古 本 屋 に て

研究室だより・1996年冬

 

 早稲田大学から高田馬場駅へ向かう通りには古本屋が軒を連ねている。金はないけれど時間だけは たっぷりあった学生時代、私はよく古本屋の梯子をした。しかし、いつのころからかお金よりも時間の 方が貴重になってきて、古本屋に足を運ぶこともめっきり少なくなった。

 それが最近になって復活した。「清水幾太郎とその時代」という研究テーマに取り組むようになった からである。社会学者であり、戦後日本のオピニオン・リーダーであった清水幾太郎は、1907年 (明治40年)に日本橋で生まれ、1988年(昭和62年)に信濃町の慶応大学附属病院で亡くなった。 彼の81年にわたる人生行路を綿密にたどりながら、近代日本の社会変動と精神史の一断面を描く というのが研究の目的で、気の長い話なのだが、とりあえず来年度の大学院の授業はこのテーマで話をする 予定でいる。いきおい過去の文献を読む機会が増えたが、すでに絶版・品切れになっている本が ほとんどで、もちろん大学図書館には揃っているのだが、あいにく私は本に書き込みをしないと 読んだ気がしないという不幸な(?)性分なので、お目当ての文献を自分の所有にするべく 古本屋街を探索するのである。

 久しぶりで古本屋街を歩いて思ったことは「とにかく安い」ということである。先日も『三木清全集』 全19巻(岩波書店、1966〜68年)をたったの5000円で手に入れた。一巻当たりに換算すると 250円(!)である。買う側からすれば安いに越したことはないが、ここまで安いと、昭和戦前期の 論壇のスターだった哲学者三木清に対して申し訳ないような気持ちになってくる。なんでこんなに 安いのかというと、何年か前に新編の『三木清全集』が同じ書店から刊行されたためで、パソコンの 新しい機種が発売されると古い機種が大幅に値下がりするのと似ている。しかし、三木清本人は すでに1945年に亡くなっているのであるから、全集の内容に大きな変化のあろうはずはなく、 一部の専門家にとってのみ意味のある若干の「新資料」が追加されているに過ぎない。それでも大学 や公共の図書館、研究者や蔵書家は必ず新しい全集を購入してくれるので、出版社は有名な作家の  全集を繰り返し出版するのである。

 もっとも古本だからといって必ずしも安いわけではない。古本も商品である以上、その価格は需要と供給 のバランスによって決定されるのである。たとえば、山本義隆『知性の反乱』(前衛社、1969年) は発売価格480円の本であるが、私はこれを古本屋で4000円で購入した。いま、全共闘ものは 一般に人気がある上に、安田講堂事件のときの東大全共闘のリーダーだった山本義隆の著作と いうことで、これだけの値段がつくのである。私はためらうことなくこの本を買ったが、その 数日後に、同じ本屋の同じ場所にこの本がまた並んでいるのを見たときは、びっくりした。 おそらく、売れ筋の本ということで、奥の書庫に何冊かキープしてあるに違いない。商売とはいえ、 しっかりしたものである。

 私は古本屋に本を売ったことはまだない。以前、失業中のときに、一度だけ、本気で本を売ろうと したことがあったが、高く売れそうな蔵書のリストを作って自宅の近くの古本屋に査定してもらった ところ、あまりの安さに馬鹿らしくなって売るのを止めてしまった。そのときのリストには 『志賀直哉全集』『夏目漱石全集』『森鴎外全集』『芥川龍之介全集』『シェークスピア全集』 『魯迅選集』『昭和万葉集』などが入っていたが、提示された金額は全部で75000円だった。古本と いうものは買うときも安いが、売るときはもっと安い。当然の話なのだが、身銭を切って買った本が そんな値段(当時の私たち一家の1ヶ月のアパート代にしかならない)で買い叩かれるのは 耐え難かった。芝居の中で娼婦が「体は売っても心は売らないよっ!」と啖呵を切る場面があるが、 あのときの私もそんな気持だった。いまの私が本を読むときに平気で書き込みができるのは、 これから先も本を売ることはないという確信があるためである(書き込みがある本はただ同然の 値段でしか買い取ってもらえない)。もっとも私が歴史に名を残すような学者になれば話は別で、 かえって書き込みがある方が価値が高まるのだが、神に誓って、そういう図々しい魂胆があって 書き込みをしているわけではない。

 古本屋で本を買ったり売ったりした経験はみなさんにもおありだろう。しかし、古本屋で自分が 書いた本を見つけるという経験は私だけのものだろう。拙著『生活学入門』を古本屋の棚に 発見したときは、光栄でもあり(なぜなら売れない本は買い取ってもらえないから)、里子に 出された我が子を見るようで不憫でもあった。大学の授業でも使っているので、試験が終わって、 用済みになったテキストが売られたのであろう。棚から抜いて値段を見たら800円となっていた (定価は1750円)。妥当な値段である。しかし、実は、今度の4月に『生活学入門』の改訂版が 出ることになっており、初版の方は絶版になる。したがって、いま古本屋の棚に並んでいる 『生活学入門』は需要がなくなり、やがて書店の入り口の「1冊100円」コーナーに回されること になるだろう。そうなったら私が買い取ってやるつもりだ。

