2004.11.24配布

 

社会学研究10「社会変動とライフコース」

講義記録(7)

 

●要点「ベビーブーマーと若者ソングT(1960年代)」

1955年から1975年の20年間に大学進学率は、男子が15%から43%へ(約3倍)、女子が4%から32%へ(約8倍)に上昇した。高度成長期は高学歴化の時期でもあったのである。とくに1960年代は、第一次ベビーブーマーたちの中学・高校・大学時代と重なっている。彼らが「若者」として台頭してくる過程で「若者文化」は変容していった。

 1960年代前半、「青春歌謡」と呼ばれるジャンルが登場した。舟木一夫の「高校三年生」、三田明の「美しい十代」、西郷輝彦の「十七才のこの胸に」などが代表的なヒット曲であるが、歌われている若者は高校生であり(まだ大学生は少数派だった)、歌われている青春は「清く、美しく、切ない」ものであった。「青春歌謡」はプロの作詞・作曲家(大人)の目から見た純情な若者像を若い歌手が歌ったものである。同じ時期の若者ソングの歌い手であった坂本九は、1950年代のアメリカン・ポップスの系譜に連なるような曲調の歌で異彩を放っていた(彼の「上を向いて歩こう」はアメリカで大ヒットした)。

 1960年代半ばにアメリカから輸入されたフォークソング(ボブ・ディラン、ジョーン・バエズ、ピート・シガーなど)は、若者が自分自身を表現して歌うという新しい文化をもたらした。マイク真木の「バラが咲いた」(1966年)は日本で最初のフォークソングのヒット曲である。ただし、この時期の日本のフォークソングは本家とは違って社会性・政治性に乏しいもので、ザ・ビートルズの影響を受けて台頭したグループサウンズ(ザ・タイガース、ザ・スパイダース、ザ・テンプターズなど)の流行にすぐに取って代わられた。和製ポップスにおけるシンガーソングライターの嚆矢ともいえる加山雄三は、青春歌謡とフォークソングとグループサウンズを融合して、数々のヒット曲を作った。

1960年代末、関西を活動拠点とする高石友也、岡林信康、フォーク・クルセダーズなどの活躍で、再びフォークソングのブームが起きる。この時期のフォークソングは大学紛争と呼応して、大人文化への対抗文化(カウンター・カルチャー)として機能した。それは社会問題に抗議する歌であったり、身近な他者との親密性を何よりも優先する歌であったり、安穏とした日常からの脱出(旅立ち)や決まりきった人生のコースからの離脱の歌であったりした。


●質問

Q:1964年に大学進学率が急に(かつ一時的に)上昇しているのはなぜですか。

A:大学入学者は18歳が中心ですが、実は1964年の18歳人口(ベビーブームの直前の1946年生まれ)は前後の時代に比べて落ち込んでいるのです。しかし大学進学者の数そのものはそれほど変わっていない。その結果、大学進学率(18歳人口に占める大学進学者の割合)が大きくなっているのです。

 

Q:先生の青春を代表する歌を教えて下さい。

A:布施明「これが青春だ」(1966年)と「でっかい青春」(1967年)。同名の青春ドラマの主題歌で、当時中学生の大久保少年はこのドラマに影響されて、高校に入ったらラグビーをやろうと考えていました。しかし、実際に入部したのはバドミントン部だったんですけどね。

 

Q:ぼくは今日で2回連続プリントに載りました。他にもプリントに載せようとしてがんばっている人たちがたくさんいることと思います。そこで提案なんですが、年間を通して最も多くプリントに採用された人には成績Aをプレゼントするというのはどうでしょうか。

A:ふつうに勉強してAを取る方がずっと簡単です。

 

●感想

 加山雄三はのろけてる! 現実はそんなに甘くないだろ〜と思いました。当時の私と同じ年頃の女性はどう感じたのだろう。★甘くない現実をそのまま歌った歌を誰が好んで聞くだろうか。当時の若い女性たちは甘くない現実を十分に認識した上でロマンチックな歌謡に酔ったのです。

 

 うちの父は1947年生まれで、カラオケで加山雄三を歌います。彼の青春だったんだ。拙者、中学生の頃、将来は加山雄三のような男になろうと思ってましたから。切腹!(祝流行語大賞ノミネート)

 

新谷のり子さんは若いときはきれいな声だったんですね。★えっ、最近の彼女を知っているの? 平和活動の講演会などで歌っていると聞いていたけど。

 

 深夜のTV通販で売っているGS特集ボックスが欲しくなりました。私が持っているのは『栄光のグループ・サウンズ大全集』(CD9枚組144曲)というやつで、価格は22,733円(税込)。

 

