覗き込むことと映し出すこと:ピープ・ショーと映画
Peepshow and Cinema, Precinema and Space


草原真知子
Machiko Kusahara


Peepshow and other optical amusement with "peeping" features such as zoetrope or stereoscope were once extremely popular worldwidely. In fact, Edison's kinetoscope was developed along the idea of peeping.
Because "projection" technology has become the major method of enjoying images since the arrival of cinema and TV, it is difficult for us to imagine how "peeping" into unknown world was exciting for the people at that time. Today the word "peepshow" is even often associated with certain sort of contents.
But the thrill of peeping into another world cannot dissappear totally, as it has something to do with our basic desire. A small game machine such as Tamagotchi or Game Boy offers an unexpected world that is kept for personal amusement, accessible through a small screen of one's own.


 小さな穴からのぞき込むと、そこには別の世界が広がっている、という驚き。覗き穴とは、見ることへの欲望をそそるもっとも素朴な仕掛けかもしれない。
 その素朴な驚きは、透視画法とレンズの発明によって商業的な娯楽にまで増幅される。18世紀から19世紀末までおよそ2世紀の間、覗き込むための実に多様な装置に子どもから大人までが夢中になった。
 日本の覗きからくりもその一つである。江戸時代、南蛮渡来の透視画法は「覗く」娯楽のために普及し、丸山応挙なども眼鏡絵(レンズを通して覗き込むための絵)を描いていた。
 今日、私たちに馴染み深い映画やテレビは、光のパターンを2次元のスクリーンに映し出す、投影型の装置である。そのような、いわば外界に開かれた映像が現在の映像文化を代表しているため、「覗く」ことがかつて新しい世界への扉としてどれほど意味を持っていたのか、私たちには想像しにくい。

しかし今世紀初めまでの長い間、覗くことは大衆から王侯貴族までが好んだ普通の娯楽であり、新しい世界への入り口だった。道端で人々がピープ・ショーを覗き込む光景を18世紀の代表的な風刺画家ホガースが描いている。ポケットから財布が掏摸取られているのにまったく気づかない、箱の中の世界に夢中になってしまった客、という風刺画もしばしば描かれている。
 一方、覗くことはその時代の最先端情報メディアへの接続方法でもあった。
 ピープ・ショーの定番は、まだ一般の人々には知られていなかった透視画法を応用して、有名な観光地などの精密な風景画を印刷したものに手彩色を施したもので、箱を覗くと遠近法によって強調された風景が視野いっぱいに広がっている。大道芸人の口上につれて画面のあちこちを見回す、いわば仮想観光旅行とも言える体験を提供するものだった。

 初期のアニメーション装置であるゾートロープや、連続写真を見るキノーラやミュートスコープ、立体写真用のステレオスコープ、エジソンの最初の「映画」であるキネトスコープまで、ほとんどあらゆる新奇な映像体験が「覗く」行為として試されてきたことが、この展示からも見てとれる。富裕な家のサロンに置かれた大型で豪華なものや、アラバスター(雪花石膏)を卵形にくりぬいた観光土産のピープ・エッグなど、実に多様なバリエーションが存在した。こうした覗くための装置一般を意味するピープ・ショーという言葉がどこか怪しげな響きを帯びるのは、映画に人気を奪われて場末の娯楽になり果てた後らしい。
 なぜこのように「覗く」方式が娯楽として好まれ、そして映画の普及と共に急速にすたれていったのだろうか?

 覗くとは、そこに境界面があるということだ。境界の向こう側で、現実にはあり得ないことが起こったり、遠い異国の風景が広がっていても、身体はこちら側の世界に置いたままで安心して向こう側の世界を楽しむことができる。このことは、覗く映像装置が写真の普及以前から存在していたことと関係あるだろう。ゾートロープのアニメーションには、空からフォークとスプーンの雨が降ってくる、というようなシュールリアリズム的発想さえあって、あり得ないことの起こる面白さ、別の空間に属するフィクションの世界を人々が楽しんでいたことが窺える。

 このことは、ステレオスコープ(立体写真)についても別の形であてはまる。ステレオスコープは19世紀末から20世紀初頭に世界的に大流行し、ガイドブック付きの観光地セットや第一次世界大戦の激戦地の模様を見るセットなどが多数流布した。レンズを覗き込むと、2.5次元とでも形容するしかない書き割りのようなリアリティを持つ不思議な空間が出現する。しかし、それはあくまでもレンズを通した先にある静止した別の世界で、ピープ・ショーの光学的な発展形と捉えることもできる。

 リュミエール兄弟が最初の映画の一つである「列車の到着」を上映したとき、接近する列車にパニックに陥った客が劇場から逃げ出した、という伝説は、単にそれが実物そのままに動く映像だったからだけではない。スクリーン、つまり観客の身体が存在する同じ空間に出現した等身大の映像は、それまでには存在しなかった「リアル」を提示した。それは、別の世界を安全に「覗く」ための装置とは異質のものだった。列車のレールが画面から劇場内の空間に延びている当時の映画ポスターは、すでにリュミエール兄弟が、映画の特質を十分に意識していたことがわかる。スクリーンと現実空間との連続性、映像が観客の身体に迫ってくるという感覚が生まれた。覗き穴が保証していた境界面は消滅し、映像は、現在のバーチャルリアリティにも連なる新たなリアリティを獲得した。

  初期の映画の多くは、ミュートスコープやキノーラといった覗き型の装置でも見られたが、同じ空間の中で等身大のリアリティを持つ映画の迫力、魅力を知ってしまった観客には、すでに物足りかっただろう。間もなく、大きなスクリーンへの投影が、動く映像を見せる技術の主流になっていった。その陰に光源をはじめとする映画関連技術の発展があったことは言うまでもない。

 小さな覗き穴から別の世界を発見する驚きは、現代の映像文化からは消えてしまったのだろうか?

 技術的には違うけれど、大流行したたまごっちやポケモンなどのゲームは、ひとりで見るための小さな窓を通じてその向こう側に存在している世界を見るという点で、ピープ・ショーが提供した楽しみに近いのではないだろうか。「覗く」映像文化の本質的な部分は、技術の進展に伴って姿を変えながら、これからも続いていくのかもしれない。

(「映像の歴史と未来」展、国立民族学博物館2000年展示に寄せて。読売新聞大阪版 掲載)

Machiko Kusahara Curator / researcher
2000

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