタレーションはアジアの作家だけ、という方針を立てた。そうするとうちの奥さん(久保田成子)は入るのでちょうどいいしね」
とパイクは冗談とも本気ともつかない口調で言っていたが、十分な予算も国際的なメディアアート展のノウハウもない土地でこれだけの規模の展示ができたこと自体、奇跡に近かったようだし、展示したい作家がすべて網羅できたはずはない。

 とは言え最終的に選ばれた作家のリストには、それなりの意味があるに違いない。さきの疑問に戻ろう。なぜ、ビデオアートからいきなりインタラクティブ・アートへ飛ぶのか?

それは、インフォアート展はテクニカルな定義によるものではなく、アートの意味、作品と観客の関係に関わるものだからである。パイクらのフルクサスが目指した新しいアートの理念、つまり既成のアートの解体は、ビデオからコンピュータという技術の流れによって継承されたのではなく、それぞれの技術の使い方によって継承され、さらに新しい段階へと進みつつある、というのがパイクとグッドマンの提示したコンセプトであろう。だから、リニアーで一方通行のビデオアートやコンピュータ・アニメーションはここには登場しない。

 こうして見れば、なぜインフォアートが光州ビエンナーレ特別展として出現したのかわかる。
「権威主義が自ら招いた孤立と観念をのり越え、自由奔放な時代の前線へと向かわなければならず、大衆の共感と支持を得るために新しい地を開拓しなければならない・・・このために先端科学と伝統の協力を模索し、自由と想像力を土台に新しい時代精神を築き上げていく」作業は、パイクらの試みを経て現代のインタラクティブ・アートに引き継がれているのである。

ビデオ画像を「撮る」ものから「つくる」ものへと変え、芸術を画廊の壁から解放し、衛星通信を通じて人と人との連帯をネットワークしたパイクの軌跡は、光州という場において現代テクノロジーへの引き継ぎを表明したのではないだろうか。

(c) Machiko Kusahara 1996
(注:この後まもなくパイクが病に倒れ、活動を再開するのに数年の年月を要した)


図版

  Border Patrol (国境警備)  ポール・ギャリン(アメリカ)、デイヴィッド・ロックビー(カナダ)

土嚢を積んだ要塞の上に配置された自動追尾式のビデオカメラが銃口のように不気味に動いて来場者を迎え、モニター画面に映し出された自分の顔に照準が合って銃声が響く。ここに使われているシステムは"Very Nervous System"と同じ。
パイクの新作

レーザー光線と3D眼鏡によって空間をいわば立体的な造形で満たす、今までにないタイプの作品。水冷装置の設置に手間取り、オープニング当日に完成した。
Systematik Games   Selma Gurbuz(トルコ)

 揺れが動きを作る。トルコは影絵文化圏の西端に当たる(伝統的には駱駝の革を使用)。民族的伝統の新たな展開による新鮮な表現が「境界を越えて」展の各所に見出された。
Buddha Sound AHN Sung Keum (韓国)

 会場の間に広がる芝生に設置されていた。これらの仏陀たちは人間の言葉と騒音を受け止めている。仏教思想における音と空間の関係性をテーマにした作品。
Analog Garden 久保田成子(日本/アメリカ)

 造形的な面白さと動きの調和は、見ていて飽きない。新作だが80年代からの作品の連続線上にある。

InterCommunication  掲載(1996)

Machiko Kusahara
Curator / researcher
2000



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