 古本屋で懐かしい著者と思わぬ再会をすることがある。つい先日のことだが、日本社会運動研究会編 『左翼活動家・文化人名鑑』(日刊労働新聞社、1969年)という変わったタイトルの本があったので、 棚から引き抜いてパラパラやっていたところ、「赤木健介」という名前が目に飛び込んできた。 「評論家、歌人、詩人会議常任運営委員、新日本歌人協会常任理事」で、「戦前コップ(日本プロレ タリア文化連盟)に加入し活躍する。戦後、新日本歌人協会の創立に参加し、詩サークルの 指導につとめる。・・・・また最近まで伊豆公夫の名で唯物史観に立つ歴史家としても活躍し 『赤旗』にしばしば執筆している。渡辺順三につぐ人民短歌の中心人物とみられる。・・・・ 『赤旗』短歌選者。共産党員。」という説明があった。そうだったのか、知らなかった、と私は思った。 知らなかったのは、彼がそのことを私に隠していたからではなく、たんに私が世間知らずな 子供だったからである。

 話は27年前(1971年の冬)にさかのぼる。高校の1年生だった私は、蒲田駅東口の大和書房で 『やさしい短歌の作り方』という本を買った。著者は赤木健介。いまその本は手元になく、 詳しい内容は忘れてしまったが、一読して「これなら自分にも短歌が作れそうだ」という感触を 与えてくれる本だった。巻末に「添削券」なるものが付いていて、希望者に1回10首以内、 手数料100円で、作品の通信添削指導をすると書いてあった。定形郵便の切手代が15円の時代で あったから、当時の100円は現在の500円程度であろう。さっそく作品を送り、添削をお願いした。

 さよならだ独りぼっちの雲よ雲君は旅立て僕が見ている

 ビシビシと電光の如く空を刺す枝枝の姿僕は好きだ

 澄みきれどこまでも深く澄みきれ冬の空には雲はいらない

 枝という枝から湯気の立ち昇り幻のようだ雪どけの街

 夕焼けに染まるのが好きか寄りそいて西に向かうふたつの雲よ

 ほどなく返信があり、一首一首に赤で添削が入り、短評が添えられていた。たとえば、第一首は 「さようなら独りぼっちの白い雲よ君は旅行け僕が見ている」と直され、「ロマンチックで 面白い。ただ『雲よ雲』は甘い。」との評だった。一首一首の添削・短評の後に、全体と しての講評が述べられていた。

 「なかなか才があると思います。詩の方に伸びるかもしれません。今はロマンチックだが、 若いから結構とは思うものの、これにリアリズムが加わることを望みます。それには、今までの 短歌が達成したところのもの(写実、描写、人事など)を学びとって欲しいと思います。しかし、 それに囚われると、普通の短歌になってしまうので、自分の思う存分に作りつづけて下さい。」

 問題点を的確に指摘しつつも、入門者を意気消沈させない配慮の行き届いた講評である。いまの私 にはそれがよくわかる。しかし、生意気盛りの高校1年生は「元の歌の方がいいのに」と思った。 結局、半年間に3回ほど添削指導を受けたところで、「僕は短歌よりも小説の勉強がしたいので もう作品の添削をお願いすることはやめにします」という手紙を書いた。赤木さんは、 そいういう身勝手な手紙に気を悪くされることもなく(たぶんされたに違いないのだが)、 「短歌への決別は惜しい。新味のある囚われぬ表現は将来を感じさせるのだが。小説の道も たやすいものではないが、努力精進に期待する。」と、ポンと背中を叩いて送り出して くれるような返事を下さった。

 赤木さんは清水幾太郎と同じ明治40年の生まれで(このことも『左翼活動家・文化人名鑑』で知った)、 もしご存命なら90歳であるが、おそらくはもう亡くなられていることだろう。あのとき 「小説の勉強がしたい」と言った高校生は、大学の文学部へ進んだものの、結局、一篇の小説も 書き上げることなく、社会学へと方向転換した。赤木さんには『社会発展の理論』(青木書店) という著書もあることがわかったので、今度、探してみることにしよう。

 『左翼活動家・文化人名鑑』には売値が書き込まれていなかった。「おいくらですか?」と 女主人に訪ねると、彼女は「2000円ですが、1500円でいいですよ。」と言った。いま売っておかないと 当分売れそうにないと判断したのだろう。支払いを済ませ、本を抱えて外に出ると、馬場下町の 穴八幡神社のあたりは「一陽来復」のお札を求めてやってきた人たちで大いに賑わっていた。 家では柚湯と南瓜の煮物が私を待っていてくれるはずだ。

研究室だよりに戻る

 

次のページを見る