 『青春歌年鑑』買っちゃいましたよ。ちなみに青春歌謡をカラオケで歌うと周りがめちゃくちゃ引きます。タイガースとかブルーコメッツ好きなんだけどなあ。★『青春歌年鑑』はTSUTAYAに置いてあるけど、やっぱり買っちゃいましたか。いろいろなジャンルの曲が入っているよね。

 

 吉永小百合は声が低いイメージだったので、高い歌声を聞いてビックリしました。★そのイメージってシャープの液晶テレビ「アクオス」のCFの彼女のナレーションから来ているのだろうか。やはり1960年代の吉永小百合のイメージを知るためには映画『キューポラのある街』(1962年)をレンタルしなくては。そこで彼女が演じた「石黒ジュン」こそが吉永小百合の原点である。

 

 「高校三年生」を歌っている声がどう聞いても高校三年生の声に聞こえなかったのが気になりました。昔の若い人の声は今の中年の声に聞こえます。★舟木一夫は1944年12月の生まれなので、1963年6月に「高校三年生」でデビューしたときは満18歳だった。あの声、正真正銘の18歳の若者の声である。

 

 グループ名の頭に「ザ」(The)が付いているとCDショップやレンタルショップで探すときにすごく困ります。たとえば「ザ・ブルーハーツ」は「ザ」で探せばいいのか「ブ」で探せばいいのか。人気GSの1つ「オックス」というグループには定冠詞が付いていなかった。なぜならもし付けると「ジ・オックス」になってかっこわるいからだ(と私は推測している)。ちなみに「ジ・アマリーズ」というふざけた名前のフォークソング・グループがあった。

 

 「ザ・なんとか」というグループが増えたのはやはりザ・ビートルズの影響でしょうね。「ボブ・なんとか」にならなくてよかった。★ザ・ビートルズの来日公演の前座を務めたのがザ・ドリフターズだった。これ、有名な話。村上春樹がデビュー作『風の歌を聴け』の主人公を「僕」にしてのは、「ボブ」・ディランの「風に吹かれて」の影響だった。これ、いま作った話。

 

 ボブ・ディランの「風に吹かれて」という曲を映画『フォレスト・ガンプ』の中でジェニーが裸で歌っていたのを思い出しました。『フォレスト・ガンプ』は僕の青春映画です。★あの映画は戦後のアメリカ社会そのものの青春時代を回想した映画だから、君の青春は「追憶の青春」を当初から(まだ青春の最中にあるときから)含んでいたことになる。

 

 「自衛隊に入ろう」なんて歌があったとは知りませんでした。★♪みなさん方のなかに、自衛隊に入りたい人はいませんか、ひとはたあげたい人はいませんか、自衛隊じゃ人材求めてます、自衛隊に入ろう、入ろう、入ろう、自衛隊に入ればこの世は天国、男の中の男はみんな自衛隊に入って花と散る、って歌詞だった。嘘みたいな話だけど、最初、防衛庁はこの歌を自衛隊のCMソングにしようとまじめに考えていたそうだ。

 

 私の好きな人のお父様は、ちょうど大学受験の年に大学紛争が起きて東大受験ができず京大に行ったそうです。そこでお母様と出会い、結婚して、彼が生まれたそうです。それだけなんですが、何か感慨深いです。★オノロケ?

 

 父という人間に少し近づいた気がします。★父の背中が見えてきた。

 

 今回の歌はほぼ100%知っています。というのも、父が家族にナイショで1万5千円でフォークソングのCDセットを買ったからであります。ちなみに母は洗濯しながら「フランシーヌの場合」を歌います。フランシーヌ〜、切ないです。わずか1万5千円の買物を妻に内緒でする君の父親の方が、私には切ない。ほんとのことを言ったら〜、叱られるのだろうか。

 

 僕は荒野をめざす。★ケンシロウか。

 

 60年代の歌はほとんど知らなかったのですごく新鮮で興味深かった。というか私は他の人より音楽に疎いので、最近の流行歌までこういう講義をしてほしい(笑)。社会学特殊研究「社会変動と流行歌」。できるかも(笑)。

 

 先日、飲み会の帰り道、僕は上を向いて歩いていました。星がにじんでいて、上を向いても涙がこぼれました。そしてひとりぼっちの夜でした。本当です。★都会の夜空にはもう涙でにじむ星もないんじゃないかと思っていたけれど、ちゃんとあるんだねぇ・・・・。明日があるさ。

 

 先生の作った歌が聴きたいです。聴かせて下さい。★♪今日もまた雨が坂道を濡らして〜、と始まる曲だった。楽譜は残っていない。テープに吹き込んだものがあったが、転校する同級生の女の子にあげてしまった。もし彼女がそれをまだ持っていたら、絶対に奪い返して焼却処分にせねばならない。

 

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