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電子メールと会話

思えば、彼とよく会話するようになったのは最近のことである。 最初のうちは(忙しいだろうからと)遠慮して必要最低限の e-mailに留めていたのだが、実験が進んでくると、そのデータ 処理への注文がエスカレートするのを恐れて、必要最低限の 「結果」を渡すだけにしていた。帰国も間近になって、できる 仕事の内容も量も限られてきてから、ようやく「おしゃべり (talk)」をするようになったのだ。おかげで、彼の個性の異な る側面を知ることができたし、彼も私のことを良く知るように なったのではないだろうか。滞在半年の頃にも「I will miss you.」とはいわれていたのだが、最近の「I am missing you.」 は違う意味あいを感じるのだ。もちろん私の思いこみではある が、ここにきてようやく、「私がやったこと」ではなくて「私 がいたこと」を評価してくれるようになったような気がしてい る。

「もっとたくさんおしゃべりしておけば良かった」と彼は残念 がっている。私もそう思う。でも、どうしてこれまで会話の機 会が少なかったのだろうか。もちろん、お互いが相手の仕事 (忙しさ)に遠慮しあっていたということもあるだろうが、私 は「電子メール」の影響の方が大きいのではないかと思う。下 手な英語でしゃべるよりも文書を精選してから送付できる電子 メールの方が安心だったし、お互いの負担が少ないだろうと信 じていたことは確かである。でも、それを多用することで、逆 にface-to-faceで話す機会は極めて少なくなってしまったのだ。 お互いの会話を補完するはずの電子メールは、不思議なことに、 面と向かって話をするのをためらわせる効果を持っている。イ ンターネットで通じる程度に留めておくべき関係であれば電子 メールは有効だが、感情を伝えるためには、たどたどしい英語 であったとしても面と向かった方が良いようだ。



Yoshio Nakamura
Mon Dec 27 10:02:29 JST 1999