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生理学的能界

感情の起伏は、主として交感神経系を通じて身体諸器官に伝わ る。恐怖で顔面蒼白になったり緊張してドキドキするのは、交 感神経の作用である。英語ではsympathetic nerveと呼ばれる。 この「sympathetic」の名詞形である「sympathy」は、sym (「共に」「同時に」)とpathy(「苦痛」「感情」)との連 結語で、「気持ちを共に持つ」という原義がある。日本語の 「交感」も直訳で、文字どおり「感情」に関わる神経なのだ。

さて、もうすこし言葉の意味にこだわってみると、「笑顔」に 関わる神経は交感神経ではない。顔面の状態を知覚したり、顔 面の筋の収縮状況を作り上げるのは、それぞれ知覚神経、運動 神経と呼ばれ、体性神経系と総称されている。この体性神経の 英語名はsomatic nerveであり、「(精神に対する)身体の」 すなわち「肉体的な」という意味を持つgif。 この体性神経系と自律神経系(交感神経系ならびに副交感神経 系)とは中枢の様々な部位で関与し合っており、それらの融合 された様々な刺激が自動反射を司ったり認知を生起させたりす るのだ。そして、体性神経系に関わる様々な身体技法が精神状 態に影響を及ぼすことも、もはや周知である。

つまり、<神経系>という仕組みとその分類は、あくまでも生 理学の説明の都合によってなされているだけで、「生きている 身体」の生活実感に沿ってなされているわけではない。そして、 もっといえば、身体のあらゆる生理機能の中から<神経系>と いう機能が特徴づけられていること、すなわち、<神経系>と か<内分泌系>、<免疫系>といった機能分類をしていること も、生理学における説明の都合に過ぎない。その最も顕著な事 例は<神経系>と<内分泌系>との区別であって、たとえば、 中枢からの情報がある特定の器官に伝えられる場合に、その器 官のすぐそばまで伸びた神経から放出される物質(神経伝達物 質)によって伝えるのが<神経系>で、体内の離れた場所から 放出される物質(ホルモン)を介して伝えるのが<内分泌系> ということになる(図略)。この場合の両者の 主要な違いは、その媒介物質が移動する距離にあるのであって、<中枢(神経系)>→ <分泌器官>→<受容体>→<目標器官>という伝達構造で見る限 り極めて類似しているのだ。


図: 中枢情報を目的器官に伝える際の、<神経系>と <内分泌系>との対照。伝達物質(図中に小さな○で示し ている)の移動距離が近い場合には「神経系」と呼ばれ、遠い場合には「内分泌系」と呼ば れる。

ともあれ、身体機能を生理学的に記述する場合には、<神経系 >や<内分泌系>などの区別は極めて重要である。もちろん、 そのような分類は生理学における独自の「都合」によるものな のであるが、そのような「都合」に基づいて行われる生理学的 説明こそが、ヒトの身体の仕組みを理解する上で重要な役割を 果たしてきたといえるのだ。そして、それら諸機能系を区分す る境界、すなわち、<神経系>や<内分泌系>などといった生 理学的定義に基づいて定められる機能区分の境界を、ここでは 「生理学的能界」と呼ぶことにする。そうすると、「<神経系 >と<内分泌系>という分類は、その情報伝達物質群を一部共 有しているので能界が曖昧である」 とか、「<体性神経系>と<自律神経系>の能界は、『笑い』 という生命現象を説明するには十分な役割を果たさない」といっ たような用語法が可能となる。



Yoshio Nakamura
Mon Dec 27 10:02:29 JST 1999