IC File Summer 2001

「ネット・アート」はどこへ行ったのか?
What Happened to "Net Art"?



草原真知子
Machiko Kusahara


Three major exhibition on digital art took place in US, at SFMOMA, The Whitney Museum, and the traveling exhibition organized by Walker Art Center. However, not much innovative works with conceptual approaches are seen on the Net. The same situation with SIGGRAPH Art Show and the Net category of Ars Electronica, as the author saw as a jury member. What happened to " net art"?




 この春,SFMOMAの010101 Art. IN. Technological. TIME展はアメリカのメデ ィア・アート関係者のあいだで大きな話題になった.[★1]

 ちょうど同時期に,ホイットニー・ミュージアムでも初のデジタル・アートの展示 BitStreamsが開催され,[★2]またオンライン・ギャラリーで知られるウォーカー・ア ートセンターの企画によるTelematic Connection: the virtual embrace - exploring artists' use of the global communications networkもサン・フラン シスコ・アート・インスティチュートを皮切りに全米を巡回しはじめ,美術館がデジ タル・アートを本格的に展示する時代の到来と受け止められた.[★3]

 BitStreams展が 絵画,写真,映像,彫刻などの表現の中でデジタル技術を何らかのかたちで使用して いる作品を中心に,現代美術の変化の必然の段階としてのデジタル化を取り上げたの に対して,今までも地方美術館でありながらネット・アートの分野では全米をリード してきたウォーカー・アートセンター発の全国巡回展は,やはりネットワークに的を 絞り,ICCでも展示されたポール・サーモンの《Telematic Vision》,ケン・ゴール ドバーグの《Mori》などのインスタレーション展示を含め,アーティストがテレコミ ュニケーション技術を用いて,物理的な空間とサイバースペースと身体の関係性につ いてどのような問題提起をしてきたのか,その歴史と現在を示そうとしていた.こうした中で,それ自体が展示の一環として位置づけられたSFMOMAのウェブ・サイトのユ ーザ・インタフェイスの特異さは目を引いた.

 インテルがスポンサーのhttp://010101.sfmoma.org/にアクセスすると,半透明な赤い立方体9個が宙に浮いた,いかにも現代美術といった画面の右側に,Software Requirement, Hardware Recommendedという,ソフトウェアをインストールする際のような素っ気ないリストが並ぶ.Shockwave Flash 5.0 plug-in, QuickTime4.1+, Internet Explorer 5.0+あるいはNetscape4.0+ の各ソフトウェアが必要で,推奨ハードウェアはMacintosh ならG3 以上, RAMは128Mb以上, 画面解像度1024x768, フルカラー表示, CATVあるいはDSL 接続.

 しかもこのサイトはかなり重いうえに,インタフェイスが悪くてどこに何があるのかよくわからず,推奨環境をもってしてもナビゲーションは快適とは言えない.それなのにネット・アートとしてそこに並ぶのは FLASHなどを駆使したデザイン・オリエンテッドな,あるいは絵画的な作品が中 心で,アルス・エレクトロニカやICC,キャノン・アートラボ,ZKMなどで見慣れた, コンセプチュアルなネット・アートや,実空間と連動したりVR やa-lifeなどの先端 的なアプローチとネットを結びつけたような,技術的にもハイエンドな作品,あるい はウェブ・サイトの意味づけを問うような作品は皆無に近い.

 シェアリングの思想やアクティヴィズムの伝統が強いネット・コミュニティからは,こんなリッチな環境でインターネットを見られる人が,いったい世界中でどれだけいるというのか,と憤懣が突出し,やはり美術館は所詮,オーソリティでしかないのさ,という醒めた声も聞こえる.ウェブ作品をちゃんと見てもらうためには仕方ない,という作家側の意見もある一方,あまりに確信犯的にユーザー・アンフレンドリーなこのアプローチは,やはり挑発的だ.
 SFMOMAが定義するネット・アートの本質はウェブ・デザインなのか.われわれの知っているネット・アートはいったいどこにいってしまったのか? 彼らの作品やウェブ・プロジェクトは美術館の範疇ではないというのか? それにしては難解な,あのウェブサイトはなぜだ? などなど,「010101」をどう思う? という戸惑いがちな会話が随所で展開することになったのだ.

 後からわかったのは,この展示の特異さはSFMOMAの5人のキュレーターの意見の違 い,つまりアートの場としてのウェブ・サイトや「ネット・アート」をどう見るか, さらには美術館におけるネット作品の展示はいかにあるべきか,といった問題に対す る見解の相違が表出したもので,「ネット・アート」の現状についての興味深い材料を提示したとも言える[★4].結局は,ネット・アートの本質論にまで問題は遡る.

