2004.10.6配布

 

社会学研究10「社会変動とライフコース」

講義記録(1)

 

●要点「東京物語」

 前期の「社会学研究9」では、主として明治・大正・昭和戦前期の日本社会における「人生の物語」を採り上げて、その形成と変容の過程を論じた。要約すれば、社会的ダーウィニズム(優勝劣敗)の言説を背景として、立身出世(成功)を達成するべく社会全体の高学歴化が進行したが、立身出世は必ずしも容易ではなく、立身出世を望んでそれを果たせない人々や、立身出世という目標そのものに懐疑的な人々によって、「成功≠幸福」を基本命題とする新たな言説(ミルズのいう「諦めの文学」)が生まれた。成功が公的領域での活動(学業・職業)を通じて得るものであるのに対して、幸福は私的領域での活動(恋愛・結婚・育児)を通じて得るものであるとされた。家庭は幸福の物語の舞台となった。こうした「人生の物語」の個人化(私生活中心主義的傾向)は大正時代を通じて増大したが、総力戦の時代(1930年代〜1940年代前半)に入って「国家の物語」の中に回収されていった。そして敗戦は多くの日本人の人生に「転機の物語」をもたらした。

 

 後期の「社会学研究10」では、戦後60年にわたる「人生の物語」の変容を見ていこうと思うが、初回の今日は、明治から現在までの約140年間を「東京の人口」という指標を用いて振り返ってみることにしよう。

 社会の近代化(工業化)は農村から都市への人口の移動を促進する。東京の人口は、第一次世界大戦の終結(1918年)から太平洋戦争の勃発(1941年)までの期間(重工業化の時代)と太平洋戦争の終結(1945年)から第一次オイルショック(1973年)までの期間(戦後復興期と高度成長期)に飛躍的に増大した。個人の視点から見れば、「立身出世」という上昇的社会移動と「上京」という求心的地域移動は連動している。さまざまなメディアが東京への欲望を加熱し、よりよい生活、よりよい人生を求めて人々は東京(大都市)にやってくる。かくして近代日本における「人生の物語」は「東京の物語」という側面をもつ。

 小津安二郎の代表作『東京物語』(1953)は、戦後復興期から高度成長期への過渡期にある東京を舞台にしている。東京で医院を開業している長男を訪ねて、両親が尾道から出てくる。2人は東京が初めてである。長男の家は東京の外れにあって、もっと賑やかな場所を想像していた両親は、少しがっかりする。長男は日曜日に両親を東京見物に連れていこうとするが、急患が入って中止になる。一緒に行くはずだった孫たちは「つまんねえやい!」とふてくされる。祖母は小さい方の孫を誘って荒川放水路の土手に散歩に出る。祖母は孫に尋ねる。「勇ちゃん、あんた、大きゅうなったらなんになるん?」遊びに夢中の孫には祖母の質問は聞こえない。それでも祖母は一人語りを続ける。「あんたもお父さんみたいにお医者さんか? あんたがのう、お医者さんになるこらあ、おばあちゃん、おるかのう・・・・」

 たとえばこの最後の場面には、近代社会の子供に固有な質問「大きくなったら何になる?」が登場する。祖父は公務員で長男に継がせるべき家業を持たぬ人だった。長男は医者になった。しかるに孫は父親の職業(医者)の継承を祖母から期待されている。上昇移動(立身出世)を達成した親の子供は、親の達成水準からのさらなる上昇移動、少なくとも親の達成水準の維持、すなわち「文化的資本の再生産」を期待されるのである。

 小津は『東京物語』で「家族の崩壊」を描こうとした。それは現代のわれわれの目から見れば、「崩壊」というほどの過激なものではなくて、「小さなきしみ」のように見える。しかし、どのような「崩壊」も「小さなきしみ」から始まるのだとすれば、その後、高度成長期以降に生じる「家族の崩壊」の要因を的確にとらえていたということができる。たとえば、(1)家族の空間である家屋から、かつての中流家庭にはあった応接間や客間が姿を消し、子供部屋(勉強部屋)がそれにとって代わった。戦後の家族は子供を中心として再編成されている。『東京物語』では、はじめに長男宅を訪れた祖父母に勉強部屋を占拠された孫は不平をもらす。(2)伝統的な家族においては、年老いた親の面倒を看るのは長男の嫁の役目であった。しかし、職業が世襲でなくなった社会(サラリーマン社会)では、長男が親と同居を続けることは容易なことではなくなった。『東京物語』では一番下の娘が親元に残って小学校の先生をしているが、長男と長女は東京、三男は大阪で暮らしている(次男は戦死)。誰が年老いた親の面倒を看るかは自明のことではなくなったのである。(3)『東京物語』に登場する娘と嫁たち4人の中で専業主婦は一人だけで(長男の嫁)、残りの3人は仕事をもっている(美容院経営、小学校教師、商事会社勤務)。女性の社会進出は戦後の潮流の1つだが、同時に、高度成長期にあって専業主婦は女性にとってのあこがれの地位でもあった(それは高収入の男性との結婚を意味したから)。(4)『東京物語』の両親には戦死した次男を含めて5人の子供がいた。しかるに長男夫婦の子供は2人である。戦争直後のベビーブームとそれに続く急激な少子化は戦後日本の人口構造を決定的に規定し、長期にわたって教育・福祉・消費などの領域に大きく影響することになる。

