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神経としての電話

電話もまた、通話者同士の神経を結びつける。今度は「耳」の 感覚が強調されるために、視覚やその他の皮膚感覚は抑圧され る。電話の第一の特徴は、相手通話者が周囲にはいないという ことである。私はときどき携帯電話の番号を教えてもらったそ の場ですぐに当の相手に電話してみるのだが、すぐ目の前で私 が通話ボタンを押していて、それと同時に自分の携帯電話が鳴っ ているにもかかわらず、たいていの人は「失礼」と言って席を 外そうとし、耳に入る私の声を聞いてgif、「何バカなことをやっているんだ」と 呆れ果てるのである。ことほど左様に、電話という神経接続は 「眼前にいない誰か」とのものであるという信念は根強い。

電話の第二の特徴は、発語音声を受話器が吸引し、それ を外に漏らさないようにして相手通話者の耳に届けることであ る。相手通話者の発語は、同じ電話線を通って逆にこちらの耳 に届けられる。電話局(交換器)には同時に多数の交信が通っ ているにも関わらず、混信することは今では皆無といって良い。 このように、端末で発せられた情報が混信することなく相手方 に行き、その情報を確実に伝えるという機能は、まさに生体内 の神経の機能そのものである。

私が保育園から子どもを連れて帰宅すると、たいていは 夕食の下準備ができているのだが、朝それを整えた我が妻は、 そのころを見計らって会社から電話をかけてよこす。私は、受 話器を耳に当てたまま、その指示に従って、コンロに火を入れ たり、冷蔵庫の中の所定の器を食卓に出す。そのとき、確かに 私の筋肉は、彼女の電話の音声によって支配されているのだ。 「妻の大脳皮質→発語→電話線→私の耳→私の大脳→私の筋肉」 という情報の流れの中で、「私の」と付した箇所だけが他と独 立していてその間の矢印だけを「神経」と称するのは、単なる 生理学の信念に過ぎない。我が家の生活の風景の中では、遠く 離れた会社の妻が、電話線という神経を通じてマンションの部 屋に指令を送り、その中の一器官に過ぎない私の身体が、妻の 指令に従って忠実に役務を果たすのである。だからやっぱり電 話線は神経なのである。



Yoshio Nakamura
Mon Dec 27 10:02:29 JST 1999