 実はネット・アートを巡って,考えさせられる経験がこのところ続いている.
 シーグラフ・アート・ショウのネット部門ArtSiteの審査では,コンセプト性とアート性とテクニカルな完成度を備えた作品があまり見あたらず,それに近い作品は, ArtSiteの審査では通っても最終的にはArt Showには入らなかった.アルス・エレクトロニカも,今年からネット部門を一新してアート作品が選ばれやすくなったというのに,これはというアート作品がほとんどエントリーされていないことが審査委員会で話題になった.

 ウェブ・サイト上の画像や音声表現技術の急速な発展は,特にアメリカにおいてはコマーシャリズムと結びついて,ウェブ・サイトをフラッシュ・ムー ヴィーやモーション・グラフィックスといった映像表現の場に変え,デザイナーや映像作家たちの進出を促す一方で,それ以外の可能性や表現を見えにくくしている.コンセプチュアルでしかもネットワークの特質をえぐり出すような作品が,このところ見あたらない.
 いったい「ネット・アート」はどこに行ったのだろう?

 「ネット・アート」とはどんな作品を指すのか.例えば映像表現をベースにしたものとして,スロヴェニアのヴゥク・コシック(Vuk Cosic)らによる《Ascii Film》を挙げることができるだろう.[★5]いわば古くて新しい手法によって,デジタル技術やネットによって露わになった問題点を突きつける試みだ.
 モノクロ映画をフレ ームごとに濃淡に応じてアスキーコードに変換する(そのための高速変換アルゴリズ ムは彼らが独自に開発した).英数字(アスキーコード)で画像を表示するの は60年代,70年代のコンピュータ・アートの定番で,ウェブ・サイト上に画像が自由に表示できるようになる前は,アスキーコードによるイラストはパソコン通信でよく用いられた.
 彼らは《戦艦ポチョムキン》や《ディープ・スロート》といった,誰もがその意味を知っている映画をアスキーコード化し,ネットを通じて一般に配信することで,ディジタル時代における著作権の問題や作品の定義,政治的言説や表現の自由といった途方もなく大きな問題を,思わず笑い出してしまうユニークな表現で提示する.
 
 例えばアスキーコード化されたプロパガンダ映像やその改変を,当局は取り締まれるのか? アスキー化されたポルノ映画は,果たしてポルノか? 英数字の羅列が次々にリフレッシュされる画面はもとの映像とは無関係の創作物である,とアーティストが主張した場合,法や権力はどのように対処するのだろうか? 
 そうした思考実験を通じてメディア社会の本質を考えさせる(しかも,かなり楽しめる!)という意味で,彼らのプロジェクトはまぎれもなく「ネット・アート」として機能している. しかし,ベルリンの壁崩壊からすでに長い年月が経って,こうしたアクティヴィスト系ネット・アートの活発性は恐ろしく低下しているように思える.

 パサデナのアートセンター・カレッジ・オヴ・デザインのギャラリーで 《Telematic Connection》を見た.なかでヴィクトリア・ヴェスナ(Victoria Vesna)の新作《No Time》のインスタレーション版は,同時に展示されていたケン・ ゴールドバーグの作品やスティーヴ・マンの新作とともに,ネットワーク上の空間と身体性について,コンセプチュアルな視点を提供していて興味深かった.

 アーティスト,キュレーター,メディア研究者など,この分野で知られた多忙な人々がネット上に仮想の身体をもち,その要素を自分のセルフイメージに基づいて決定する.その身体にネットワークを通じて参加者が要素を加え,働きかけることによって,彼らの身体は人々が彼らにもつイメージに応じて発展し,変化していく.忙しすぎる人々の仮想身体を,作品や評論,キュレーションを通じて伝達される思想やイメージに応じ て,ネット上のユーザーや読者たちがメンテナンスしよう,というものだ.
 星座のような形状で表現されたヴァーチャルな身体イメージは,星座同様,人々が彼らに仮託したイメージの反映にほかならない.それは,ネットワークを通じた知的身体の可視化でもある.

 ウェブ・サイトがTV化しつつあるなかで,「見せる」ことよりコミュニケートすること,実空間とネットワーク空間との関係性や身体の意味ににこだわってきたアーティストたちが,もう一度「ネット・アート」の意味と可能性について提案していくこと,それをミュージアムがネットワーク空間と実空間の双方において提示していくことは,ウェブ・サイトを単なる映像表現の道具にしてしまわないために,そしてネッ トワーク社会が文化に与えつつある変化をきちんと考えていくためには,重要なのではないだろうか.

■註
★1 http://010101.sfmoma.org/
★2 http://www.whitney.org/bitstreams/
★3 http://telematic.walkerart.org/
★4 ─昨年のSFMOMA Webby Awardの記事参照.
URL:http://telematic.walkerart.org/
★5 http://www.ljudmila.org/~vuk/


くさはら・まちこ──メディア・アート・キュレーター.神戸大学大学院自然科学研究科助教授.

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