 

●質問

Q:これまで人口は増え続けてきましたが、少子化で人口が減少していくようになったら、どのような現象が起こるのでしょうか。なってみないとわかりませんが、予想すらできないので、ちょっと怖いです。

A:人口の動向は社会現象の中では例外的に長期の予測が可能です(天変地異や核戦争とかがない限りは)。「なってみないとわからない」ということはなくて、かなりいろいろなことが確実に予想できます。一番問題になるのは高齢化ですが、ただしこれは先進諸国の問題で、グローバルな視点で考えると人口は依然として増加傾向にあり、これからも食糧難(飢餓)が最大の問題です。

 

Q:「文化的資本の再生産」というものは、社会の職業配置のバランスを保つために人間が無意識のうちに作り上げたシステムと捉えることは可能ですか。

A:それはどうでしょう。職業の種類は社会変動の中で変化していきますからね。つまり時代遅れの職業は廃れていき、時代が求める新しい職業が台頭してくる。単純な「再生産」ではむしろバランスが保てないでしょう。

 

●感想

 僕の祖父母は実家に帰るたびに東京の怖さを主張します。町に出たら50%の確率でからまれ、女の子は夜出歩くと間違いなくさらわれるそうです。21世紀に生きる人々とは思えません。年頃の娘をもつ父親も似たようなものです。

 

 「文化的資本の再生産」って言葉は聞いたことがあったけど、今日やっと意味がわかりました。★ブルデューも喜んでいるでしょう。

 

 確かに「文化的資本の再生産」というのはあると思った。サラリーマンの娘でよかった。★勘違いしてはいけません。サラリーマンの娘も、父親が一流大学を出て一流企業に勤めるサラリーマンであれば、それなりの相手と結婚することを期待されるのです。

 

自分、中産階級ですから。★切腹!

 

去年、「社会学研究9」だけをとって、「まだ続きが知りたい!」と思い、今年この授業をとりました。登録できてラッキーでした。小津の作品のにじみ出るような寂しさが好きです。★物語はまだ終わらない。

 

 『一人息子』の時より全体として演技がうまくなったような・・・。おじいちゃん役の人はあいかわらずだけど。★笠智衆はあれでいいのです。

 

 街並み、家屋、汽車・・・・何もかもが今と違う。時代は変わったなあ。とくに気づいたのは親に対する言葉遣いでした。私だったら絶対に「行って参ります」なんて言わない。★言葉遣いも文化的資本の一種です。一般に、小津の作品に登場する女性は言葉遣いが上品です。『一人息子』のお嫁さんもそうだったでしょ。実際には、ああいう場末の長屋に住んでいる人があんな言葉を遣うとはとても思えないけどね。

 

 映画では家族と家族でない人(どこまでが家族かは人の認識によりますが)に対する表情の違いがとても印象的で、見ていて面白かった。★あなたの言っているのは、息子や娘や嫁が親に面と向かって話すときの表情や口調と、彼らが親のいない場所で夫婦として、あるいはきょうだい同士として話すときの表情や口調とが違っているというですね。たしかに親孝行な子を演じようとしつつ、自分たちの生活を乱されたくないという気持ちが交錯していますよね。

 

 どうしてもあの顔アップのカメラワークになじめない。老人の横顔は「ああ、いいな」と思った。★それはたぶんあなたが(われわれが)互いの顔を直視して話さなくなってきた(自己の正面切ってのぶつかり合いを回避する傾向)ということを意味するのでしょう。

 

 子役の話し方が面白かったです。★つまんねえやい!(しかし、当時の東京の子供は本当にあんな口調で喋ったのかな・・・・。私は『東京物語』が封切られた翌年に東京で生まれたのだが、「やい」という語尾は使ったことがない)。

 

 舞台を現代に再設定して21世紀版『東京物語』をリメイクしたとしたら、一体どんなストーリーになるでしょう。TVドラマだけど、数年前に松たか子主演(紀子役)で『東京物語』がリメイクされました。父親役は宇津井健(母親役は八千草薫)だったけど、あんなに髪の毛がフサフサしてちゃ駄目。演出も説明過剰でひどいものだったけど、オリジナルを知らずにドラマを観た学生たちが「よかった」って言ってたので驚いた。リメイクがよかったのではなくて、リメイクにもかかわらずよかったのだろう。

 

 〜化。サンタモニカ。★不正解。正解は藤原紀香(優香も可)。

 

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