自炊PDF論文(クリアテキスト付)
業績一覧は大学の研究者データベースをご覧下さい。こちらでは2000年以前の論考等を自炊PDFで提供しております。一部は版権の関係で掲載できませんが、そのほかは可能な範囲で掲載してゆきたいと思います。早稲田関連の刊行物はPDF化が完了し、DSpace@Waseda でご覧頂けますので、そちらをご参照下さい。小川関係のものはこちらからどうぞ。
学術論文等の名称 発行発表
年月日
発行所・発表雑誌
発表学会の名称
「橋」における方法論--周作人と廃名(自炊PDF、検索用クリアテキスト付) 1998.12 「二三十年代中国と東西文芸」(東方書店
廃名の初めての長編小説「橋」は極めて特異な叙述形式によって知られる作品である。本稿では、物語全体の全体を覆う叙述形式の特徴を検討し、あたかも物語のストラテジーを全く放棄したかに見える「散文的」小説を書くに至った廃名の方法論を当時のエッセイ「説夢」から探り、そこには厨川白村「苦悶の象徴」の影響が看取されることを指摘し、その方法論の実践として「橋」が生まれたことを明らかにする。
中国民俗学者・江紹原と南方熊楠(自炊PDF、検索用クリアテキスト付) 1997.12 「季刊文学」(一九九七年冬、岩波書店)
飯倉照平先生の勧めで書かせていただいた一篇。南方熊楠から江紹原に宛てられた書簡を紹介したものです。
江紹原と周作人(II)-「礼部文件」、その後(自炊PDF、検索用クリアテキスト付) 1996.3 『大東文化大学紀要』第33号(大東文化大学
本稿では、前稿に引き続き、江紹原の文学活動を検討する。その中で当時の文壇を代表する『語絲』派・『現代評論』派間の尖鋭な対立が江紹原の思想的足跡にも投影され、双方と交流のあった江紹原は一再ならず苦渋の選択を迫られた。なかでも、特に二四年後半から顕著となる江紹原の思想的転回点には、周作人(『語絲』主編)の影響が決定的な役割を果たしたことを明らかにした。(PP.41~57)
江紹原と周作人(I) -「礼部文件」以前(自炊PDF、検索用クリアテキスト付) 1995.3 『大東文化大学紀要』第32号(大東文化大学
江紹原は周作人から民俗学の薫陶を受けた学者の一人であると同時に、優れた散文作家として『語絲』でも活躍した。本稿ではアメリカで宗教学を修めて帰国した江紹原が周作人の影響下で民俗学研究に転じるまでの経緯を検討した。(PP.31~46)
大東文化大学図書館所蔵 周作人手稿「人境盧詩草」について-周作人の周辺から 1993.9 『大東文化大学創立70周年記念論集』(大東文化大学
大東文化大学東松山図書館所蔵『大河内文庫』の中から周作人草稿「人境盧詩草」が発見された。本稿は、周作人草稿が本学に所蔵されるまでの経緯を明らかにし、そこから浮び上がった黄遵憲研究をめぐる日中の研究者の交流を略述したものである。(PP.575~588)
中国語訳・有島武郎「四つの事」をめぐって--『現代日本小説集』所載訳文を中心に(自炊PDF、検索用クリアテキスト付) 1992.3 『大東文化大学紀要』第30号(大東文化大学
転載:国文学年次別論文集・近代(三)(朋文出版)1992年版
本稿では、従来魯迅の翻訳とされてきた有島武郎のエッセイ「四つの事」が実は周作人の翻訳作品であること、同作品を含む『現代日本小説集』中の他の翻訳作品も同様に実は魯迅でなく周作人の翻訳作品であったこと、以上二点を初出誌とのテキスト比較によって裏付けた。従来、基礎資料の多くが魯迅本位に読まれてきたがために生じた定説の歪みを正すのが本稿での目的であり、所論としては拙稿「五四時期の周作人の文学観」の補完する性格が強いものとなっている。(PP.409~426)『魯迅研究月刊』に訳載され、初めての中国語の論文となりました。《关于汉译有岛武郎的《四件事》——从《现代日本小说集》所载译文谈起》(王惠敏译,《鲁迅研究月刊》1993年8月,pp.34-40)
<書評>劉岸偉著, 東洋人の悲哀 1991.12 『中国研究月報』第46号(社団法人中国研究所)
わずか2頁なので、一覧から削ってあったのですが、中研がPDFを公開しているのが分かったので、追加(^^;)
周作人と明末文学-「亡国之音」をめぐって(自炊PDF、検索用クリアテキスト付) 1991. 1 『文学研究科紀要』別冊第17集(早稲田大学大学院文学研究科)
明末公安派・竟陵派の散文を範にとって進められた三〇年代前半の小品文運動の理念的支柱となったのは周作人著『中国新文学的源流』であった。本稿は、同書の根幹をなす明末=現代という認識の背景を探り、二〇年代半 ばから三〇年代前半にかけての周作人の文学観を連続的に把握しようとするものである。 (PP.89~99)
五四時期の周作人の文学観-W・ブレイク、L・トルストイの受容を中心に(自炊PDF、検索用クリアテキスト付) 1990.10 『日本中国学会報』第42集(日本中国学会)
五四運動期(1919~20)の周作人の多彩な文学活動根底で支えていた文学理念を明らかにするため、本稿では、1)当時の周作人の引用翻訳に着目し、そこに共通して"文学による相互理解の深化"という理想が窺われること 2)五四運動退潮期に書かれた『自己的園地』 2)五四運動退潮期に書かれた『自己的園地』で個人主義的文学観へと変貌を遂げるに至ったのは1)の理想の脆弱さに起因することを明らかにした。 (PP.227~241)
周作人とH・エリス-一九二○年代を中心に(自炊PDF、検索用クリアテキスト付) 1989.1 『文学研究科紀要』別冊第15集(早稲田大学大学院文学研究科)
周作人は「中国のエリス」と称されるほど英国の性科学者H・エリスの影響を強く受けたにもかかわらず、従来その影響の内実は明らかにされていない。本稿では、エリスの思想がどのように周作人の文学活動に作用したのかを検討し、エリスの引用が五四時期から『語絲』発刊までの周作人の文学観を代弁し、肉体と精神の調和の理想、文学作品に対する肉体と精神の調和の理想、文学作品に対する道徳的批判の排除の論理等を裏付ける根拠となっていることを明らかにした。(PP.131~144)
蒋光慈『麗莎的哀怨』から『衝出雲圍的月亮』まで 1987. 3 『混沌』創刊号(早大中文現代文学研究班)
蒋光慈の小説における、粗削りな独白体から近代的リアリズムを取り入れた叙述形式への成長は、そのまま中国の近代小説の発展を反映するものである。本稿は近代的リアリズムを受容した初めての作品『麗莎的哀怨』が却って極左路線を支持する党指導部の誤解を招いた経緯を検証し、その直後に書かれた『衝出雲囲的月亮』が党の意向を反映しつつも、前作と殆ど同一の叙述形式を持つものであったこと明らかにした。(PP.1~9)この原稿を大幅に改稿し、「蔣光慈旅日前後的蛻變:《麗莎的哀怨》與《衝出雲圍的月亮》之故事結構比較」と改題して、『当代外語研究』(中国語、366号上海交通大学2011年6月)に採録されました。


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